エレベーターの中が舞台のショートフィルム集。すべて監視カメラ視点の映像で、ちょっとドリフのコントみたいだけど、わかりやすいギャグは少ない。6Fの「エンドゲーム」が面白いです。
初期三部作を読み進めています。角川文庫版を読んでますが、注も解説もおもしろい。
スマート・モブズのときに、ここを引用すればよかった。
平岡はとうとう自分と離れてしまった。あうたんびに、遠くにいて応対するような気がする。実をいうと、平岡ばかりではない。誰にあってもそんな気がする。現代の社会は孤立した人間の集合体にすぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら、たちまち切れ切れになってしまった。家の中にいる人間もまた切れ切れになってしまった。文明は我らをして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。
(122頁)
僕らはもっとバラバラか? それとも再び結びつきはじめているのか?
_ 負荷率がかなり高まっているので、タイトル一覧表示プラグインを外しました。
へぇー。知らなかった。
バンダイは、フジテレビ系の人気番組「トリビアの泉」に登場するアレを実物大で商品化した「1/1へぇボタン」を11月初旬に発売する。価格は1980円で、2004年3月末までに10万個の販売を見込んでいる。へぇー。
へぇー。引用に脚色はしてません ( ・∀・)つ〃∩
7月24日に朝日などで流されたものを、いまさら毎日が。ネットだけじゃなくて、今日の夕刊の一面に持ってきてました。なんで?
過去を「過去」として処理することが、すごく苦手だ。そういうところだけ妙に記憶力が良く、特に嫌な思いをしたりすると実によく覚えている。「思い出は時とともに美しくなる」なんてこともまったくなく、その良い面と悪い面は等価値で記憶され、なかなかノスタルジーに浸ることもできない。たとえば、今でも簡単に中学時代の暗澹たることを思い出したりして沈んだ気持ちになることができる。この例では実際に出身中学の前を通るのとかなり危険なのだが、最寄り駅へ行くためには通らざるを得ないので、もう慣れてしまった。思い出さないのではなく、思い出すことに。
もちろん些細なこと、自分とそれほど関係ないと判断されるものや、末節についてはは忘れてゆくのだが、自分に関係のあることや、その核心にあった感情については生き生きと保存されている。たとえばネガティブなことだったら、それがいかに嫌だったかということはきっちり保存されてしまう。ポジティブなことも同じように記憶されるわけだが、普段から物事のネガティブな面を捉える傾向が強いために、自然とネガティブなものがより多く蓄積される道理となる。
「時間が解決するだろう」という類の読みも、僕に関しては通用しない。傷はいつまでもジクジクと湿ったままだ。もしPTSD(心的外傷後ストレス障害)みたいなものがあったとしても、ASD(急性ストレス障害)と大して変わらない出方をしているだろう。「ポスト」になりづらいわけである。
だから、「思い出話」もできない。古い友人と昔の思い出を話すことはできるものの、「あの頃は良かったよねー」と来た場合には、心から同意することができない。時間とともに悪い面が覆い隠されてゆくという作用がないために、良い面があったとしても、同時に悪い面が思い起こされてくる。実に不便である。未来のことはわからないけど、この先も何かが「古き良き」と形容された場合には同意することができないままなんじゃないかと思う。
ポジティブなものとネガティブなものが等しく、あるいはネガティブな面のほうが多く残ってしまうとしても、それは芯のところにある細い繊維さえあれば十分だと思う。その核心にあったものの乾き具合が足りていない。周囲に付いているものが乾いて軽くならないと、重くてつぶされそうになる。そしてできれば「美しい」かたちに姿を変えてゆくことが望ましい。そろそろ脳細胞が衰えを見せてくる年齢のはずなので、そこにある熱が少しでも冷めてゆくことを切に願っている。人はただ情感の衰えにしたがって自己を統御しやすくなるだけだと言ったのはモンテーニュで、それを引用していたのは伊藤整だ。
中村真一郎について検索していたら、淘山竜子「宝のありか ネット小説に関するエッセイ」(10-minute novels とうやまりゅうこ短篇選)がヒットしました。「谷崎潤一郎『刺青』をもしネット上で見かけたら、拾い上げることができるだろうか?」という不安。
自分の評価能力に対する不安感というのは常にありますね。有名な批評家も、いきなり無名の新人を採り上げて名をなした人はいないと思います。日本文学の場合、だいたいは漱石論や鴎外論で有名になる場合が多いし、外国文学も同様でしょう。特に外国の場合は、作家の前に対象とする国が西洋かそれ以外の国かの時点でヒエラルヒーが出始めると思います。
といってもあながち無根拠なことではなく、多くの人が対象とするであろうメジャーな国/作家/作品を扱いつつ、それが優れていると認められれば、激しい競争を勝ち残ったことになるんだろうと思うんですが。かといってマイナーなものを扱う人が優れていないというわけにはならないでしょうが、批評に対しても再度「評価能力への不安」が襲ってくるのではないでしょうか。
有名な批評家が扱ったとしても、後世に残るものはさらに一握りですから、有名な批評家の評価もまた最終的なところではアテになるかどうかわかりません。
