「マイケル視聴率 スマスマに圧勝」(Web報知)
「『マイケル・ジャクソンの真実』の視聴率が25%を超えたら日本もまだまだ大丈夫」と勝手に思ってたんだけど、22.6%だったので日本はもうダメだという結論に。スマスマを超えてるのはすごいけど。裏がスマスマじゃなかったらもっと高かったのか?
放送当日に連絡をとった友人たちの視聴率は75%だった。近所に限っては大丈夫。
「吉本興業、『中川家』の活動休止を発表。」(narinari.com)というニュースを昨日読んで、あーしばらくモノマネと挙動不審が見られないんだなーと思っていた矢先、今日なにげなく見ていたゴールデンアロー賞授賞式で、何度か礼二が画面に映っていた。隅っこにちょっと入ってただけだからOKと判断したのかもしれないけど、タイミング的に貴重なカットを見た気がした。
俺もツッコミだと思うけどなぁ。
作者も元ネタ(アンパン以外)も知りません。
某サイトに blog をつけようと思い立ち、 tDiary + blogkit でもよかったんだけど、 Movable Type を使ってみたかったので必死こいて設置。大文字と小文字を区別するUNIX互換サーバで動かすスクリプトなのに、ソース内の参照ファイル名では頭が大文字で書かれているにもかかわらずアーカイブ内の名前はすべて小文字になっているファイルがいくつかあって困った。
ドキュメントをしっかり読まずにやってるとひっかかりそうっていうか自分がひっかかったポイントだけメモ(バージョンは 2.6.3)。 mt.cfg をきちんと設定して、しかるべき場所にファイルを転送したら、 mt.cgi を動かす前に mt-load.cgi を実行して初期化する必要がある(データ保存ディレクトリに初期ファイルが作られる)。その後 mt.cgi を実行すればログイン画面が表示されるはず。初期化が済んだら mt-load.cgi は消しちゃいましょう。
Movable Type も面白い、っていうかスゲエ。MySQL や pgSQL と連携できるし、 DB つくったとしたら表のインターフェースはこれでもいいかなぁとか思いはじめた。
全文検索をつけてみたり更新情報を吐き出すようにしてみたりし、日記サイトとしてかなり強まった気はするが、個人的にはこんなことやってる場合じゃないような気が! すごく!
んでもまだ Netscape だと崩れます。他のブラウザはもっとあやしい。
はなやま玩具が出しているキャストパズルシリーズの "CHAIN" にはまる。このシリーズの知恵の輪は5個くらい持っていて、同じ難易度6の "ELK" も30分くらいで解けたので知恵の輪にはちょっと自信を持ってたくらいなのに、今回はさっぱり解けない。トータルで8時間くらいはまっている。
理論的に考えられる部分は考えつくして、あとはがちゃがちゃとひたすらいじる。他のことをしながらもいじる。すると、ちょっとずつ進展があって、夕方近くにやっと外れてくれた。
というわけで、 "CHAIN" は手応えも十分なのでおすすめです。このシリーズはインテリアとしても使えるほどきれい or カッコイイものが揃っていて、値段も1,000円しないくらいなので、一度手に取ってみはどうでしょう。2〜3年前までは東急ハンズあたりに行かないと買えなかったけど、最近では書店にも並んでます。
でも、ストレスたまる人はものすごくたまるかも。
namazu 検索を導入したものの、いまいち思ったようにヒットしてくれないかんじである。キーワードの取り出し方が文章と合っていないことがネックだと思うんだけど、技術系MLなどの検索を想定してるから仕方ないのかなぁ。カスタマイズの方法でも探してみるか……まぁ、もともとの文が良くないってのはあるかもしれないけど。
インサイターで紹介されていた、無印良品の全面広告。3月8日に朝日、読売、日経などの朝刊に掲載されたもの。
無印良品のもとに集まるアイデアは「発見された普遍」であり、誰かの著作ではないのです。「北をさす方位磁石のように」というフレーズに、グッときた。これを書いた人を知りたい。無印いかす。
「素」を旨とする無印良品の思想の根底には日本古来からの生活の美意識があります。ここに無印良品の思想の基軸があることに変わりはありません。
(日経新聞)
このような商品をとおして、北をさす方位磁石のように、無印良品は生活の「基本」と「普遍」を示し続けたいと考えています。
(朝日新聞、読売新聞)
同じく、3月8日の朝日新聞から。 「署員、留置人にカッター渡す 宇都宮南署の課長ら処分」(asahi.com)
留置人が「異物を埋め込んだ局部が痛む」と訴えたため病院に連れて行ったが、夜間のため外科医がおらず、求めに応じてカッターナイフを渡し、自分で取り除かせたという。「自分で取り除かせた」っていうのもツッコミどころだけど、まずその前に「やっぱり真珠って痛いんだ……」と思った。
鼻毛をカットしていたら、切れたくずの中に金髪が混じっているのをみつけた。一瞬うれしいと感じてしまった自分の中に安易な拝外主義を発見したものつかの間、「でも鼻毛だし」というどーでもよさの前にくずれ落ちたのであった。
ブロンドの人ってやっぱり鼻毛も金髪なんだろうか。だとしたら、はみ出てても目立たなくていいなぁ。だから西洋人は体毛に対して寛容(鈍感)なんだろうか……でもブルネットの人も多いし……。
