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2003-02-01

_ 「人と関わることに疲れる」ことを考えることに疲れる疲労

チャンネルを回していたら、思わず「しゃべり場」を見てしまった。今日のテーマが「他人と関わることに疲れませんか?」だったから。といっても最後の10分くらいだったけど、だいたい議論の概要は察しがつく。このテーマ、そんなに議論が広がるものではないし。で、いつものごとく、テーマ提出者の「わからずや」ぶりに一部がキレつつ終了。

こういうのを見ていると、自分が成長していないことがわかってしまってダメージを受ける。相変わらず同じところから大して(まったく?)進めていないわけで。しかも、中にはすごく大人なスタンスで話をしようとする十代もいて、さらに凹まされたり。収録終了後のインタビューで「なんとか同じレベルで話をして、妥協点を見つける手助けができたらと思ったけど……」みたいなコメントをしていた彼には「やーすごいなぁ」と思わされてしまった。皮肉ではなく、本気で感心。

_ 「嘆き」

つき合いが長ければ長いほど、友人から「悩みキャラ」だと評され、また自分でも「自分は悩んでいる」とずっと思っていたわけですが、最近、それは違うんじゃないかと思うことがありました。「悩み」ではなく、単に「嘆き」なんじゃないのかと。「自分は嘆いている」のかもしれない。

「悩み」というのは、解決可能な問題に対してこそ意味のある行動です。解決できる見込みはありそうだけど、方法がよくわからないときに、その方法を考える行動が「悩み」だと思います。「悩み」は、解ける見込みのあるパズルをいじくりまわしているような状態。だから、ある問題が解決可能かどうかわからない場合、まだ悩むことにも意味はあります。解決不可能だという結論が出ていない間は「悩み」でよいわけです。

逆に、解決などありえない問題に対して悩み続けることには意味がありません。というより、それは「悩み」ではなくなります。もし解決不可能である場合、もう「嘆く」ことしかできなくなる。解決しないことがわかってもそこから気を逸らさず、なおその困難や問題にこだわりつづける人は、ただ問題が解決しないことを嘆き悲しんでいるだけになります。

前述のテーマ「他人と関わることに疲れる」にまつわる問題は、かなり「解決不可能」なものだと思えます。説得を試みる多くの人も、「それはしょうがないことであり、自分もやはり疲れることはあるが、でも私はつき合うのだ」という論にまとめることができるでしょう。説得者たちは、「他人と関わることに疲れる」ことは解決不可能なのだという立場にいて、それでもなんとかやっていくのが人の道というものだ、というようなことを言います(自分が説得者になったときでもこう言います)

逆に、まだ「他人と関わることに疲れる」ことに「悩んで」いる人は、その問題が解決可能だと考えている人でしょう。きっと「疲れずに人とつき合う」方法があるのではないかという希望を少しでも抱くことができている人は、悩んでいるわけです。

で、「悩む」のではなく「嘆いて」いる人とは、もう問題が解決しないことがわかったあとになっても、ただただ悲しんでいるだけの人です。なぜ悲しみつづけてしまうのかは、よくわかりません。おそらく、それが解決してほしいと思ってしまっているのだと思います。解決してほしいけど、解決しないことはわかっている。でも解決してほしい。「悩みたいけど悩めない」から、「嘆く」。

問題が解決しないとわかっている説得者たちは、嘆いてないのでしょうか。無自覚・無感覚に見えることも多く、ただ単に自分が考えすぎているだけという意見にも説得力はあります。でも、もしかすると多かれ少なかれみんな嘆いているのかもしれません。「疲れる」という意見は説得者たちも持っているわけだし。もし両者共に嘆いているとすれば、このあたりに共通点はあるわけで、ひとつの起点にできそうです。ただし、説得者とは、嘆きつつもそれなりに妥協点を見出すことができている人たちなんだろうと思います。それはどのあたりにあるんでしょう。

ここまで。少しずつ進もう。

_ そこへ福田先生登場。

ぼくも先生の若き友にー。

 これはやっぱり下らないことだと思うんだ。
 思い切りざっくり云ってしまうと、他人を当てにしている、他人にないものねだりをしているだけの話だ。
 そして、僕は、いわゆる「悩み」というのは、ほとんどそういうものだと思う。
 他人が自分の願望を満たしてくれない、と云って、自分では行動を起こさないでいることが、「悩み」の本質だと思う。
 だから、それは下らない、というか無意味だ。