「ネット文学」は、量の問題もあってまだ手を出したことがないんですが、どういう状況になってるんでしょうね。砂漠の中に落ちているダイヤモンドは拾われないまま砂漠に眠り続けるのか、あるいはすべての粒がダイヤモンドの「ダイヤモンド漠」にダイヤモンドとしての価値はあるのか。いずれにしても情報量が増加したところでいかなる評価を行えばいいのかというのは、現在の大きな問題だと思います。ネット上であっても、すでに権威がほめているものや、多くの人がほめているものがほめられやすいという傾向は同じくあると思いますが。
たとえばこせきさんは「個人が気に入った日記を挙げていくと、スター型ではなくウェブ状につながるのではないか」と直観されていましたが、もしかしたら文学でもそういうことはあるのかもしれません(「好きな作家は中谷彰宏」と言われて大きなショックを受けたこともあります)。そのとき価値とは、最終的に個人にしか根拠を求めることができないものだということになるわけです。
「自分は好きだけど、他人に薦められるかどうかは……」とか、「一般にはウケるだろうけど、個人的には好きじゃない」みたいな言い方も多くされていると思います。「『名作』とはなんだ?」と問い始めると複雑になってしまいそうなので、このへんで。
自分の不満だらけの日常を見せびらかすためだけに、それをストーリー仕立てにして発表するのではなく、一つでもいい、何か狙いを持って、キーボードと向き合って欲しい。
という部分も心に留めようと思います。
躁鬱と鬱は原因遺伝子が違うのか、ってあたりとかが気になる。
東浩紀がはてなダイアリーに参入した当日に「はてなが荒れるからやめてください」というメッセージを日記のヘッダ部に表示し、その後も「hazuma∞増殖計画」なる企画(?)をやったりしていた hitomisiriing がオフを企画したら、しっかりヲチしていた本人が降臨宣言をしたと。
なんつーか、かまって君がかまってもらってとてもうれしそうなのが妙にほほえましい一件である。
鈴木みそさんの日記で知った新しいオモチャ*1。日本では2ヶ月前くらいに発売。国際宇宙ステーションでも遊んでるらしいですよ? 例によって「ストリート」っぽいプロモーションで、ホットドッグプレスやコロコロコミックでも既報。コロコロということは、例によって「名人」が出現するものと思われる。
*1 実は数年前からあったみたいですが。
だいたいの喫煙本数を入力すると、将来の寿命や今までかかった総額を計算してくれるツール。さっそくやってみました。1日平均20本なので時間帯ごとにだいたいのところを割り振り、1箱の値段は最新の値を。結果は下の通り。
うーん、3年半しか変わらないなら寿命は禁煙への決定的な動機にはならないかも。でも金額はけっこう大きいですね、ガリガリ君89100本分。今まで吸った本数や箱数も出るとうれしい(or 悲しい)かもしれない。実際には、現在かけたお金はもうちょっと少なくて、将来的には値上がりでもっと大きい額になるんでしょうね、たぶん。
3日から公開してたみたいです。単行本1冊280〜300円、有効期間は80日。池田理代子、折原みと、里中満智子、石ノ森章太郎、水島新司、さいとう・たかを、手塚治虫、水木しげる、高橋葉介、新田たつお、立原あゆみなど、シブめの作家が並ぶ。注目は神矢みのる『プラレス3四郎』ですが。
この価格で有効期間までついてたら、ちょっと買う気にはならないかも。ここでしか手に入らない本ばかりなら別だけど、まだ手に入るものが多いし。オンライン・コミックでは、講談社の e-manga もライブラリーは1話200円と高い気がするし……まだキラーコンテンツにはなりそうにない感じ。
※追記:提携先の 10DaysBook(イーブックイニシアティブジャパン)を見逃してました。ISP にミラーがあって、決済をまとめることもできます。こちらのラインナップはマンガ・総合図書ともに充実してました(東洋文庫も……)。
トップには「パソコンにダウンロードしてずーっと読めます」と書いてあって、他に有効期間についての記述もみつからなかったけど、ないんでしょうか? だったらヤフーのは何? 価格は同じらしいし。
青空文庫をひやかしていたら、トップページの「直面した課題について」というリンクに気がついた。青空文庫の運営についてはほとんど知らなかったけど、色々あるだろうとは思っていたのでクリック。さらに、夏目漱石を物色していたこともあって、言文一致体の形成に大きな影響を与えたという三遊亭圓朝に心惹かれてクリック。
大きな問題となったのは、底本の親本である『圓朝全集』の校訂・編纂を行った鈴木行三氏の役割をどのように評価すべきかというところ。彼に関する調査が困難を極める。他にも圓朝の死後、著作権を継承した人がいたのかどうかや、高座を記録した速記者の著作権など、様々な問題が絡み合う一件だった。そして最終的に『圓朝全集』を元にした電子文庫の作成に踏み出すことになるまでを記録した文章。
読み進めるうちに、頭の中では『地上の星』が流れはじめた……できる限り校訂者の役割を尊重しようとする姿勢も感動モノです。入力と校正だけじゃなくて、他にも色々と苦労があるんですね。青空文庫の有難味が増します。
が日記に上がっています。引用すると怖そうなのでしませんが、気に入った模様。沖縄のホテルのトイレで読んだそうです。
似ている名前についてはひと言も触れられていません。残念。