もう2日前だけど、たまたま「アッコにおまかせ」を見ていたら、中川家が復帰漫才やってましたね。「中川家礼二禁酒で復帰 男女関係は迫っていない」(Web報知)だそうで、やっぱりツッコミだったのか。つか、かなり不運だったと。
はい、空前の「癒し」ブーム。猫も杓子も癒し癒し、よっしゃよっしゃって言うの誰だっけ? というわけで各企業が「癒し系市場」を狙ってるほどなわけですが、テーマは「癒し」です。これもそろそろ終わりに近づいてていいブームだと思うんです。森尾由美的には「ブーメスト」です。で、ミネルヴァの梟よろしくブームを総括してみようと書いてます、涙こらえて書いてます、女心の未練でしょう。ていうか、そんなブームがまったく関係なかった人も大勢いるわけですが、その人々にとってはなぜ関係ないのか、みたいな話をしてみたい。
「癒し」がブームになるのは「癒す」べきものがあるからです。つまり「癒し」の前に「病」があるということですね。「癒し」ブームというのは、裏を返せば「病」ブームであったというわけです。気軽に「鬱」とかいう言葉を口にするようになっているのもひとつの表れでしょうが、世の中「病」ブームであると。
でも、ブームになる前から病んでいる人たちは大勢いました。といってもブームになった後とは比べものにならないほど少数ですが、病んでいる人というのはいつもどこかにいました。詳しくはエイズで死んだフランス人のゲイが書いた本でも読んでもらうとよいらしいのですが、簡単にいうと、病んでいる人というのは社会を構成するためにいてもらわないといけないんだけど、病んでるとされる人がいつも同じわけじゃなくて、時代の変化とともに変わってきたんだよ、なんてことをスキンヘッドのゲイが言いました。まぁスキンヘッドのことはどうでもいいのですが、病んでいる人がいつも少しずついたということが大事です。
そんなもとから病んでいた人々は、世の中が「病」ブームになった今、どうなっているのでしょうか。世の中の多くのひとが「病んでいる」中で、もとから病んでいた人たちは、ブームになってから「病みはじめた」人たちと同じように「病んでいる」の? 「社会をまるごと病ませてしまう」ことで、いままで病んでいた人たちも一緒に癒されてしまったのでしょうか。生きてるひと全員が病んでしまえば、もとから病んでいた人もみな同じ。これが本当なら、かなりの大発明というか、なかなかのアイデアですね。
でも、きっと違います。もとから病んでいた人たちは、少なくとも「病」ではないし、おそらく今言われている「癒し」の対象でもないのです。彼らは相変わらず少数派で、しっかり生き残っているはずです。では、「病」ではないが「癒された」わけでもない、もとから病んでいた人々は、いまどうしているのでしょうか。どこにいるの? ……まだそれに名前はついていません。でも、やっぱりどこかにいるはずです。まだ見えていませんが、彼らを呼ぶ名前がそろそろ出てきはじめてもいい頃です。まぁ、「癒し」ブームが終わったらまた病んでいて、「時代遅れ」と言われてるかもしれませんが。
_ 「狂ってる」と言えばいいことに、書き終わってから気づいた。やるなスキンヘッド。
健康番組から火がついたアミノ酸ブーム、ここにきてドリンク市場も群雄割拠の様相を呈してきましたね。特に最近は「アミノサプリ」と「燃焼系アミノ式」のCMがどちらも面白めなので、少しだけ注目しています。
でも、今日コンビニでどちらかを買おうと思ったんですが、迷った末レジへ持っていったのは「アミノ式」のほうでした。ねんしょ〜け〜ねんしょ〜け〜あ〜みのしき〜♪ という歌が耳にこびりついていたのが大きいですね。あと、CM撮影のときにくるくる前転する女の子にはワイヤーがついていたのかどうかも非常に気になっています。ツイ・ハークかと。
あと、「ね、年少系!?」とか「しょ〜こ〜しょ〜こ〜しょこしょこしょ〜こ〜」とかを連想したわけではありません。決して。
_ 今日見たもの、あそんだもの。ポエ山のBBSでも話題の乾電池サイト、Newgrounds.com の DISORDERLY、Felly Halim さんの Bauns、 MondoMiniShows.com の Happy Tree Friends (unofficial page) とか。ほぼ友人のタレコミ頼り。
「アミノ式」のCMの謎がさっそく明らかに。Weekly Teinou 蜂 Woman で紹介されていた Yahoo! News の記事によれば、実際に回転しているのは代役なんだって。でも本当にやってるんですね、きっと。「5段階ある難度のうち比較的易しいA難度」だって。
_ 過去の日記を namazu インデックスに登録。自分的にわりと便利になった。
あと、思ったようにヒットしなかったのは、最初にインデックスを作るときに言語指定を日本語にしてなかった(つまり、自分が悪かった)からだということもわかった。だから全角の単語で検索してもほとんどヒットしなかったというわけで。以下のようにするとよい。
mknmz -V --media-type='text/html' --indexing-lang=ja --output-dir=$outdir --target-list=$targetで、さっそく改善したら、8,450だったキーワード数がいきなり33,000以上になって驚く。これで「中川家」とか「マイケル」とか「癒し系」でもヒットするようになった。いつ使うのかわかんないけど(サーチエンジンからトップに来てしまった人には便利かも)。