(福田和也『価値ある人生のために 若き友への手紙』第7通より)
 はい。そう。そうなんですよね。そうなんです、そこまではわかってるつもりなんです。で、「悩み」ではないところまで、とりあえず来た。ここまでけっこう長かった。でも、まだだと思うんです。

_

「嘆きの壁」というのは、すごく象徴的だと思います。壁を前にして、もう嘆くしかない状態にあって、それに解決を与えるためのひとつの選択肢として宗教があって、その象徴が「嘆きの壁」だというのが。


2003-02-02

_ IEのアラブ語表示機能を味わおうと思って「アルジャジーラ」に行ってみたら、当然意味はさっぱりわからないけど異国の風情がして面白い。

その後、なんとなくソースを表示したら文字化けだらけになったところで気がついたんだけど、アラブ語のHTMLファイルをテキストエディタで作るにはどうしたらいいんだろう。国際(米欧)標準であるHTMLは左→右に進むのに、アラブ語は右→左。

もし、ソース上は左から右に書いて、ブラウザ上ではじめて逆向きになるんだとしたら、アラブ語ソースを書くのってかなり大変そうな気が……いや、もしかするとアラブ語Windowsでは何かよいソリューションが搭載されているんだろうか(WYSIWYGなHTMLエディタがあれば問題ないんだろうけど……)

というわけで、ご存知の方の目に触れていたら、ぜひ教えてください。


2003-02-03

_ 梅田行き!!

横浜駅相鉄口を出てハンズに向かって歩いていたら、元ALiC日進のビルを改装したコムサ・ストアのシャッターが降りていて、閉店したとの貼り紙が。かなり早かったなぁ。ちょうど在庫を搬出している真っ最中で、前の道路に止められたトラックには在庫の詰まった段ボールがぎっしり積まれている。どの箱にも「梅田行き!!」とマジックでなぐり書きされていて、ちょっと切なくなった。ドナドナ。

そんなコムサをよそに、日進時代から続くホビーコーナーだけはしっかり生きながらえているらしく、「営業中」の貼り紙が出されていた。やはりオタク産業はしぶとい。

_ 公開排泄

梶充生『個人でwebサイトなんてやめておけ』(エスシーシー)という本を見かけて最初だけパラパラ。「自意識過剰なんだよおまえら」みたいなことから入っており、たしかにもっともだがネット上では言われ飽きたことだなーと思ったりしたので、残念ながら購入には至らず。でも、あとが気になるので読んでみたい気はした。

その後、スペースシャワーTVを見ていたら、椎名林檎がインタビューに応えていて、

(曲を書くのは)排泄ですよ、排泄。
と言っており、自分でも何度も思ったことだったので笑った。排泄が一番近いと思います。ただ同時に、「才能が涸れた後になってもそれを人様に晒しつづけるのは迷惑」とも。じゃあ、元から才能がなかったら。その。でもここでは、成功して余裕があるからこそそんなことが言えるのだと斬って捨てておこう。それに、受け手は価値がないと判断した排泄物にまでわざわざ目を向けることもないだろうし。

また、彼女はこうも言っていた。「私は多くの人に許してもらわなければ生きてゆけない」。わかるけど、どんなサディストだ。


2003-02-04

_ COLORS

宇多田ヒカル『COLORS』のPVはダンナが作っているのかと思いきや、違う人みたいですね。Donald Cameronさんだそうです。『GAS BOOK 10』にも参加しているかもしれないけど、いっぱいいそうな名前だし別人かも。


2003-02-06

_ 「試み」

ゼミ合宿から帰ってきました。発表と飲みとボーリングとアウトレット・モールで冬の軽井沢はあまりやることがないという結論に。

それはともかく、一番印象に残ったのは、あるゼミ生の卒論発表。

彼がテーマとしたのは、ヨーロッパ(特にフランス)における「隠者」(仏:ermite、英:hermit)について。カトリック支配の中でプロテスタントが生まれてこようとする過渡期に活躍(?)した「隠修士」という人々に近代的心性の表れを見ようとする中、それと対称するかたちで、典型的「近代」が表れている文献を引用した。その中にあったのが、モンテーニュ『エセー』。