正確には「闘うイラストーリー・ノベルスマガジン『ファウスト』創刊記念 太田克史編集長インタビュー」です。1人ですべての作家を担当してるっていうのはすごいですね。
……だから編集長の僕は『グラップラー刃牙』でいうところの徳川会長みたいな存在ですね(笑)。
シベリアのウラン採掘場から伝説の巨人を探し出してきて、人の5倍くらいある大蛇と闘わせてほしい。
ミステリ好きのみなさんの間ではかなり盛り上がっているらしい『ファウスト』ですが、個人的にはどこか遠くのほうから祭りの音が聴こえるなぁというかんじ。いや、好きとか嫌いとかイイとかダメとか言ってるのではなく。ちょっとうらやましいような、そうでもないような。
ネット上のコミュニケーションとか、そもそも「批判」とはどういうものかとか、そういった点でも色々考えさせられる一件だけど、それより何よりも「喧嘩を売る」というシンプルなやり方がやっぱりこれだけのインパクトを持ってしまうところに、改めて驚く。相手が大きかったり、有名であればなおさら。
いかに卑怯のそしりを受けてもテロを選ぶ人は途絶えない、んだろうか。
このところ突然負荷率が300pt近くまで高まる日が何度かあって、何が悪いのかと思ってたら、今日もそうだった。どうもコメントが入った日に高くなってるらしい、とアタリをつけてみる。
設定のせいか、sendmail を使ってコメントをメールで知らせてくれるプラグインがうまく動いてなかったんだけど、それがまずかった模様。ひとまず comment_mail-sendmail.rb を外し、 recent_comment.rb にして様子を見る。
tDiary のアップデートでディレクトリも自分の頭も混乱ぎみ……一度整理しないとなぁ。
うわ、いま窓の外にヤモリだかイモリがいるんですけど、びっくりした。寺田克也さんとこみたい。おれも会話してみようかな。ヤモリだったら縁起いいなぁ。腹側がほんのりピンク色でかわいい。カメラ付き携帯もデジカメもないことを悔やむ。
腹が赤いのはイモリらしいからイモリかなぁ。でも池や川に近いわけじゃないし、両生類がいていいのか?
アラブ系の人のブログは Whare is Raed ? などなど見たことありますが、アラブ語で MT 使ってるのは初めて見た。でもリンクをたどってみると色々発見できるから、いままで見逃してただけなんだろうな。Matrix や Winamp 、 Redhat の話題が出てたりするのを見ると、アラブ語であっても普通に友達になれそうな気が、ちょっとする。
あぶなっかしいファイルが上がってるので直リンクはいたしません。今回はコメントもらうと大変そうだし。
カウンタが2万を超えました。アンテナやブックマークに登録してもらうことも増えてきて、これだけテーマ性のないサイトにこれだけ人が来ることに驚いたりしてます*1。
僕の的の定まらない好奇心を活用(?)できそうなものは今のところ Web くらいしか思い当たらないので、これからもぼちぼち続けていこうと思います。感謝。
*1 実は半分くらい検索結果からだったりするんですけどね。
カーボネイテッド・ミルクっていうとすごくカッコ良さそうですね。バニラ・カプチーノ、ブラジリアン・チョコレート、チョコレート・ラズベリーの3種類があって、すでに学区から注文が入ってるそうです。ドン.キホーテあたりに輸入してほしいなぁ。
でもニューヨーク市からは炭酸飲料が少なくなるらしい。結局のところ、アメリカ人は炭酸が好きなの? 嫌いなの?
やっぱりアメリカでもマズジューに見えるみたいですね。
すげぇー。本宮ひろし系が伸びてるのは知ってましたが、次原隆二系が伸びてるのが意外でした。なんかダビスタの話みたいだな。
ジャンプにこだわらず、手塚系/非手塚系の系統図も見てみたいです。
βテスターは現在募集中ですが、先着1万人らしいのでもう埋まってそう。権利がなくてもコンピュータ対戦はできるらしいです。
うう、やりたいけどやめとく。
映画美学校の講師を務める黒沢清が、学生に現場の空気を実感させることを大きな目的として手がけた作品。でも監督本人が特典映像で述べるところでは「商業映画の」現場を意識したわけではないそうで、武田真治と唯野未歩子を主演に迎えてはいても、専門学校の学生が作った自主映画という雰囲気が全編にある。
これは黒沢清の作品の中でも本当に「語りたくなる」タイプの作品というか、語ってしまうと「オレってばこういうのも理解できちゃうんだぜフフフン」的な香ばしさを醸し出してしまいそうで、できることなら僕をそういう文脈から切り離してほしいなぁと思いつつ、ほぼ完全にあきらめながら、震える唇で「僕はこの作品が大好きです」とカミングアウトしておく*1。
さらに頬を紅く染めながら、この作品のテーマが「永遠の愛」であることを付け加えておく。
*1 そのうち、もっと長い感想を書いてしまうかもしれない。
だそうですよ。どうも海外主導くさいかんじ。みんな行くんでしょうか? Global Flash Mob や 2ch とのカラミなどはまだ調べてないんですが、ちょっと時間がないのでまたあとで。
追記:HuntingGirledCollective にもアナウンスの書き込みを発見。どうも Flash Mob を採り上げた MT サイトを中心に Alien Coruscater または A.C. 名義でコメントしているようです。僕が知ったのはここ。
HAGAKURE理論の Sick さんによれば、2ch オフ板への展開は今のところないようです。