※ "--target-list=" 指定は複数のディレクトリをインデックス化するのでなければ必要なし
position 属性を使ってレイアウトしてみた。とりあえずIE6.0.x、Netscape7.0x、Opera7.0x には対応した模様。でもこの position 属性、いまいち使いどころがわからないな……この状態だと、たとえばタイトル画像の縦幅を変えたら、合わせて上からの移動値を手で変えないと関係が崩れる。だったらテーブルのほうが汎用性も高く、スマートな気がする。
同じ行に div ボックスを横並びにできるよい方法はないもんか……おれが知らないだけか? あるボックスの原点を前のボックスの右上にする方法なんて、ありそうだけど。しかも縦幅が左のボックスと揃ったりするとなおいい。
float タグを試してみたけど、万能ではなかった。そもそもマクロなレイアウトのための属性じゃないしね。ここで float タグの特徴を。
float タグが得意なレイアウトは
2 | 1 |
(3) |
1 | |
2 | 3 |
4 |
1 | 2 |
3 |
クラスや ID を細かく指定して、段の終わりにくるボックスに float: clear; を使えばいいのかもしれないけど、たとえば tDiary の場合は div.day が連続しているだけなので、 div.day に float: right; を与えてしまうと右に向けてがんがん並んでしまうことになる。
とにかく、ある特定の状況ではきれいに配置できても、ウィンドウやフォントのサイズ、テキスト量などが変わっただけでボックスが重なったりずれたりされては困る。上の二つの図でも table タグを使ってるわけだけど、スタイルシートでこれをきちんと再現できない間は table タグの絶滅もありえなーいと絞めてみる。きゅっ。
_ ここまで積極的に人に会いたくない状態というのもえらいひさびさなんだけどそんな中でBGMを選んでるとスガシカオ「サヨナラ」とか山崎まさよし「全部、君だった。」なんかよりぜんぜんスートするのがHALCALI「タンデム」だったりするのは人間の妙であるなーガーリーはいいなーやっぱガーリーだよ t.A.T.u. ばか売れだしねーなんつってると意識しなくても0.3秒で Google に「ガーリー」をつっこんでいるわけで「エドガー・リー・マスターズ」とか「ガーリー=我愛羅×リー」などがヒットし非常にゆかい。
某サイトで実験的に使用している Movable Type 関連のメモ。
MT、かなり深いです。少し勉強しないと。とりあえずテンプレートがデフォルトなのはけっこう恥ずかしいと、他の人を見て思った。早くデザイン変えたい。
ザッピングしてたら「ハロモニ。」をやっていて、ちょうど読者投稿コーナーがはじまるところだった。
紹介するのは吉澤ひとみと矢口真里で、二人ともきのこの帽子をかぶっている。するといきなり、「きのこ、にょきにょき、浜美枝」という台詞つきの登場ポーズを決めた。
その後さらに、吉澤が「ホップ・ステップ・スキンシップ〜」というネタとともに、矢口のきのこ帽子を両手で摩擦するアクション。
えらいサービスぶりで、かなりのインパクトだった。モー娘。はすごいなー。
和月伸宏『るろうに剣心』はフランスでも出版されています。仏語版のタイトルは "Kenshin Le Vagabond" といいます。ケンシン・ル・バガボンドです。「ル」がフランス語っぽい。バガボンドとは「放浪者」という意味なので、「るろうに」(流浪人)の訳語になってるんですね。
一方、井上雄彦『バガボンド』もしっかり翻訳されています。こっちはそのまま "Vagabond" です。 vagabond はフランスでも使われてる言葉なので、そのまま。
というわけで、フランス人と漫画の話をするとき、いきなり「このまえバガボンド読んだんだけどさー」と話しはじめても、相手は『るろうに剣心』のことだと思ってしまうかもしれません。和月『るろうに剣心』と井上『バガボンド』のどちらを話題にしたいのか、しっかり示しながら話をすすめましょう。
Kitcut BREAKTOWN で3/24から公開開始。
中村江里子『エリコロワイヤル PARIS GUIDE』(講談社)情報としてどう処理してよいものか苦しむので、ここでも一応紹介(?)。W.T.B.W. での扱いがかなり妥当。
孤島で殺し合いはじめそうな名前ですね。
いや、アンパンマンのテーマは本当にいい曲だと思うし、かなり好きなんだけど、聴きながら目頭を熱くしてるのはさすがに弱りすぎだろ>俺。と思った。しかも、GROOVE LINE (J-WAVE)でピストン西沢がミックスしてるやつで。
この曲、「アンパンマンのマーチ」っていうんですね。それを知ったのはつい今のことですが、本当に好きです。
2月12日から見れたらしい。青山真治監督で、夏川結衣・杉本哲太・有森也美・YUSUKE・岩松了などが出演するショートフィルム。3話構成で全34分、ストリーミング版とダウンロード版あり。ダウンロード版はインタラクティブムービープレーヤー「Web CINEMA BOXX」というのを使って見る方式で、本編再生のほかにもいろいろ機能がついてるらしいけどストリーミング版で見たのでよくわかりません。