『エセー』とは、日本だと「随筆」と訳されるが、もともとは仏語 "essais" (動詞形 essayer)である。 "essais" とは、英語における "try" である。考察とは、すなわち「試み」だと。彼の用意したプリントから、いくつか引用。

・一般の意見や公衆の認識から抜け出すために、独自の判断力のみを便りとする道を模索
・読書室の隠棲を通して、思考の「試み」を行う
・他者を排除するのではなく、判断力を持つことを呼びかける
 何というか、自意識過剰だろうと人様の役に立っていなかろうと、やっぱり日記を書いてしまうのである。「試み」であるということが、スパッと言い当てられた快感があって、少し安心した。

うちのゼミには「問題」にまつわる諸々を心得ている人がぼちぼちといる。わかっている人がいたところで「問題」自体が解決するわけではないのだが、何となく助けられることが多い。

モンテーニュ『エセー』のほかに、パスカル『パンセ』からもやたらグッとくる台詞が引用されていた。この2冊はぜったい読む。なるべく読む。たぶん読む。

_ 雪国の凍みてくる寒さも光をよく通す空気も、たまのことなのでなかなかよかった。ゲレンデとして削り取られた山を見たらひさしぶりにスキーがしたくなったけど、時間もなくできず。来年あたり行っておこうかと思う。


2003-02-07

_ 電話不通

ずっと東芝DL-S200というPHSをだましだまし使っていたわけですが、ここ2、3日で地面に落っことしまくっていたら、ついにスピーカーがお亡くなりあそばされました。マイクは生きているのでこちらの声は相手に届くけど、向こうの声が聞こえない。

というわけで現在、電話での連絡ができない状態です。といってもメールは問題なく使えるし、ふだんからあまり電話もしないので、それほど不自由しているわけではなく、対応も後手後手になると思われます。申し訳ありません。

電話をいただいた場合、相手の状態は(そもそもわからないので)無視せざるを得ず、上のような端末の症状をひとしきり述べた後で通話を終了し、メールアドレスを知っている相手であれば説明と謝罪のメールを送るという対応になります。

さて、機種変更でサクッと済ませるか、それともついに携帯電話へ移行するか……番号とアドレスを連絡するのが面倒だから変えなかったのに。どうせ壊れるならリクナビに登録する前に壊れてくれよー。


2003-02-08

_ [漫画] 津田雅美『彼氏彼女の事情』<15>

問答無用で号泣。


2003-02-11

_ もよんちょ

ああ、自分の状態を言葉によって適切に表現できない。かといって量を増やしても解決しないし、でも黙ってたってどうなるものでもない。この状況を打開する、まったく新しい言語セットがほしい。

というわけで発明。私はいまもよんちょだ。これ、適切です。そういうことにします。


2003-02-12

_アカルイミライ

歯医者で鶴見まで行ったので、ついでに川崎まで足を延ばして黒沢清監督『アカルイミライ』を観てきた。

劇場公開中なのであまりつっこんだ内容も書けないけど、黒沢清作品に必ず存在する「すごい人/モノ」は今回もしっかり登場していた。事前の読みとしては主人公のオダギリジョーがそうなのかなーと思っていたが、実は浅野忠信なのだった。で、そういう人に依存してしまったオダギリジョーはどうする? どうなる? というのが今回のテーマ。

見終わっての感想。通常は観客が共感するキャラではないはずの浅野忠信に、最も共感してしまった。と同時に、これから就職活動に向かおうというタイミングでこれを見ちゃったのはまずかったなぁと、少し後悔した。

チネチッタ川崎から移転して名前も変わったラ・チッタデッラは、すごく良かった。映画館の環境改善が進んでいるのは、経営側にはきびしいんだろうけど、消費者としてはとてもありがたい。

_ Feel H"

その後、ヨドバシカメラに行って携帯やPHSを物色。でもこのタイミングで携帯にシフトすると、諸手続および連絡が非常に面倒そうなので、とりあえず Feel H" はどうなのかと店員に聞いてみたところ、番号・メールアドレスなどの移行には問題なさそうだったので、時間もないことだし機種変更で済まそうかなーという気になった。話を聞いた人は端末についても詳しく、「京セ○の端末は漢字変換が……」「ですよねー」(前が俺)てあたりで共感できたりした。やはり店員はマニアックなくらいがよい。選択肢はただでさえ少ないので、あっさり Panasonic KX-HV210 に決定。

