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2003-02-18

_ 情緒が下り坂のときは遊ぶ気にもならないので、まだ勉強してるほうがよい。といっても一般教養って気分ではない。なので、ymSKさんのとこにあったリンクなどを参考にPHPMySQLをインストールしてみた。学校のほうで卒業制作にデータベースを使いたいと思ってたので、PHP+MySQLも触ってみたかったのだ。チュートリアルはPHP3を想定していて、PHP4とApacheの連携で一瞬迷ったけど、Webmonkeyの別のチュートリアルですんなり解決。便利な時代だなぁ。

こういうことをやるとき、自分としては「遊び/勉強」の区分けがないんだけど、学校の友人に言うと「まじめ」などと言われてしまう。でも、そもそも「遊び/勉強」という線引きラインのほうが先にあるもので、プログラミング言語を学ぶことが「遊んでいない=まじめ」というのはちょっと違うと思う。

たとえば、社会通念に照らしてみると、「遊び」で法律を勉強することはできないことになっている。逆に「勉強」のためにナンパをすることも、できないことになっている。「法律を学ぶ=勉強」、「ナンパ=遊び」という定式が存在するのだ。

うちの学校の場合(一般的にもそうだろうけど)、コンピュータ言語を学ぶことは「勉強」の枠に入れられていて、「遊び」とはなりづらい。自分としては、八割がた自分の楽しみのためなので(あとは単位ねらいもある)、そう簡単に「まじめ」と言われてしまうとちょっと困るんだけど、かといって「遊びキャラ」になるためにわざわざ「遊び」カテゴリのものに手を出す気にもならないので、現状に甘んじるのだが(遊びカテゴリのことをまったくしてないわけでもないし)

ここでひとつ気になるのは、「遊び」カテゴリのものでも場合によっては「まじめ」になりうる例があることだ。たとえばスノーボードは「遊び」が多く比重を占めるが、まじめにスノボを勉強することもできる。ただし、勉強の成果として認められるためにはプロになるくらいの実力と実績が必要で、そこまでいかない間は「遊び」から抜け出しづらいだろう。

このことからわかるのは、どんな行為も「遊び」と「勉強」を区切るラインがあり、その位置がそれぞれ異なっているだけだということだ。法律は「勉強」が90%以上を占めており、逆にスノボは「遊び」がほとんど、ということになる。

さて、ここで「学ぶ」という言葉の使い方が難しいことに気がつく。「学ぶ」というとどうしても「まじめ」に「勉強」するというイメージが最初に出てきてしまう。何かを身につけるという行為をニュートラルに表せる言葉がないのだ。もちろん「スノボを習う≒学ぶ」という言い方はできるので、「遊びを学ぶ」という表現でもいいかもしれない。でも、「法律を学ぶ」というと絶対に「勉強」の枠を超えることができない。「法律を遊ぶ」というと、茶化しているか、ものすごい天才法律家にしかできないことのような気がしてしまうし……なにかいい言葉はないものか。

長くてもよければ「あるひとつの系統として整備された価値基準およびそれに従った行動様式を反復的に身につけること」とか? これでも「学習」という感じは取れないか。