青山真治っていうと『EUREKA』がかなり好きで『月の砂漠』も見たいなーと思いながらまだ見れてないんですけど、こんなところで細かい仕事してたんですね。ストーリー、出演者、予算や画面作りなどなど、全体的に90年代のフジテレビ深夜ドラマを思い出す作品で、『FRIED DRAGON FISH』とかが好きな人にはいいんじゃないでしょうか。個人的にもかなりOKでした。
これからはショートフィルムが増えてくると言われてますが、企業バックの形式も増えるのかもしれません。『Grasshoppa!』みたいな形とか、8cmDVDをもっと安く売るとか、いろいろ考えられますが。面白いのが増えてくるとうれしい。
はてなダイアリーが標準搭載してる画像アップローダーがうらやましかったので、絵日記プラグイン機能追加版を導入。少し「ブログ」らしくなった。
画像につくアンカータグのURLをアップロードした画像以外に変えられないのがちょっと残念。
4月16日22:00からはじまる新ドラマ。小川彌生『きみはペット』(講談社)が原作なんだけど、原作も知らなかった。OLが行き場のない美少年をひろって「ペット」として養う、という話。番宣番組を見てたら、現実にもこういう関係があるといってレポートしていた。恋愛という緊張関係を避けたがる一方で男性を求める心理が「ペット」を生むのだとかなんとか。
これは新しい「ヒモ」のかたちであろう。女性が金を稼ぎ男性を養うという形式だけを見れば、「ヒモ」である。だが、「ヒモ」というと女性が男性に隷属する「鵜飼い」のような構造が前面に出すぎる。そこで、女性が男性を所有する女性優位の関係を強調するため「ペット」という言葉が持ち出される。
「女性は男性に養われなければならない」という古くさい常識が前提とされていた時代に「ヒモ」という言葉が生まれたのは納得しやすくて、男性がプライドを維持するために「女性を働かせる」というイメージを持たせる必要があった。女性が稼いでいるとしても形式上は男性優位でなければならなかったから、「ヒモを握っているのは男」とされていた。
しかし、そのような前提が必要なくなった現在、男性はより気持ちよく女性に養ってもらう≒「養わせる」ために「ペット」となる道を選ぶ。つまり、ヒモの適応形が「ペット」なのである。男性は進化している。
まー、「ペット」には性的な関係が存在しないという性格もあるらしいですが。ドラマ上は。
はじめてイラク問題に触れたと思ったらそんなことかよ。そんなことです。
*1 でもイラクに投入されているのはM1A1エイブラムズという戦車だそうで、WTMには入ってないみたいなので、少なくともWTMではなさそう。
さて、今日のBGMはどうすっかな……お、メッセンジャーが開いた。
お疲れまんさき(左遷) の発言 :なんだこのキチガイども。
♪教室のテレビは〜
お疲れまんさき(左遷) の発言 :
♪NHK〜〜〜
な@汝、人間の盾となれ の発言 :
アイスランドがァ〜♪
お疲れまんさき(左遷) の発言 :
♪こんにゃくゼリ〜〜〜〜
というわけで教えてもらったのが「僕はCDデビューしたいし」でした。CDデビューを目指して自作の唄をネットで公開するというのはしばしば見られることですが、彼の唄はその領域を外れています。最高。アイスランドにアイスランドはアイスランドへぇ〜行きたくはァないぃ〜♪(2002/4/9 「かまくら」より)
ファンクラブのほか、muzie 内には「さとうれおをCDデビューさせる会」もあります。
『アークザラッド 精霊の黄昏』のCMが気になっていたので探してみたら、SCEJのCMページに置いてあった。中学校のホームルームの時間に、「アークザラッド 精霊の黄昏 ダークとカーグ どちらが正しいか」というテーマについて男子と女子がそれぞれ意見を述べるという内容。
ダークはなんでも武力で解決しようとします。
そうやって 自分の弱さを隠しているんだと思います。
なので私はダークが嫌いです。
(『アークザラッド 精霊の黄昏』ディベート篇ダーク)
カーグは人をすぐ信じます。言ってることの内容の前に、「……なので私は○○が嫌いです」と、決然たる姿勢で口にしている緊張感がいい。こういうキッパリとした物言いをほめてしまうと思いっきりアメリカびいきみたいになるのでためらうんですが、やっぱり気持ちいいと思ってしまう自分をみつけると「俺ってアメリカかぶれ?」なんて疑ってしまいます。
それは自分に自信がなくて人に頼ってるだけなんだと思います。
だから僕はカーグが嫌いです。
(『アークザラッド 精霊の黄昏』ディベート篇カーグ)
でも実は、日本でこそこういうキッパリとした物言いが特別な緊張感をかもし出すわけですよ。しかも中学校のホームルームという、誰もができれば何事もなく終わってほしいと思っている空気の中、あえて自分の主張を前面に押し出すというシチュエーションにグッとくるわけです。この二人は、そこまでしてもそう言わなければならなかった。これはアメリカ人がガキの頃から叩き込まれている日常的な自己主張ではありません。もっと重要で、切実な思いがこもっていると思えてしまうわけです。
……ってよりは、いまの世相を反映させようという狙いのほうが大きいんだろうとは思いますが。でも好き。
友人が数人『スカイハイ』(テレビ朝日)にはまったというのでなんとなく調べてみたら、第十死の演出が北村龍平だったので、見てなかったことを切実に後悔した。第一死、第二死は中原俊が演出してるし、DVDで見ないとまずいかも。
で、映画化も決まって、北村龍平が監督するというわけで、北村龍平関連のメモ。目新しい情報じゃないけど、自分のために。