んで、30分ほどの手続き時間を適当につぶしたのち受け取りに行ったら、電話帳データを移動するために必要な暗証番号を教えてほしいといわれたが、さっぱり覚えていない。適当に入れてみるも、ことごとくアウト。結局、暗証番号を思い出さないかぎり手作業で移すしかないということになり、その場は旧端末の番号を消去しただけで撤退することに。

せっかく手間を減らすために機種変更を選んだのに、手で移すなんて作業はしたくない。川崎から横浜へ向かう電車の中、思いつくかぎりの番号を必死で打ちまくる。1〜12ケタで設定可能という凶悪なセキュリティが裏目に出てさっぱりわからなくなりそうになったが、きっと4ケタだろういやそうだそうに違いないと設定したときのおぼろげな記憶をもとにヤマを張り、ひたすら数字を打ちつづける。

でも、京急が横浜駅についてもまだ認証は成功しない。ついに横浜駅のホームに降りる俺。「このまま打ちつづけていたら、たとえ思い出しても『手で打ったほうが速かった』という事態に!!」とプレッシャーに焦りはじめたそのとき……ついにヒット。

そのまま横浜駅前のヨドバシカメラへ走り、「ついさっき川崎店で機種変更したんですけど……」とデータ移行作業を頼んでみたら、「あ、いいですよ」と請け負ってくれた。

スムーズに移行作業は終わり、お礼を言って帰路に。さて、新端末をいじってみるか……と電車の中でいじっていたら、「Eメール」関連のメニューがことごとく灰色で表示され、使えない状態。

なんじゃそりゃああ。川崎の店員は「もう使える状態になってますんで」と言っていたはず……てことは横浜店での作業がまずかったのか? いやそもそも川崎の時点から? まず川崎店を出る時点でしっかりチェックしておけばよかったんだろうけど、暗証番号のことで頭が一杯だったし……なんだかなぁ。誰が悪いのかわかんないし。

ともあれ、以前のメールアカウント自体はまだ生きているらしいので、改めて端末に登録してもらえばよさそうではある。またどこかに行かなくては……だから変えるのいやなんだよなぁ。

がちゃがちゃと動き回ってたら、すっかり『アカルイミライ』の余韻が薄れてしまった。もったいない。

_ らみゃ

今のもよんちょな状態にしっくりくる曲を発見。 Lamya "East of Anywhere" 、いい。


2003-02-15

_ JTにエントリーした。日本のタバコの未来は俺が! 俺ががが!

_ クローン羊が死んだ模様。安保理よりも気になってしまった。でもドリーじゃなくてマチルダなのね。

_ 入船亭扇里

中学の同級生で、現在は落語家になっている友人から、地元で一席演るというお知らせが届いた。WEBのURLも書いてあったのでとりあえずリンク。


2003-02-16

_ しまった

しまった! 『海辺のカフカ』公式サイトを保存しわすれた。単行本にする予定といってるけど、たぶん大幅にカットされるだろうし……しまった。

_ 最近、音楽をかけつつテレビを見ていることが増えている。声を聴かなくても、テロップさえ追っていればだいたいのことはつかめてしまうから。で、どっちが先に消されるかというと、テレビが先になりがち。うーん、なんだかなー。

_ 島本理生『リトル・バイ・リトル』

キーワード「島本理生」の需要があるらしいので、感想。読んだのは『リトル・バイ・リトル』だけですが、これはほのぼのしたドラマのほのぼの感がよく出ていると思いました。でも、そんなほのぼのの中に一瞬の緊張感があって、さすがにただの女子高生じゃないな、と思わせる場面も。軟投型のピッチャーが突然投げるストレートは剛腕ピッチャーよりも速く感じる、というような巧さがありました。

_ ギル価

Jason Whiting「リアルな経済活動が生まれつつあるオンラインゲームの世界」(Wired News)を読んで、ファイナルファンタジーXIでプチ廃人になっている友人と話をしたら、FFXIの通貨「ギル」もヤフー・オークションで取引きされていることを教えてくれた。さらには各種ゲーム通貨を扱う市場も教えてもらったけど、ここではFFXIに限定。