【参考リンク】SmartMobs.com を探索してたら、パリでまたフラッシュ・モブが行われていたことを知りました。すっかり見逃してたよ。今回のコードネームは "Pot-Pidou" 。
9月2日、場所はポンピドゥ・センター。19:00、参加者はセンター前の広場に集まり、持参した傘を開いたり閉じたりしながら歩きまわる。その後、金の巨大な植木鉢*1の周りに集まり、「雨が降るまで鉢の周りを歩こう、そして金色の花を咲かせよう」という唄、というより雨乞いの「呪文」を唱えながらグルグルと歩き続け、19:15分ごろ解散という流れだった模様。
参加者は事前に「自前の傘を持って、2日 18:53 にセンターの隣にあるストラビンスキー公園の噴水*2のところに来てね」と知らされていただけで、当日「指令」が伝えられたようです。ちょっと「俺に騒ぐオフ」と似た展開ですね。
ついでに拾ったネタですが、ニューヨークでは10日で Bill が主催するモブは終了したそうです。 Fred のレポートでは Bill (おっさん) の写真を見ることができます。とりあえず、おつかれ。
左下のボタンを押すと、世界地図上に Global Flash Mobs 参加地が光ります。
昨日は素通りしてしまったので、もう一件経由して 9.11 関連。
「9.11 を忘れるな」ということで、NYテロ事件に関する写真の投稿をフォト・ブロガーに呼びかけています。
ツタヤにビデオを返しに行ったら、着いたところで借りてたDVDをまるごと置いてきたことに気づいた。ビデオを取りに帰ってもう一度ツタヤに着いたところで、半額キャンペーンのクーポンを印刷し忘れてたことに気づいた(Web が見られる携帯も持ってない)。ビデオが1本無料になる更新のお知らせハガキを持ったところで満足してしまったらしい。
「まぁ1本無料でいいや」と思い直し、カウンターにDVDを返したら、2枚借りてたDVDの片方が入ってない。そういえばプレーヤーに入れっぱなしにしてた。また明日行かなきゃ……。
産経が多いのは、リンクの永続性・シンプルなURLなど、使いやすいからです。
容疑者:26歳 被害者:15歳(中3) 場所:新潟県村上市→佐渡郡
容疑者:不明 被害者:11歳(小6) 場所:福島県須賀川市→白河市
容疑者:28歳 被害者:12歳(小6) 場所:福岡県久留米市
渋谷
なんだかなぁ。
「指令」のページが更新されてました。
どうやら、誕生日によって2グループに分かれ、異なる待ち合わせ場所(牛オブジェ)が用意されています。カウ・パレードにからめるという HuntingGirledCollective での予想が当たってますね。どちらも東京駅・丸の内口ですが、かなり距離が離れています。当日、牛オブジェ前に行くと何をするのかわかるらしいんですが、どういう展開になるのかな? ……こういう「引き」があるのは「フラッシュ・モブ」っぽいですね。
【関連】積んであったのを取り出して読了。大量の擬態語で「詩のボクシング」に出ているねじめ正一を思い出した、のはともかく、ほかには「en-taxi」2号に載っていた短編「W」しか読んでなくて、この2作が彼のマスターピースとして認知されるのかどうかもわからないし自分で判断するにも材料不足だけど、とりあえずいま読んでみたところをざっくりと。
わりと特異な外見(
何というか、ひとことで言うと「普通ってこういうことかも」という作品。主人公はパッと見て特殊なキャラっぽいんだけど、実はこれが「普通」なんじゃないかしらと思った。
一応、最後に人間の「倫理」らしきものもちらと顔を出すんだけど、それはあくまで主人公ではない人間によって語られている。語るのは「美の追求者」=芸術家の口で、つまり作中でもある種の「外側」にいる人間である。サイレント・マジョリティというのは意外と、目の前で殺人が起こったとしてもそれに倫理的な憤りを覚えたりはしないんじゃないだろうかと思ったりする。あるいは、よくよく考えてから「殺人はイカン」と思うこともあるけど、瞬間の判断ではそれほどまずいとは思わないんじゃないだろうか。「この後自分は殺されるかもしれない」という状況なら「殺人はいけない」という論理に役割を見出すかもしれないけど、特に自分が圧倒的に優位な立場にあって、自分が殺される立場にないことがかなり明確である場合は。よく「アタマ」と「カラダ」という対比が出されるけど、この場合にあてはめるなら「カラダ」のレベルでは殺人を「悪い」と直感することはせず、「アタマ」のレベルでこねまわしてみてはじめて「悪い」と思いはじめるんじゃないかと思う。
一作を通して、この主人公は殺人について煩悶とはまったく無縁で、「向こう側とこちら側」という境界線を持っていない、あるいは敷居が低い、色が薄い。「W」では、境界線の向こう側が殺人というわけではなかったけど、境界線の敷居が低い点は共通していて、もちろん作者はそういう境界線の存在を知っていて、境界線の向こうに異なる世界を用意してあるんだろうけど、主人公はそれにさほど注意を払わない。こういうところが「新しい」と言われる理由なのかなーと思った。
しかし、この主人公は実は「普通」だと思ったので僕にあまり強い印象を残さない。しかも僕はオールドタイプなのか、そういう「普通」に今ひとつ乗り切れないものを感じる。これは綿矢りさ『インストール』を読んだときと似たような違和感なんだけど。なんつうか、普通じゃない?