本当にこれだけやるのか……「一人ドリームワークス」だな。
クエンティン・タランティーノ監督、千葉真一出演の最新作 "KILL BILL" 関連のメモを、なんとなく北村龍平の流れで。
殺陣、カンフー、ヤクザ、千葉真一、ぜったいおもしろい。
BOOK asahi.com の「作家に聞こう」のコーナーが江國香織だった。使われてるポートレートを見るとものすごくやつれてる気がするんだけど、大丈夫なんだろうか。でも、インタビューを読むとちょっと納得する。
一般的に言う「いいこと」は何もしていません。でも、お酒でも煙草でもなんでも楽しめるものは精神的にも身体にもいいと思っていて。ですから、ここ数年、毎日夜遊びしていることは、すごく身体にいいことだと思っています(笑)。喫煙者としては「精神的にも身体にもいい」という点でまったく同感ではあるんだけど、このほかにも「1日の睡眠時間は平均3〜4時間」とか言ってる。小説の雰囲気と作家のそれとは必ずしも一致しないとよく言うけど、この人は小説の雰囲気に反して、「不健康」な生活をしながらもしぶとく生き残るような、伝統的な「作家」らしい人なのかもしれない。
村上春樹は「毎朝ジョギングを欠かさない」みたいなエピソードで健康なイメージを維持してるけど、やはり特殊な例なのか。
_ 高橋源一郎はいま鎌倉に住んでるんだ。大船ぶらついてたりしないかな。まぁ、見ただけでどうってこともないだろうけど。
_ ゼミの卒業生を送る会に参加。ひと言を求められて喋っている最中に涙ぐんでしまう卒業生女子を見たりすると、心が洗われる思いがする。なかなかよいかんじだった。
来年はちゃんと泣けるだろうか(いらない)。
23日の「インサイター」を読み、その勢いで森川嘉一郎『趣都の誕生』(幻冬舎)と宮本みち子『若者が〈社会的弱者〉に転落する』(洋泉社)を注文した。
オタクや引きこもりにまつわる問題は、自分も含めてなかなか深刻な問題だと思えて仕方ない。僕はそこに片足をつっこんでいると思うが、決して深刻な例ではないとも思っている。でも、自分のことを深刻だと思えないほど他に深刻な例は多いと思うからこそ、総体としての問題が本当に深刻だと思えてしまう。
ここで考えるべきだと思うのは、まず「社会からの逃避」という現象を、解決しなければならない問題として捉えたほうがよいのかどうか*1ということ。そのとき「社会」という言葉をどう使うかが重要になってくる。人同士が関係することによって生まれるのが「社会」だというのが一般的な捉え方だろうけど、もしかすると、ただたくさんの人がいるだけでも「社会」と呼びうるかもしれない。「関係」あるいは「コミュニケーション」の定義を広げ、「生身の」コミュニケーションだけでなく携帯電話やインターネットなどを介して行われるものまで含めると、全体像が不透明でいまのところ誰も捉えきれていない。もう少し詳しく見てみれば、「関係」がないと見えていたところにも「関係」は見えてくるかもしれない。
こう考えてゆくと、広く言われている「社会からの逃避」が果たして本当に逃避なのかどうかもわからなくなってくる。もちろん従来の意味での「社会」からは「逃避」していると言えるだろうけど、それは来るべき社会*2に移行する過渡期(=今)だけ問題視されてしまうものかもしれない。
でも、それが良いことなのかどうかはまだわからない。
著者自身は秋葉原のオタク化を都市の自然発生的な「個性」として最終的には肯定しているわけだから、そもそもの立ち位置が違うんだろう。でも僕は、飯島氏の懸念が分かる。山形氏のような社会的成功者は、日本が趣味の世界に自閉していっても生きていけるだろうけれど、趣都に日本の未来の可能性を見出して肯定するのは、まだちょっと早いような気がする(ちなみに山形氏自身は肯定も否定もしていない)。
と真実一郎・オブ・ジョイトイさんは言っているけど、僕もほぼ同じ立場をとる。個人的にはオタクや引きこもりの気持ちもわかるのだが、同時にそうなる/なっていることには警戒心も持っていて、全肯定することはできない。
現在の状況が解決すべき問題であるとすれば、どのような方策をとることができるのか。たとえばよく言われるように、「古き良き」慣習を復活させようというナショナリスティックな動きが正解なのかどうか。「逃避」が止められない流れであり、「逆戻り」を実現するのが不可能なら、いまの流れをどこに、どういうかたちで帰着させればよいのか。その流れ*3を作り出すためにはどうしたらよいのか。
この問題が気になるもう一つの理由は、とても「社会的」な、「普通」の若者たちがたくさん周囲にいる一方で、「非社会的」*4な若者たちもいて、僕がそのギャップに翻弄されているからだ。自分の見ている景色をすっきりと理解したくてしょうがない。また、自分の中にもそのまま同じような矛盾があると思う。
といったテーマを片隅に持ちつつ、2冊が届くのを待ってみる。
いずみさんの「幸福な人生 Way Over Yonder」を読んだユッカさんの「ウラチェリ。」から。
「女はバカだけど、男はちんこだよ」男とはいえあまりちんこではないが、ある意味バカではあるかもしれない自分は女なのか。と思ったので男脳女脳診断をやってみた。
(男脳度数:52.5%/女脳度数:47.5%)