10万ギルが5〜8千円程度で取引きされているので、円:ギル価は ¥1:G20.0〜12.5 くらいなんだけど、この価格もサーバーによって微妙に違ったりする(FFXIはサーバーが複数あり、ある1つのサーバーで作ったキャラクターは他のサーバーに移動できない)。「古いサーバーほど通貨流通量が増えるため、通貨価値は下がる」という現象は、ここでも同じということか。

友人の話だと、同じFFXI内のアイテムでもサーバーの新旧によって流通価格が違うというから、かなりリアルだ。商品と貨幣の流通バランスに応じて価格も変動していくというわけだ。レベルが高くなれば、さきほどのギル売買は時給換算してもそこそこおいしい「仕事」になりうる(どれだけ売れてるのかはわからないけど)ようだし、かなり面白いと思う。

こういう動きをしっかり観察したら、FFでも経済学の論文1本くらいは書けるよなぁ。日本ではまだ評価されない気もするけど、誰かにやってほしいところ。

ネットゲームの将来的な問題としては、通貨もしくは物品の過剰供給によるデフレ or インフレが起こってしまうことだろう。アイテム数を無制限にすれば、使えるアイテムが普及しまくって全キャラクターが平均して強くなりすぎるし、アイテム数を制限すれば価格上昇が起こって貧富の差が生まれる……適切な経済政策が要るようになる。将来、オンライン・ゲーム会社は経済学者を必要とするのか? こんな「産学連携」も、いいかもしれない。

とりあえず、カストロノバ教授の論文を探してみるか……。

_ あった。SSRNTop Downloaded Authorsに入ってる。

リストでそれっぽいのは "Virtual Worlds: A First-Hand Account of Market and Society on the Cyberian Frontier" と "On Virtual Economies" だけど、Download Document をクリックするとどっちも同じ論文が出るから、後者が現行ってことかな? これ読むのか……ごっついなぁ。


2003-02-17

_ 「ええ……だから問題は、キャスターのタール含有量が7mgになっていたってことなんですよ……そう、8ミリから7ミリにね。もっと困ったことに……友人から言われるまで、僕はそのことに気づいてなくて……ええまったく、ここんとこずっとこんな調子でね……」

_ 情緒がゆっくりと下降傾向にあるのがわかる。やっと来たか、というかんじ。騙していたスイッチが、『アカルイミライ』で入ってしまったらしい。今回もきびしそうだ。19日の『ニンゲン御破産』でどうなるか、というところだが……。


2003-02-18

_ 情緒が下り坂のときは遊ぶ気にもならないので、まだ勉強してるほうがよい。といっても一般教養って気分ではない。なので、ymSKさんのとこにあったリンクなどを参考にPHPMySQLをインストールしてみた。学校のほうで卒業制作にデータベースを使いたいと思ってたので、PHP+MySQLも触ってみたかったのだ。チュートリアルはPHP3を想定していて、PHP4とApacheの連携で一瞬迷ったけど、Webmonkeyの別のチュートリアルですんなり解決。便利な時代だなぁ。

こういうことをやるとき、自分としては「遊び/勉強」の区分けがないんだけど、学校の友人に言うと「まじめ」などと言われてしまう。でも、そもそも「遊び/勉強」という線引きラインのほうが先にあるもので、プログラミング言語を学ぶことが「遊んでいない=まじめ」というのはちょっと違うと思う。

たとえば、社会通念に照らしてみると、「遊び」で法律を勉強することはできないことになっている。逆に「勉強」のためにナンパをすることも、できないことになっている。「法律を学ぶ=勉強」、「ナンパ=遊び」という定式が存在するのだ。

うちの学校の場合(一般的にもそうだろうけど)、コンピュータ言語を学ぶことは「勉強」の枠に入れられていて、「遊び」とはなりづらい。自分としては、八割がた自分の楽しみのためなので(あとは単位ねらいもある)、そう簡単に「まじめ」と言われてしまうとちょっと困るんだけど、かといって「遊びキャラ」になるためにわざわざ「遊び」カテゴリのものに手を出す気にもならないので、現状に甘んじるのだが(遊びカテゴリのことをまったくしてないわけでもないし)