「80パーセント? 冗談じゃありません。現状で小説の性能は100パーセント出せます」
「煩悶していない」
「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ」
て言われるのかなぁ(これがやりたかっただけ?)。世間の舞城に対する批評ではぜんぜん違うところを問題にするのかもしれませんが。
Touka's file からどうぞ。↑の資料にしました。有名なセリフでも、細部の記憶はいいかげんだったりしますが、しっかり復習できます。「ああっ、ここはシャアで返したいのに出てこない!」というとき(?)にも安心ですね。素晴らしい。
ユニット結成の呼びかけ人で同曲を作詞したつかもとひろあき氏(54)は「この曲を聴いて青春時代の夢とか友情を思い出してほしい。50歳過ぎてもまだまだ人生、楽しく過ごせます」。同氏は大手広告代理店、博報堂の制作局プロデューサーで……
博報堂にいればね。
「ガソリンまいて脅迫」という方法のまずさをムリヤリ括弧に入れてしまうと、どっちの立場にも立ちづらい事件ではありそう。
今のところ僕は参加するつもりはありませんので、当日の現場レポートなどは期待しないでくださいね。念のため。
ネット上の反響などを追いかけるつもりはあります。HuntingGirledCollective のオオカワさんはカメラ付き携帯を持っての参加を表明されてるので、期待していいのかな?
オオカワさんは6月生まれだそうです。うーん、10月生まれの僕が行くと、ちょうど2点でレポートできるね……でもデジカメもカメラ付き携帯もないしなぁ。
お、ついに動きが。あるとすれば突発off板への飛び火かと思ってましたが、大規模のほうでした。
「大規模ネタオフ」と「フラッシュ・モブ」の違いについて、かなり的確な考察が出てきてますね。6 & 34 にあるように、開催プロセスの違いは特徴的だと思いますが、電2でも言われているように、事前に伝えておくばかりが「オフ」ではないとも思います。たとえば元祖「俺に騒ぐオフ」は当日になって急遽、主催者から場所変更の指示があったわけですし(アルタ前では身の危険を感じた(?)とのことで)。
43 の「動機」で言われているアート性みたいなものは、主催者はともかく参加者レベルで考えると「オフ」でも「モブ」でも大差ないような気もします、って「(ただむこうのひとも、アート = 高尚だと思ってやってるわけじゃないと思われ)」てのはそういうことか。ここで言うよりスレに参加しろってかんじですが。
ちなみに、
このときはあっさり沈んだみたいですねぇ。マトリックスオフを海外に紹介したザッキーこと xaky ◆tomatoLicU が登場してますが、今回は参加するのかな?
追記:対外的にマトリックス・オフを Flash Mobs とは切り離そうとする試み。
"Flash mobs" じゃなくて "group activities" にしてよ、ということらしいですが……うーん、それなら Flash Mobs の起源を日本だと考えるほうがまだスマートな気が。言い出しっぺのラインゴールドは渋谷の風景から「スマート・モブズ」を発想したそうだし、彼も関係している SmartMobs.com には "Shibuya Epiphany" (シブヤの顕現)というカテゴリもあります。横取りされた気がするのはわかるんですが、理論は後からついてくるものだしね。
丸の内の主催者が「マトリックスオフ」や「2ちゃんねる」を知っているかどうかは、ちょっと気になります。
17日に発売されたニュー・シングルですが、同時にビデオクリップのフル試聴が始まりました。10月1日まで、要 RealOne Player です。
曲もさることながら、ビデオが今の心境にかなりフィットします。むしろ背景の人々に混ざらなきゃいけない状況ではあるんですが、間違いなく前景の3人のようです(目の前にごちそうはないけど)。
電車に乗る前に「たまには週刊誌でも」と思って買った「週刊新潮」9月25日号の、福田和也「福田和也の闘う時評」を読んでいたら、マクラに「ポータル・サイト」の話が出てきました。この記事中で「ポータル・サイト」は「ブラウザを起動したときに最初に表示されるページ」の意味で使われていて、IE で言うと「ホーム」に何を設定しているか、ということになります。
……二台のノート・パソコンを『リベラシオン』と『ニューヨーク・タイムズ』にしています。『リベラシオン』はフランスの左翼新聞ですが、日本の左翼と違って知的で享楽的で、ポップなところがよろしい。『タイムズ』は、無料でかなり前のコラムも読めるし、やはり話題が幅広い。
おお、カッコイイ! インテリジェントを演出したかったらパクるしかないですよ?
