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2004-04-29

_ 音を出すだけでも九年修業するラの音専用の管楽器

道具の使い方を習得することに手一杯になると、その道具を使って楽しんだり、何かを作ったり、何かを得たりするための時間が削られてしまう。道具の使い方を身につけることそのものも、十分にひとつの目的とする価値を持ったものではあるだろう。でも、あまりにもたくさんの道具を使えるようになったとき、それを使うだけの時間が残っていないのはなかなか悲しい事態ではある。

ものすごく素早く効率よく道具を使えるようになれば、問題は解決されるかもしれない。でも、ものすごく素早く道具を使えるようになるには時間をかけて熟達しないといけない。使い方が簡単ですぐ使えるような道具を選んでいくことも、問題の解決になるかもしれない。でも、使うのが簡単な道具でできるのは、簡単なことだけだったりする。

すぐには実現不可能と思えるような大きな理想を持って、それに必要な道具を集めていく、ことができれば楽なんだろう。でも、大きな理想なんてそもそも持っておらず、道具の使い方を身につければその先に理想が見えるかもしれない、と考えている人とか、大きな理想はあってもそれに必要な道具が決まってるわけではない、という(おそらく大多数の)人は、道具を使ってみるための時間まで道具の使い方を身につけることに使ってしまっていることがあったりするんじゃないかと思う。

道具をまったく使えないなら使い方から始めるしかないだろうけど、目的がないから道具の使い方でも覚えてみたというのなら、それを少しでも使ってみたらいいのかもしれない。楽しくなかったらまた別の道具に手を出してもいいし。