ここでひとつ気になるのは、「遊び」カテゴリのものでも場合によっては「まじめ」になりうる例があることだ。たとえばスノーボードは「遊び」が多く比重を占めるが、まじめにスノボを勉強することもできる。ただし、勉強の成果として認められるためにはプロになるくらいの実力と実績が必要で、そこまでいかない間は「遊び」から抜け出しづらいだろう。

このことからわかるのは、どんな行為も「遊び」と「勉強」を区切るラインがあり、その位置がそれぞれ異なっているだけだということだ。法律は「勉強」が90%以上を占めており、逆にスノボは「遊び」がほとんど、ということになる。

さて、ここで「学ぶ」という言葉の使い方が難しいことに気がつく。「学ぶ」というとどうしても「まじめ」に「勉強」するというイメージが最初に出てきてしまう。何かを身につけるという行為をニュートラルに表せる言葉がないのだ。もちろん「スノボを習う≒学ぶ」という言い方はできるので、「遊びを学ぶ」という表現でもいいかもしれない。でも、「法律を学ぶ」というと絶対に「勉強」の枠を超えることができない。「法律を遊ぶ」というと、茶化しているか、ものすごい天才法律家にしかできないことのような気がしてしまうし……なにかいい言葉はないものか。

長くてもよければ「あるひとつの系統として整備された価値基準およびそれに従った行動様式を反復的に身につけること」とか? これでも「学習」という感じは取れないか。


2003-02-19

_ 大人計画『ニンゲン御破産』

渋谷のシアターコクーンまでいってきた。今回はいつもの下北沢の雰囲気とは違い、観客の平均年齢も高め。新国立劇場のときもそうだったけど、人は内容よりも会場で選ぶのだなぁと思った。中村勘九郎が主演なのも大きいけど。

肝心の舞台について。歌舞伎と同じく二度の休憩を挟む三幕構成で、計三時間半の長丁場。江戸期の歌舞伎作家を目指す名家のダメ息子(?)が江戸に出てきて舞台を書く。それを鶴屋南北と河竹黙阿弥に酷評されながら説明するというのがメインの流れなのだが、その説明は途中から虚構なのか現実なのかわからなくなりはじめる。そのもうひとつ外側の流れとして、松尾スズキが「松尾スズキ」自身として舞台に登場し、自身もまた虚構を作る人物として関わっている。

この舞台は、真っ向から「舞台」をテーマにしている。舞台を作る人間が劇作家を主人公とした話を作る。その中でも劇作家が話を作り、作品は現実との境目を曖昧にする。

で、中間すっとばして観賞後の感想。松尾スズキが「大人」ぶりを見せた、という気がした。まず「舞台」そのものをテーマに据えているのが大きい。中村勘九郎を主演に迎えるほどに成長した松尾スズキが、ここにきてやっと余裕を持てるよいうになったということなのかもしれない。第三幕のラストシーンと、そこで加瀬実之介(中村勘九郎)が受け取る「プレゼント」なんて、まさに「大人」でなければできないことだ。それでもまだ、直球で「感動」を提示したりしないし(一生しないか)、相変わらず途中でひっこめたりカモフラージュしたりもするんだけど。

なんというか、「そういうことは40過ぎてからでいいのかもなぁ」と思った。

_ 中二階の壁際席だったのが残念だけど、久しぶりの演劇だったので楽しかった。会場も高級感あふれる空気だし、芸能人・文化人を見かけるし。今日いたのは、小野武彦・中村獅童・吉川ひなの・俵万智(は単に似てる人かも)

さらに休憩中にロビーをうろついてたら、ゼミの友人に会ってお互いに驚く。演劇好きなのは知ってたけど、まさか同じ舞台の同日に当たるとは。終了後に感想を聞いたら、「急に増えた予算の使い道に困ってた感じ」と、いつものゼミと変わらぬ辛口コメントで、なんとなく安心。


2003-02-24

_ [SQL] Cygwin + PostgreSQL + Windows98

しかるべく手続きを踏めば学校のWEBサーバでPostgreSQLを使えることがわかったので、私用のWin98でもできる限り同環境を再現すべく各所をあたる。でもかなり面倒くさそうっていうか、まだWWWやDBサーバも立ち上がってない状況。Cygwin+PostgreSQLはインストールできて、cygipcもインストールされた……はずなのだが、そこからがよくわからない。先は長そう。(5:00AM)