あなたは、極端な考え方をせず中性的な考え方を持っており、融通が利くため、問題解決の時とても役に立ちます。冷静で論理的に物事を考える男性的な部分と、感情豊かにコミニュケーションをとれる女性的な部分を、両方持っており、また、考え方が理解できるため、異性、同姓を問わず、たくさんの友達ができます。ただし、恋愛に関してはポリシーをもって友達で終わらないように注意しましょう。
気をつけます。じゃなくて、平均的な中性脳。これといって女でもないという結論に。普通。
公開されました。ポスターのURLからじゃなく BREAK TOWN CINEMA のほうから入らないと見られません。
女子高生だったこともなければ、内気な女子高生からほのかな想いを寄せられたこともない身としては、登場人物の誰かに感情移入して見るということはできず(上ではできるようなこと言われましたが)、自然と岩井俊二の演出家アイに同調するようなかたちで見ていました。
そうやってるとだんだん、陽気のいい日に野良猫をゆったり眺めているような感覚になってきました。花とアリスという生物はまったく理解不能なんだけど、その奇妙な生物を観察する視線がやわらかいというか、やさしい。女子高生なんてほとんど不可解で奇妙な生物だけど、それはそれで好奇心をそそられる。でもこちらから出しゃばって何か影響を与えたくはないし、少し離れたところから生態を眺めてるだけで愛しいというかんじ。眺めるといってもストーカーではなく、動物ドキュメンタリーのカメラマンとか生態学者のような姿勢。これが、とても気持ちよかったです。ひとつ学んだ気がします。
次は7月というのがちょっと残念。ゆっくり待ちます。
はてなアンテナの「antennaモジュール」みたいなものをここにも搭載したいなーと思って探しはじめたら、ちょうど昨日rss-recent.rbというtDiaryプラグインがリリースされたのを発見。でも、どうやらライブラリをインストールしないと使えないらしい……残念。
RSS 自体は rss-jp.net から提供されているので、これを自力で解析するスクリプトを書くか……でもそれだと「はてな → rss-jp.net → xrea」と3ヶ所に負荷がかかるわけで、いきなりはてなアンテナをパーシングするスクリプトを書いたほうが早いか。ヘッダやフッタに<li>を使ってなければ、行頭に<li>がある行を切り分けるだけで済みそうだし。
……と思っていろいろやってたら、URLを使ってデータを取得するあたりでうまくいかず、あっさり挫折。スキル不足です、押忍。
_ と思いつついろいろやってたら、できた。 http://rss-jp.net/easyparse.txt を改造させていただきました。はてなアンテナのシンプル版からほしいところを切り取ってくる仕様。でも微妙に重くなった気がしてどうしよう。
で、軽くしようと思ってはてなアンテナの表示設定を減らしてみたけど、シンプル版は全件表示しちゃうのね……とガックリしつつ設定ページをよく見てみたら、はてなアンテナはLIRS互換、HINA-DI、HINA互換の更新データを吐いていた……あるとは思ったんだよなぁ……みつからなかったよ……。
疲れた。すぐ切り替えられそうだけど、とりあえず今日はこのまま寝る……かと思ったら5分でできた。残る問題は、これでもまだ重めなことと、アンテナで上がりまくってしまうことか。でもそこまではさすがにつらいので今日は寝ます。グゥ。
ベーマガ休刊か……延々と掲載されているソースコードの未来的なカッコ良さにクラクラさせられたことで、人生が大きく動いてしまった気がする。/.J のコメントを読んでいると、そんな人は多かったのだと思わされる。 PC-6001mkII や X68000 の頃、よくお世話になりました。といっても、それほど打ち込まなかったけど(大変ではあった……)。
それだけじゃなく、ベーマガにはアーケードゲームのハイスコア集計があったことも大きい。僕は「スコアラー」にはなれなかったけど、「たかが」ゲームのハイスコアページのほんの一部分に自分の名前を載せるためだけに、超人的なコストと情熱をつぎこんでしまう人たちがいることを知っている。彼らのプレーは本当に芸術的で、感動的で、人間を超えていた。個人の想像する限界の先に、とんでもなく広い領域があるのだと思わされた。人が本気で競っている中でトップに立つためには、どれほどの努力が必要なのかも教えてもらった。その努力が、ときには人生までを傾けてしまうことも。
良くも悪くも、「この雑誌がなかったら、いまの私はなかった」という表現が誇張にならない。「いまの私じゃない私」もちょっと見てみたかったりはするけど。
今ではプログラムの配布もハイスコア集計も、ほとんどがネットワーク上でできるようになり、「未来」だと思えたソースコードも、ただ使うだけなら見なくて済むようになった*1。本当にやってくる未来と、あるとき思い描く「未来」とは、しばしば違うものだったりする。それを感じさせるから「ベーマガ」休刊をさびしいと思うのかもしれない。
*1 実はフロッピーディスクのあたりからそうだったんだけど。
_ 必要ない限りは外出せず、外に出てもあまり寄り道しない生活をここしばらく送っていたので、新刊や新譜の情報に疎くなってしまい、ストレスがたまっていた。でも、今日ひさびさに本屋とCD屋に行ったら、次々にほしいものが出てきて逆に困るということがわかった。難しいなぁ。
外出はしてなかったけどやらなきゃいけないことは多かったわけで、忙しいというか気の休まらない日々を送っている。そんな中、某企業の説明会予約の〆切がすでに過ぎていたことがわかり、ちょっと凹む。わりといきたかったんだけどなぁ……もうやらないんだろうか。