ちなみに僕は白紙ページ("about:blank")です。時間かかるのいやなんで(聞いてない)。
久しぶりに買本。P.オースター『シティ・オヴ・グラス』(角川文庫)、同『鍵のかかった部屋』、中村文則『銃』(新潮社)まで手に取ったところで雑誌コーナーへ移動、『ファウスト』を発見、買おうかと思ったところで文藝別冊『総特集 安野モヨコ』発見、どちらか1冊にしないと予算オーバーなのでバトル開始、軍配は安野モヨコに。
『ファウスト』のライバルは文章本ではなく漫画なはずだけど、それにはやはり勝てないのかなーと思ってしまい、ちょっと象徴的な個人的経験でした。
そろそろパリネタはいいかなってかんじもしますが、現地時間で20日の18:15から、モントリオール→パリを連携するモブが行われたようです。しばらくするとレポートが上がってるんではないでしょうか。
「世界中に広がるモブ(群集)イベント、ときには衝突や警察沙汰も」 (HotWired Japan) が話題になってますが、いろいろ起き始めてるんですね。その点、2ch は偉いと思いますが。
どこかの海外サイトで「交差点の信号の電源を切るモブ」という企画があって、そのコメントで議論になっていたのを思い出しました。その URL は忘れてしまったんですが、本当にやってないといいなぁ。
サブタイトルは "Montreal => Paris, je me souviens" (モントリオール→パリ、私は覚えている) でした。カナダのモントリオールで行われたモブをパリでもやろう、ということだったようです。
今回は現地に住む日本の方も参加されていたようで、なんと日本語で参加レポートが読めます(このレポートの存在を知ったのが Paris Mobs 公式サイトってところも、ちょっとすごい)。
18:10 までに、ノートルダム大聖堂前の広場にカメラ持参で集合。時間になったら、みんなで石畳にチョークで落書きをする。18:12 自分の描いた落書きを撮影。18:14 広場いっぱいまで広がって輪になり、18:15 にノートルダム寺院の鐘が鳴ったら、耳をふさぎながら散らばる、という構成だったそうです。
現地で事前に進行が書かれたチラシが配られたそうで、仕切り方に進展が見られます。でも、パリジャン/ジェンヌもノリがいいのか、人が集まりすぎ(人大杉)で大変だったみたい。やはり事前の打ち合わせはあったほうがいい気がしてきました。
Sick さんとの会話を踏まえて、なんとか「オフ」の歴史を海外発信する作業をプロジェクト化できないものかと、ちょっとまじめに考えてみる。
基にするレポートその他は「HAGAKURE理論」や「探偵ファイル」をはじめ、大小さまざまなリソースを使わせてもらう、てことにしておこう。で、まずは主要なオフをいくつか英語で紹介することを目標にしよう。「湘南ゴミ拾いオフ」2002年7月(とりあえずNYより前のを)と、マトリックスオフ (rottentomato があるけど、一応)と、あとモブっぽいものをいくつか。
問題は、既存のオフレポをただ英訳するだけだと、細かい部分がガイジンに伝わらなさそうなことか。たとえば「湘南海岸清掃オフ」だったら、まずは湘南海岸が有名な海水浴場で、そのためにどれほどゴミがたまっていたか、さらにフジテレビの「27時間テレビ」はどういう番組か、といった説明を追加したほうがよさそう*1。とにかく、日本に住んでいれば常識でわかる範囲の知識を補完する労力が増えてしまう。
それでもなお実行しようとすると、個人ではとても手に負えないので、複数人のプロジェクトにできるといい。たとえば
これでどうかな〜というところだが、何にも増して問題なのは、その作業をまとめる役をどうするかだ……僕は無理です。
葉巻が大好きで、口腔癌で死亡したフロイトの理論を研究していた彼の死因が咽頭癌。ちょっと因縁ぽい。
フロイトの言い分だと、食や嗜好品への偏執は口唇期の抑圧によるものだということになって、自身も口唇期の挫折に影響されながら奇しくも口腔癌で死んだ、という話があったような気がする。小此木啓吾は喫煙者だったんだろうか?
トウキョウニッキで知りました。そもそも桜井亜美がWeb上にこういう場を持っていることすら知らなかった。つまり一度も Google で検索したことがないわけですね。
桜井亜美と岩井俊二という2つの名前が一瞬まったく結びつかなかったけど、よく考えてみるとすごく近い名前なのかもしれない。
ええと、現在HD容量がキツキツでして、見ようとすると「ディスククリーンアップ」が立ち上がったり青画面が出たりするので、まだ見てないんですが、今メールを出すと限定DVDがもらえるとのことなので、ひとまずご紹介。
みずほ勤務から一転。
「……だれでも夢が持てるような世の中にしたいと出馬を決意した」と話した。
議員になりたいって夢を持ってる人はガックリくる話だろうなぁ。まぁ当選すれば、だけど。
惜しい、すごく惜しい本だと思った。100ページを越えたところから加速がはじまり、そこからの主要なシーンにみなぎる緊張感はたまらないものがある。その部分は特筆すべきで、この先への期待を持たせるものだと思う。ただ、それ以外の、地の文と日常のシーンは通してイマイチだったので、総合してみると「う〜ん」とうなってしまうかんじだった。
最初の違和感は、地の文の一人称が「私」だという点にあった。主人公は男の大学生という設定なのだが、最初の章では直接語られない。そのせいもあって、冒頭、主人公が偶然のおかげで銃を手に入れる章を読んでいる間ずっと、中年のオッサンが喋ってるんだとばかり思っていた。「ああ、拳銃が手に入って、このしがないオッサンのうらぶれた人生に亀裂が入ってゆくのかしら」と思いながら読んでると、場面が大学に移ったので「大学の教員か助手か事務員あたりなんだろうな」と予測した。しかし友人との会話がはじまってみると、その内容が明らかに若い。誘われた合コンに行くとか行かないとかいう話をしていて、どう考えても30代中〜後半と予想した僕の予想と噛み合わなくなり、やっと大学生なのだということがわかった。