なんだかCygwinパッケージのApacheはWin98上だとうまく起動しないとかで、結局前から入っているApache for Winにシンボリックリンクをかましたり、PostgreSQLもいろいろ細工をしてなんとか動くという程度とか。こりゃ難物だ……学校にシェルログインして直接書いてしまったほうが早いかもしれないと思いはじめてきた。ここでは「PostgreSQLはいかにも『UNIXハッカーのソフトウェア』であり……MySQLは……エンタープライズユースの薫りがただよってきそうです」と言われてるけど、いきなりPgSQLのHackぶりを実感してしまった(参照:山形浩生「Hackについて」)。Hackはつらいのだ。(2:45PM)

_ 40過ぎるまでそうなれないのかなぁ、とも思った。

_連続放火の小2男児を補導=『火がきれいだった』−静岡県警」(時事通信)

脊髄反射で「ムルソーかよ!」とつっこんでいたが、読んでるわけはないだろう、たぶん。日本テレビのニュースでは「赤や黄色の火がきれいだったから」と、ますますムルソー度の高い供述になっていた。

あーでも、この子は「きれいだから火を着けた」んだから、筋は通ってるなぁ(社会性はともかく)。「太陽がまぶしかったから人を殺す」とはかなり違うね。

最近、頭も手も錆びついているかんじがする。休んでた影響が出てるのかも。


2003-02-26

_ [漫画] 漆原友紀『蟲師』第十七話「春を嘯く」(月刊アフタヌーン2003年4月号)

隔月から月刊に移っていそがしくなったせいか、若干疲れの見える印象もあったんですが、今月は思いっきりはまってしまいました。今回はいい。もう、まずタイトルでやられたし。

_ [漫画] 松本大洋『ピンポン』総集編(週刊ビッグコミックスピリッツ増刊 2003.3.14)

[月刊イッキ]創刊記念特別編集ということで、980円で一気読みできるのはありがたすぎました。未読だったんです。

で。むちゃくちゃおもしろいです。連載開始時から絶賛している友人がいたので、たぶん面白いのだろうとは思っていたけど、これはツボにはまりました。泣いたし。

展開はまったくジャンプ的な形式を踏襲していて、友情、強いライバル(中ボス&ラスボス)、挫折、修行、復活。個人的には「修行」の要素がきっちり入っているところがたまらない。あと、界王様(≒リサリサ、藤原佐為、自来也)は必要だなと。武者修行もいいけど。

_ なにげに『サトラレ』も気になる展開に。


2003-02-27

_ テーブルアート

appendixからテーブルアートのページに跳んでみた。これすげー。できるとは思うがやりたくないという意味でも。

_ アンケート

就職のエントリーをする際に、性格診断のようなアンケートに答えさせられることがある。相反する主義・信条が50個ぐらい並んでいて、どちらをより優先するかをそれぞれ4段階で選ぶのだが、ときどきよくわからない項目が入っている。今日のはこれ。

A、B二つの異なる仕事の仕方や働き方が対になっています。これから働いていく上で、あなたにとってどちらがより大切ですか。あてはまる程度に応じて1つだけチェックしてください。

はいどうぞ。

A:誰に対しても誠意のある態度で接すること
B:相手に合わせてうまく対応を変えること

これは権力に対する姿勢を聞いてるみたいですね、まーどっちかというとAかなーって答えると優等生ぶってるかな、まあいいやそれで。はいどんどん行こう。

A:公平な態度で人に接すること
B:思いやりのある態度で人に接すること

はい? 「公平な態度」の反対が「思いやりのある態度」? どういうことだ。ええと、身近な人を優先するのが「思いやり」ってことか? まぁ一般的にはそれが「思いやり」でいいのか? だとすると知らない人に対しては思いやることはできないのか? 公平は思いやりにならないのか? うー、わからん。


2003-02-28

_ 朝生

イラク・北朝鮮情勢と日本の内政・外交姿勢について。金子勝、宮崎哲弥など準レギュラー陣に加えて、勝谷誠彦田中宇宮崎学宮台真司(久々に尊顔を拝見、田原総一朗のすぐ横の席を与えられていた)など、個人的にも豪華メンバー。思わず見てしまった。

_ recent_list

プラグインのテスト中です。最初に想定してなかったから扱いが難しいなぁ。