ページ表示が重めになった問題は、はてなアンテナ部分を日記本文よりも後で表示するように構造をいじって多少マシになった。アンテナが反応しまくるんじゃないかという心配も、大丈夫みたいだ。JavaScript を使って埋めこんでるので、ソース上は変更がなく、アンテナからも見えないらしい。よかった。
……こんなことやってるから忘れるんですね。でも、やらないとやってらんないんです。
_ テレビからつい最近聴いた覚えのある曲が流れてくると思ったら、「花とアリス」のCMだった。ネスレも気合入れてプロモーションしてますね。
就職活動においては、やたらと「自己分析をしましょう」と言われる。んでもそんなことをしていると、どんどん自分のことが嫌いになっていってしまう。そのテの本には、ご丁寧に「自分を過大評価してみよう」なんてアドバイスまで書かれているわけだが、これも一種の暴力だなぁと思いつつ、ポジティブに解釈されるであろう限られた特徴の中から自分に近いと思うものを選び出し、それに裏付けを与えるべく自分をマインドコントロールしたり、矛盾しないような論理を組み立てたりしてボロを出さないように準備することになる。でも、これは明らかに「自己分析」ではない。そこに「自分」があるか? と考えてみると、鉄板で「ない」。「本当の自分って何?」なんて青春ソングっぽく問うてもしょうがないのはわかるが、「本当の自分」の皮をかぶせながら暗に「演出してこい」と要求してくるという構造がいやなのだ。
と、明らかに負けそうな姿勢になっている。まずいよなぁ。文庫になった埴谷雄高『死霊』が読みたくなってたりするし。「自同律の不快」、自分が自分であることが不快*1。これを吐露する正直さは、いま自分がいる文脈上で決して「良い」ことにはならないのだ。「自己分析」するとき、自分に踏み込んではいけない。
*1 単純化しすぎてるかも。「自分のことが嫌い」ってことだけじゃなく、「私は○○である」という決定論を拒否しつづける姿勢でもあるらしい。
しかしまぁ、こんなときばかり都合よく「夢」だの「情熱」だの「幸せ」だのが出てくるよなぁと感心してみたり。このインフレ状態から本物と偽物をより分けていく人たちの苦労を思うと気が重くなる*1。ふと、学校のセミナーに来ていたある人事担当の言葉が頭をよぎる。
「これ(就職活動)は儀式ですから。儀式だと思ってあきらめてください」あの人は正直だった。もう会社名も忘れちゃったけど。
*1 反面、それほど難しくないかもしれないし、楽しそうだとも思う。
ADSLにしてFLASHを見まくっている友人から教えてもらった、 Trevor Van Meter の "FlyGuy" 。和田誠っぽい。
個人の回想なんて他人が関心を持つものではないというのは承知しているつもりですが、エンターテイメント化の足りない排泄行為の一種としてご了承ください。
今日も引きつづき、就職活動に対する熱の低さに困る。困っているだけで一日が終わるのはかなりもったいないが、困らないこともできないから困っているので仕方がない。熱がないのに困っていないよりはまだマシであろう。
「働くことは生きること」と言うけど、限られた人を除いて通貨という共通交換価値を労働の対価として得なければ人間の生命維持に必要な資源を入手できないので、この命題は正しいと言える。ただし、おそらく人間が働くのはただ食べ物を得るためだけではなく、住居や衣料、その他の生活インフラや福祉サービス、嗜好品などを手に入れるためでもあるだろうし、また社会的評価や人間的つながりを手に入れるためでもあるだろう。労働はそんなに単純なものではないが、まず大元では「飢えない」=「死なない」という意味での「生きる」ことを目的としている。
生きるためには働かなくてはならない。これはほとんどの人が疑う余地のないことと捉えている。しかし僕は、まず生きる理由がわからなくて小学校のときからコケてしまった実績をもつ人間である。「生きるなら働く」のはわかるが、「生きる」がわからない。生きる決断に至っていない。こういう疑問は今までに何度も浮かんできたもので、そのたびにいろいろと考えてもきた。
この種の疑問が、特に若者にはありふれたものであることも知ったし、これまで本当に多くの人が考えあぐねてきた問題だということも知った。その結果、共通した答えが出たわけではないこともわかった。宗教だの「生きがい」だのエロスだのなんだのかんだの、色々な人の暫定的な結論を総合してみただけでも実にバラバラで、それは暗に答えの不在を例証しているようでもあった。この問題について議論をすると、議論が盛り上がるわりにあまり実がない。どこかで聞いたことのある結論が出るか、ほとんど共通理解が生まれないまま「人それぞれ」で話題を変えるかのどちらかになる。せいぜいストレス発散にはなるかもしれないが、逆にたまってしまうかもしれない。実は他人との話題にはあまり向いていないと思う。
同時に、この種の疑問が逃避の一形態であるともよく言われる。生きることが自明であるという前提に立った批判だ。この種の主張に根拠を与えるのは、次のような言い分だ。「生きたくないのなら死んでしまえばよい、しかしおまえは自殺できるか? まだ生きているではないか。できないのなら、生きなければならないだろう」云々。「この世にはおまえよりも苦しんでいる人が大勢いるんだ」云々。もっともである。「生きたくない、でも死にたくない」というのは甘えに過ぎない。どうせ生きるなら、積極的に生きたほうが得をするはずだ。うーんたしかに、積極的に生きたほうが得をするのはわかるけど、やっぱり生きることを自明視していないのであまり乗り気にならない。
