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2004-06-04

_ クォータを超えていた

しばらくエラーになってました。tDiary はリファラを記録してくれるのが魅力ですが、放置しても延々とリファラを記録してくれるため、放っておくと自然にクォータを超えてしまうわけでして、これを避けるため、近いうちにログからHTMLを生成し、静的なサイトとして再構築します。

現サイト → 氷山みたいなレタス


2004-05-13

_ 次期サイト

更新をサボっているわりには、ここ最近なぜかアクセス数が増えてまして、ユニークビジター数が350〜500にもなってます。5月7日に至っては704。ご愛顧ありがとうございます。でもMSNで「獣姦」を検索したり、ドイツ人が掲示板でハートマン軍曹の画像を直リンしてるのもカウントに含まれているので、実は今までとそんなに変わってないっぽい。

XREA の容量も残っていませんし、そろそろ移転です。とはいえまだデザインも固まってない状態での見切り発車なので、まだ本格運用には時間がかかると思いますが、よろしくお願いします。

http://cu39.s57.xrea.com/

こんな獣姦好きの溜まり場なんて、出てってやる!


2004-04-30

_ シーソーの支点に立って下を視る 地面は前より遠のいている

昨日の論を自分の問題に引きつけて考えてみるとすると、まずわからなくなるのは自分のことだ。僕は複数の、互いに関連が薄く、それぞれ使うのに時間がかかる道具を持っており、その上に怠惰な性分も加わって、時間が足りなくなっている、と思うことがある。ただ同時に、それらは本当に一つでも身についているのか。ともすれば、自分は一つも道具を身につけてなどいないのかもしれないと思えてくることもある。僕は道具の扱いに関して、素人の域を出るのはとても得意だが、その先になるとすぐ次の道具が視界が入り始めてしまう。

各々の扱いがどの程度「素人の域を出ている」のか、あるいは「出ていない」のかについては様々な見方ができるので、ここでは判断しない。どちらであるとしても結論は変わらないので心配はいらない。

道具の数が多すぎ、かつそれを同時に使おうとするために、それぞれがそれぞれを圧迫しているのなら、最も簡潔な解決策は、どれかを捨ててしまうことだ。しかし僕は、どの一つにも他のどれかを捨てさせるだけの魅力を感じていない。どの一つも身に付いていないとしても同じことが言える。身に付けるにも時間はかかる。

すべてにそれなりの魅力を感じている、またはどれにも魅力を感じていない、どちらでもいい。浮き上がってくる問題はこれである。何度目かはわからないが、またここに戻ってくる。まただ。

ここで取りうる道はふたつ、その平均的な「魅力」を評価して取り上げつづけるか、すべてを捨ててしまうかである。いくつかを選択し、いくつかを捨てるという選択肢はない。選び取るものを一つにするとしても、やはりない。それは結局、また増えていくだけのことだろうからだ。どちらか一方に移動しても、きっと僕は、シーソーが平らなまま静止する場所に戻ってくるだろう。そして地面がいくら下にあっても、立ちすくむか飛び降りるかに悩んでしまう。

今まで何らかの形で、そのどちらをも選択したことはある。どちらを選んだあとであっても、僕はまたここに戻ってきた。きっとまだ繰り返す。どちらがポジティブだとも、ネガティブだとも、もう思わない。どちらを選んだとしても苦しいことはわかっている。それは今までもそうだった。

ただ、そのどちらかを選んだとき、苦しむとわかっていても、僕は快楽を感じてしまう。これが、最も根の深い問題であるに違いない。

……異性関係のメタファーだとしたらとんでもないやつですね。


2004-04-29

_ 音を出すだけでも九年修業するラの音専用の管楽器

道具の使い方を習得することに手一杯になると、その道具を使って楽しんだり、何かを作ったり、何かを得たりするための時間が削られてしまう。道具の使い方を身につけることそのものも、十分にひとつの目的とする価値を持ったものではあるだろう。でも、あまりにもたくさんの道具を使えるようになったとき、それを使うだけの時間が残っていないのはなかなか悲しい事態ではある。

ものすごく素早く効率よく道具を使えるようになれば、問題は解決されるかもしれない。でも、ものすごく素早く道具を使えるようになるには時間をかけて熟達しないといけない。使い方が簡単ですぐ使えるような道具を選んでいくことも、問題の解決になるかもしれない。でも、使うのが簡単な道具でできるのは、簡単なことだけだったりする。

すぐには実現不可能と思えるような大きな理想を持って、それに必要な道具を集めていく、ことができれば楽なんだろう。でも、大きな理想なんてそもそも持っておらず、道具の使い方を身につければその先に理想が見えるかもしれない、と考えている人とか、大きな理想はあってもそれに必要な道具が決まってるわけではない、という(おそらく大多数の)人は、道具を使ってみるための時間まで道具の使い方を身につけることに使ってしまっていることがあったりするんじゃないかと思う。

道具をまったく使えないなら使い方から始めるしかないだろうけど、目的がないから道具の使い方でも覚えてみたというのなら、それを少しでも使ってみたらいいのかもしれない。楽しくなかったらまた別の道具に手を出してもいいし。


2004-04-26

_ リーダー的

どこかから回ってきた何だかマジメなメールに

参加資格:リーダー的素質を持った人

と書いてあって、そういやどこもかしこも「リーダーシップ教育」みてーなこといってるよなーと思いつつ、全員をリーダーにしようとしてどーすんだよ、そういう方法で競争力をつけても一方で挫折の落差が大きくなるから無気力が増えてるんじゃねーのなどと思いつつ、組織の流動性が強まるといつ何時誰がリーダーになるかわからねーからすぐ代わりがみつかるように全員が一応リーダー的素質を持ってろみたいな教訓が暗示されてるのかしら、それじゃー結局三日天下だね、と思った。

などという考察はすべて建て前で、頭の中はしまぶーのことでいっぱいでした、テヘ☆ これは要するに「リーダー的パンチ」や「リーダー見切り」をいつでも繰り出せる人を求めているに決まってますよ、何言ってるんですか。僕は「リーダーにらみ」習得の段階で挫折しているので、今回は残念ながら資格なし。

しまぶーは執行猶予中ながらスーパージャンプに『RING』を絶好調連載中。今日は音引き3割増し。

_ 議論のアンチパターン (翔ソフトウェア via (・∀・)イイ・アクセス

実は相手を「説得」aka.「やりこめる」場合には「アンチパターン」をうまくオブラートで巻いて使うほうが手っ取り早かったりしますよね。自戒のため、もしくは武器とするため(そしてリーダー的存在になるため)にメモ。

ひとつパターンを読むたびに、それを得意技にしてる人の顔が浮かんできたりこなかったり。