まず、自分のことを「私は〜」と言いながら考えている大学生の姿を、うまく想像できない。他人と会話するときの主人公は「僕」や「俺」を使って喋っているのに、自分に対して自分を語るときだけ、つまり地の文の中でだけは「私」になるのだ。普段から「私は○○だ」と自己認識する大学生というものを、僕は想像できない。
さらに、主人公は手に入れた銃の上に「COLT」や「MAGNUM」という単語が穿たれているのを見つけても、その意味するところをまったく理解できない*1。銃に関係あるものだということすら知らない、大学生。僕はそんな大学生を想像しづらい。コルト社は百歩譲って赦すとしても、現実の銃の中で「マグナム」という単語にはじめて出会う大学生なんているのか? そのあたりに対する作者の無頓着さは至るところに見え隠れしていて、本当にもったいないと思う*2。まぁこの点に関しては、細部ということもあり、軽く流してもかまわない、かもしれない。
一人称が「私」であるという点に関しても、わからないこともない。大学生は一般に、公式の場で話をするときや課題のレポートの中でなら自分のことを「私」とも称するはずで、大学生が書いたレポートを読んでいるような気持ちで今作を読んでみると、そこまで不自然なものにはならない(大学生のレポートでいいのか、という点はうっちゃって)。そう考えてみると、小説の中に登場する主人公が「私」を使うのもわからなくはないような気がしてくる*3。
作中での主人公は、まったく「普通」である。あまり乗り気ではないながらも友人に誘われるまま仕方なく合コンに行き、そのまま相手の一人を「お持ち帰り」してしまったり、あるいは大学のある女友達と徐々に親密になるという目標を立て、それを着実に実行できたりする。さらに、一人称で語られる物語としては異例のコメント*4が登場する。
私はあまり考えるということが、得意ではなかった。自分を分析することも、得意ではなく、むしろそれは私に嫌悪感を抱かせるものだった。私はそういったことから、自分の考えを進めていくことに時間がかかった。
日常に飽きていて、自分にも他人にも淡泊なキャラクターとは言えるが、しばしば小説に出てくるような、ある種の強力なエキセントリックさとは無縁である。大学生としては一種の典型的なライフスタイルを持った、ごく普通のキャラクターなのだ。
以前、吉村萬壱『ハリガネムシ』を読んだときに、僕は「色情狂とか暴力魔とかキチガイとか変人とかサブカルはいらないから、もっとまともな人が出てくる話が読みたい」と書いた。このときの「まともな人」は「普通の人」と読み替えてもらってもほぼかまわないのだが、『銃』はまさに「普通の人」を主人公とする話だった。内容には触れないけど、オチに至るラストシーンもまったく普通の大学生が陥りうる姿だと思えて、リアルだと感じた。
でも正直にいってしまうと、やっぱり主人公が面白くない*5。以前「まともな人」と言ったときに僕がイメージしたものは、『銃』の主人公の姿とは異なっていたらしい。さらに、舞城王太郎『山ん中の獅見朋成雄』を読んだときにも主人公のことを「普通」だと言った。このときの「普通」はまた、『ハリガネムシ』とも『銃』とも違う意味での「普通」だった。ここに至って、今まで「普通」という言葉を様々な意味・文脈で使っていたことに気づき、またそもそも「普通」という言葉も多様でありうることを発見したりもしたのだが、僕が読みたかった「普通」は、おそらくそのどれとも違っていた。
少なくとも「色情狂とか暴力魔とかキチガイとか変人とかサブカル」ではないらしい。かつ、背中にたてがみがみっしり生えていて足が速くてケンカも強い、わけでもないらしい。さらに、親から仕送りをもらいながら独り暮らしをしつつ日常に飽き飽きしてるところに偶然銃を手に入れて大興奮しちゃっても、いけないらしい。
じゃあ、何なんだ? 「もっとまともな人が出てくる話」って、どういう話なんだろう。そのときイメージしたものは、ぼんやりと記憶にあるのだが、いま具体的なかたちとして出てこない。それはもしかすると、僕にだけ流通する「まとも」で、さっぱりまともなものじゃないのかもしれない。いや、かなりそんな気がする。
*1 ちなみに「COLT」はメーカー名/ブランド名。「MAGNUM」は弾薬の種類で、銃に刻印してある場合、マグナム弾を使用できることを意味している→参照
*2 作中に、誰が銃を発砲したのかが大きく問題となるシーンがあって、そこに警察が絡んできても、一度も「硝煙反応」のことに触れていないというのも、ものすごく引っかかってしまった。
*3 実は作者自体が「普通」なのだろうなぁと思った。
*4 一人称の物語の根本的な問題として、思考や自己分析を嫌うキャラクターが長々と自分について語るのはそもそも不自然であるために、どうしても少し内向的で理知的なキャラクターになることを避けるのは難しいと考えていた。たとえ「考えるのが嫌い」という説明が文中にあったとしても、それを語っているという事実が言遂行的にキャクターを作りはじめてしまう。だから、この作品にも全体としてどことない矛盾があるように感じる——が、ここではあくまで主人公が自分をそう認識しているだけだし、作中でそれほど自己分析に深入りしないとも言えるので、先に進む。
*5 この先、主に人物に焦点を絞ったが、この「面白くなさ」は文体に起因している部分も大きいと思う。
いまのところ 2ch 経由の情報のみ。乗っ取りスレ@大規模off によれば、とりあえず丸の内北口でじゃんけんをした模様。2手に分かれてたのはそのためだったんでしょうか?