それでもなお、生きることを自明視できない。この疑問を引きずって日常生活を送るのは、なかなか面倒だ。「自分から死を選ぶ積極性」を持ち合わせず、かといって逆方向の積極性も持っていないのである。
この種の疑問は周期をもって浮かんでくるもので、時間が経てば過ぎ去ることも知っている。寝て起きたらまるで疑問とは思わなくなっていることもあるし、突発的な事件があるだけで消え去ってしまうこともある。今日だって、あと1時間くらいしたらどうでもよくなっている可能性はかなり高い。こうした性質を根拠に「大したことではない」と言う人もいる。反論の難しい主張だ。
でも、この疑問はこびりついている。いつもこびりついている。疲れる。
昨年発表された日本人男子の平均寿命が78.07歳。いま26歳で死ぬ*1と、ちょうど平均寿命の1/3で人生を終える。つまり通常の3倍速で人生を終えることになり、赤い状態になれる。遺言にはこうある。
機体性能は30%上回っていたにすぎませんが、操縦技術が優れていたために3倍速で人生が終わってしまいましたう〜ん、これはこれでおいしいけど、まず生き残るだろうなぁ。
病気や戦争のために亡くなってしまう同世代に対して不謹慎なので、このへんで。自己分析なんてするもんじゃないな(だったのかよ)。
*1 26歳のとき、松尾スズキは「大人計画」を立ち上げ、ディック・ブルーナは初めての絵本『りんごちゃん』を出版し、石川啄木は病死している。
_ サーバ負荷率トップ50にランクインしてしまったらしい。まだ凍結されるような負荷率じゃないみたいだけど、PVが少ないのに負荷が上がってるのはいただけない。はてなアンテナ取込みCGIをつけた直後っていうのがかなりあやしい……様子を見てダイエットを考えよう*1。
画像とか上げてたら、容量も増えはじめてるんだよなぁ。
*1 いまは毎回はてなを読んでいるのを、キャッシュを作って30分ごとに更新とかに変えられればいいのかも。以下メモ。ええと、タイムスタンプ(stat関数、ファイルテスト演算子-M/-A/-C)と現在の時間を比較して30分以上経ってたらはてなを読みに行って新しいファイルを作って前のファイルを削除してリネーム、か。
4063611140買わなくちゃと思っていながら買っていない、安野モヨコ『花とみつばち』<6>(講談社)。連載では急展開している小松と太田がいいかんじになるあたり、だと思う。買わなくちゃと思いながら買っていない本を紹介してしまうのもどうかと思うが、アマゾンのアソシエイトプログラムのIDが発行されたので、とりあえず使ってみたかった。
負荷率が上がったにもかかわらず新たなプラグインを導入してしまうのもどーかと思うが、以下同じ。
ただいま。買ってきました。太田と遠藤が「再会」するところがイイ! せつねー! 一方の小松にはあまり変化がないのでどうでもいいかんじかも。
でも、普通の恋愛ものになっていってる感は否めません。オニ姉妹のエステは廃業させちゃって、退路もないぞ……。
_ 4047213926朝日新聞3月16日山形浩生書評:森川嘉一郎『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』(BOOKアサヒコム)
朝日新聞3月23日高橋源一郎書評:大塚英志『キャラクター小説の作り方』(BOOKアサヒコム)
大塚英志編『新現実』Vol.2(角川書店)[特集]天皇制への立場:宮台真司、福田和也、上野俊哉など。新海誠の漫画はありません。宮台・福田を並べたところが、さすがというかんじ。特に福田和也は「ブルセラ論争」の後で「(宮台真司とは)できれば関わり合いになりたくない」という内容の発言をしていたはず……でもそれも、もう10年近く前のことなんだよなぁ。
とりあえず本屋いってきます。
映画『アップルシード』の製作に、『ピンポン』の曽利文彦が加わっていたということがメインの話題らしい。いつから参加してるのか知らないけど、製作発表はちょうど1年前でいまこんな発表でよいのだろうかというかんじ。技術発展も一時期より遅くなったとはいえ、フルCGものに時間をかけすぎるとどんどんショボくなってしまうリスクはまだまだ怖い。
主演っていうか主人公のモーションを担当するのは三輪明日美。彼女は庵野秀明監督『ラブ&ポップ』でデビューしたはずだけど、『ガメラ3』でガメラに驚く渋谷の女子高生とか、それ系の仕事が多い。
見出しからツッコミどころの多い記事だなぁ。
_ 今日のネタは全面的に「ARTIFACT —人工事実—」さんに負っているわけですが、もう一件メモしたいことがありますすいませんすいません。
テキストサイトもやってるしHTML手書きからtDiaryに移ってMovagleTypeも使っているもののツール類は全般に遅れて導入した立場として、少し歴史を勉強しないと。とはいえ、対立点はなんとなくわかるけど、どこに肩入れしていいやらわからない……どれも便利だし楽しいです(本音)。
_ 相変わらず負荷率が高かったので、はてなアンテナを外してみた。
左コラムのタイトル一覧表示は月末に行くほど数が増えて負荷も高くなるわけで、月が変われば少し良くなるかもしれないけど、根本的解決ではないしなー。