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2003-09-03

_ 「思い出」の枕詞は「古き良き」だったはずだと歯をかみしめる

過去を「過去」として処理することが、すごく苦手だ。そういうところだけ妙に記憶力が良く、特に嫌な思いをしたりすると実によく覚えている。「思い出は時とともに美しくなる」なんてこともまったくなく、その良い面と悪い面は等価値で記憶され、なかなかノスタルジーに浸ることもできない。たとえば、今でも簡単に中学時代の暗澹たることを思い出したりして沈んだ気持ちになることができる。この例では実際に出身中学の前を通るのとかなり危険なのだが、最寄り駅へ行くためには通らざるを得ないので、もう慣れてしまった。思い出さないのではなく、思い出すことに。

もちろん些細なこと、自分とそれほど関係ないと判断されるものや、末節についてはは忘れてゆくのだが、自分に関係のあることや、その核心にあった感情については生き生きと保存されている。たとえばネガティブなことだったら、それがいかに嫌だったかということはきっちり保存されてしまう。ポジティブなことも同じように記憶されるわけだが、普段から物事のネガティブな面を捉える傾向が強いために、自然とネガティブなものがより多く蓄積される道理となる。

「時間が解決するだろう」という類の読みも、僕に関しては通用しない。傷はいつまでもジクジクと湿ったままだ。もしPTSD(心的外傷後ストレス障害)みたいなものがあったとしても、ASD(急性ストレス障害)と大して変わらない出方をしているだろう。「ポスト」になりづらいわけである。

だから、「思い出話」もできない。古い友人と昔の思い出を話すことはできるものの、「あの頃は良かったよねー」と来た場合には、心から同意することができない。時間とともに悪い面が覆い隠されてゆくという作用がないために、良い面があったとしても、同時に悪い面が思い起こされてくる。実に不便である。未来のことはわからないけど、この先も何かが「古き良き」と形容された場合には同意することができないままなんじゃないかと思う。

ポジティブなものとネガティブなものが等しく、あるいはネガティブな面のほうが多く残ってしまうとしても、それは芯のところにある細い繊維さえあれば十分だと思う。その核心にあったものの乾き具合が足りていない。周囲に付いているものが乾いて軽くならないと、重くてつぶされそうになる。そしてできれば「美しい」かたちに姿を変えてゆくことが望ましい。そろそろ脳細胞が衰えを見せてくる年齢のはずなので、そこにある熱が少しでも冷めてゆくことを切に願っている。人はただ情感の衰えにしたがって自己を統御しやすくなるだけだと言ったのはモンテーニュで、それを引用していたのは伊藤整だ。

_ 「あるとしか言えない」(糸井重里)

中村真一郎について検索していたら、淘山竜子「宝のありか ネット小説に関するエッセイ」(10-minute novels とうやまりゅうこ短篇選)がヒットしました。「谷崎潤一郎『刺青』をもしネット上で見かけたら、拾い上げることができるだろうか?」という不安。

自分の評価能力に対する不安感というのは常にありますね。有名な批評家も、いきなり無名の新人を採り上げて名をなした人はいないと思います。日本文学の場合、だいたいは漱石論や鴎外論で有名になる場合が多いし、外国文学も同様でしょう。特に外国の場合は、作家の前に対象とする国が西洋かそれ以外の国かの時点でヒエラルヒーが出始めると思います。

といってもあながち無根拠なことではなく、多くの人が対象とするであろうメジャーな国/作家/作品を扱いつつ、それが優れていると認められれば、激しい競争を勝ち残ったことになるんだろうと思うんですが。かといってマイナーなものを扱う人が優れていないというわけにはならないでしょうが、批評に対しても再度「評価能力への不安」が襲ってくるのではないでしょうか。

有名な批評家が扱ったとしても、後世に残るものはさらに一握りですから、有名な批評家の評価もまた最終的なところではアテになるかどうかわかりません。

「ネット文学」は、量の問題もあってまだ手を出したことがないんですが、どういう状況になってるんでしょうね。砂漠の中に落ちているダイヤモンドは拾われないまま砂漠に眠り続けるのか、あるいはすべての粒がダイヤモンドの「ダイヤモンド漠」にダイヤモンドとしての価値はあるのか。いずれにしても情報量が増加したところでいかなる評価を行えばいいのかというのは、現在の大きな問題だと思います。ネット上であっても、すでに権威がほめているものや、多くの人がほめているものがほめられやすいという傾向は同じくあると思いますが。

たとえばこせきさんは「個人が気に入った日記を挙げていくと、スター型ではなくウェブ状につながるのではないか」と直観されていましたが、もしかしたら文学でもそういうことはあるのかもしれません(「好きな作家は中谷彰宏」と言われて大きなショックを受けたこともあります)。そのとき価値とは、最終的に個人にしか根拠を求めることができないものだということになるわけです。

「自分は好きだけど、他人に薦められるかどうかは……」とか、「一般にはウケるだろうけど、個人的には好きじゃない」みたいな言い方も多くされていると思います。「『名作』とはなんだ?」と問い始めると複雑になってしまいそうなので、このへんで。

自分の不満だらけの日常を見せびらかすためだけに、それをストーリー仕立てにして発表するのではなく、一つでもいい、何か狙いを持って、キーボードと向き合って欲しい。

という部分も心に留めようと思います。

_ [news] 遺伝子研究:そううつ病の原因解明 (毎日)

躁鬱と鬱は原因遺伝子が違うのか、ってあたりとかが気になる。

_ 傍観日記

東浩紀がはてなダイアリーに参入した当日に「はてなが荒れるからやめてください」というメッセージを日記のヘッダ部に表示し、その後も「hazuma∞増殖計画」なる企画(?)をやったりしていた hitomisiriingオフを企画したら、しっかりヲチしていた本人が降臨宣言をしたと。

なんつーか、かまって君がかまってもらってとてもうれしそうなのが妙にほほえましい一件である。