参加者は12〜3人くらいだったという話もあり。やはり「先進国」の洗礼はきびしいんでしょうか。この人数だったら参加者同士でマターリできそうですけどね。
公式サイトその他に写真やオフレポが掲載されました。ここにもリンクしてもらってます。訴求力に乏しいサイトなのに、申し訳ない。
日本在住の外国の方が主催であろうと読んで、Antipixelからのリンクはチェックしたつもりだったんですが、気づかなかった……。
同時に、次回の告知も行われてます(素早い)。10月24日(金)、場所は原宿で、懐中電灯を持参すべし、とのことです*1。
当初「乗っ取り」からはじまった2ch のスレでは、参加者がオフレポとともに日本人の視点から率直な疑問点を提示していて、「より良くするにはどうしたらいい?」という方向に話が進んでるみたいです。優しい日本人。
追記:yuzukiさんからのコメントで教えてもらった mediatinker.com にもレポートがありました。こちらが主催者?
カテゴリーのほうの12日の記述を見ると、その「前日の夜にメールで知らされた」と書いてあって「あれ?」と思うんですが、さらに下にある10日のエントリーには「カウパレード」の話題が……かなりあやしいですね : ) てことはマトリックス・オフもちゃんと知ってたわけだ(ちょっと触れてた)。
スレでレポートしていた方の日記です。きちんと参加して「寒い」と言ってるところがエライ。
僕はとりあえず「フラッシュ・モッブ」とか「懐中電灯を持て来る」というあたりのかわいさが大好きです。次回も応援してます。
*1 忙しくなる時期に加えて金曜か……次回も参加は難しいかも。
2週間くらい前に、某駅の NEWDAYS (JR系コンビニ)で、アラブ首長国連邦のマサフィ山麓から汲み出されたミネラル・ウォーター「マサフィ」(masafi)をはじめて飲んで、うまかったので、今日もう一度買おうと思ったら、棚に並んでなかった。なんで? また置いてほしい。恵比寿ガーデンプレイスに行けば飲めるらしいけど……。
濃い方向に関してはかなり寛容だと思う、人のこと言えない身だし。9 もネタとしてならアリ。というわけで 308 のストライクゾーン判定。
山本英夫全作品 | ホムンクルスは読んでないす。イチは面白かった。 |
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キクニ全作品 | あまり思い入れないです。 |
奥浩哉全作品 | HEN がダメで疎遠だけどガンツはおもしろいらしいね。 |
大暮維人全作品 | =ヲタって思うのはいけないこと? |
みこすり半劇場 | ほとんど読んだことない。 |
ベルセルク | 途中まで立ち読みして、そのまま。 |
グラップラー刃牙 | キャオラ! 中国編で笑ってます。関係ないけど、バキ板ってあるのな。 |
よいこ | 「メルモちゃん」と思って以上だった気が。 |
クローズ | 読んだことないす。 |
寄生獣 | バイブル。加藤典洋も好きらしいよ。 |
軍鶏 | 連載再開を激しく希望。 |
サイコ | うみほたるのあたりまでは。 |
ナニワ金融道 | 読ませてください。 |
ろくでなしブルース | 一応、通して読んだけど好きでもない。 |
結果 | 未読が多いので、楽しく読ませていただきます。 |
あまり接点ないのかも。普通の男性でも、ここまで格闘・不条理暴力方面に偏ることはないような気が……藤原紀香・長谷川京子みたいな肉欲全開系なんでしょうか。
以下、「おまえにハートブレイク・オーバードライブ」からの孫引き。
K・Kさん(註:作者のこと)の部屋のテレビで、日の丸が放送終了を告げている。と、一転して「いいとも」に。動作を短く繰り返すといった技術を駆使した後、焼け野原が現れ、玉音放送が重なる。タモリさんが終戦直後に生まれ、米国文化に親しんだことを示し、マッカーサーの顔がサングラスだけ残して同氏に変わる場面も。放送された発言を巧みにつなぎ、テレビから問いかける仕立てを経て、K・Kさんが番組収録地である新宿に向かう——。
大西若人「最高作なのに非公開 なぜ」(朝日新聞 朝刊 9月25日)
こうして『ワラッテイイトモ、』は、彼がひきこもっていたという八王子の自宅と新宿アルタ前を往復しながら、赤塚不二夫とタモリとの人形劇や、『笑っていいとも!』に登場するゲストたちの画像に対する容赦なき切り刻みとイメージ変形を通じて、一種、異様な雰囲気をつのらせていく。
椹木野衣「このうすら寒い夏の正午に」(「群像」9月号)
僕は、ひきこもっていたという作者が「笑っていいとも!」を端緒にしたという、まずはその一点だけのために、この作品を見てみたい。日本におけるひきこもりという問題にとって、「笑っていいとも!」ほど象徴的なものはないのだ、本当に。現実を目の前にして大きく映るのは、戦後民主主義よりも正午のタモリだ。
というわけで、根本敬式に3度唱えてみることにする。
友人からのタレコミ経由。こういう「苦情」があるのは知ってても、具体的に見たことなかった。リンクしたページは、特にバラエティ番組に対して青少年への影響を心配してる意見が多いんだけど、中高年に混じって20代や10代まで「青少年に悪影響がある」と断言してます。おまえはどうなんだと。
かといってテレビを擁護する気になるわけでもないんですが、読んでるとやっぱりそこはかとないオモシロ感が漂いますね。なにがオモシロなんだろう、文体が統一されちゃってるところもあるのかな。もっと語られた通りの言葉をそのまま読んでみたい気もします、もっと面白そうだから。
特にたくさん苦情が寄せられてる「実在する人物の顔を便器に見立てたコント」は、「ワンナイR&R」で放送された「ジャパネットはかた」のこと→日刊スポーツ・リンク集。