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ここ2、3日ADSLのPPPが通らず、接続が確立しないというトラブルに見舞われていた。もともとはeAccessのほうでトラブっていたようなのだが、それが復旧したというアナウンスが出てもまだつなぐことができない。
サポートに電話したら、1時間待ってもつながらないので、スピーカーホンにしつつ設定をいじくっていた。
で、PPPoverATMじゃなくてPPPoverEthernetを使う設定にしてみたら、あっさりPPP認証が通る。だけどこれはマニュアルに書かれている推奨設定ではない。
「なんじゃそら」と思いながらもひとまず安心したところで早速メールチェックしてみたら、eAccessから「ファームウェアがアップデートされた」というメールが。
もしやこれか?! と、すぐにインストールしてPPPoverATMでつないでみたら、あっさりつながる……なんじゃそりゃあああ。アナウンスしろっちゅうの。
まぁ、MSN Messengerに対応したから許す。
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eAccessから借りている、住友電工製のTE4121Cというルータのファームウェアがバージョンアップ。Ethernet経由でADSL接続しているPCにグローバルIPを振ってくれるGapNATという機能が搭載されました。
わざわざファイアウォールの外に出たい人が多いなんて、この国は腐ってる勇気ある人が多い国だなあと思いました。
今日のゼミは講演を聴きにいくというんで、飯田橋の東京日仏学院へ行ったんだけど、途中に研究社のビルがあった。全面ガラス張りで中の様子がよく見えちゃうのだが、フロアはサロンとして一般に開放されているらしく、人々が洒落たデザインの椅子に座って英語の新聞や雑誌を読んだりテレビを見ていたりする。
それを見ながら友人と会話。
「あれは英語力じゃなくてステイタスを上げてるんだよねぇ」これがいわば自虐であるのも間違いないのだが、でも日仏学院は研究社と違ってちょっと奥まった場所にあったので、まだよかったなぁと思った。五十歩は百歩を笑ってもよい。日仏学院はとてもきれいなとこだった。
「そうですよ、『私を見て!』ってかんじですよ。『ルカッミー!』ですよ」
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親不知を抜いたところには、まだ穴があいている。これが埋まるまでには一ヶ月ほどかかるらしいのだが、その間に問題となるのは、この穴に食べたもののカスが詰まることである。カスがたまると細菌が繁殖しやすくなり、傷口の治りも悪くなってしまうわけだ。
で、それを避けるために、注射器と細長いチューブのアタッチメントを医者から渡された。まずはアタッチメントを注射器の先に装着。同時にイソジンうがい薬を水で希釈したものを作り、吸い取って歯茎にあいている穴のなかに「ちゅ〜っ」と流しこむのである。
面倒くさいと思われるかもしれないが、実際やってみると、穴の中からぽろぽろと食べ物の断片が出てくるのがなかなか楽しい。詰まっていた何かが出てくるというのは、根本的な快感につながってるような気がする。
この作業は毎食後やらなければいけないのだが、面倒などころか密かな楽しみになってしまっている。快感を増すためにわざと食べ物を詰まらせようかと思うくらいに。
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ふと、この日記を書かないと、俺がなにをやっているかってことをわかっている人はほとんどいなくなってしまうのだなぁ、と不安になったりならなかったり。
ですが、「自分はいま○○をやっている」という語り口は、なかなか難しいものです。といっても、たとえば「いま学生やってます」というように、客観的に判断可能な部分について、つまりとても表層的な部分について語るのはそれほど難しくないわけですが、ただそう語っただけでは伝わらない部分はいくらでもある、というか伝わらない部分のほうが大きいと思うわけです。
となると「自分が今やっていること」は果たして語ることができるのだろうかと、そもそも自分は何をやっているのかと考えてゆくたびに、ずぶずぶと深みにはまってゆきます。言葉はいくらでも出てくることでしょうが、それが果たして「今やっていること」なのかどうか。
とまぁそのへんを追いかけてしまうと底なしなので、「適当にしておきましょうね」というお決まりの文句をひとまず与えることにして。
もうひとつ、最初の段落の「不安になったりならなかったり」という部分が重要で、わかっててもらいたい気持ちと、べつにそうでもないなぁとか見られたくないという気持ちは同時にあるものです。「わかっててもらう」安心感と「知らなくてもいいだろ」というどーでもよさと「わかられてしまう」不安感が同時にあるわけです。しかもそれは、ただ良い部分だけを見せていたいという虚栄心だけではありません。もちろん虚栄心も関係するはずですが、それだけでは孤独感を解決することができなくなってしまいます。
うーん、もうちょっと個別的に考えるべきかもしれない。でも今日は眠いからやめとこう。日記を書かないことから思うことでした。
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「言葉はいくらでも出てくることでしょうが、それが果たして『今やっていること』なのかどうか」などと相変わらずいっている自分に一抹どころではない不安を感じている、というのが、最近の私のイメージにもっとも近いかもしれません。
不安を感じてるだけマシだともいえそうですが、やはり何らかの解決(というか妥協というか見ないふりというか)を与えないかぎり、世間は振り向いてくれないのではないかと。
ていうか、現実的にはゼミをひとつ切ろうかどうしようか迷っているんですが、それにまつわる悩みなのであります。いろいろありまして。
「やりたいこと」をいきなり持ってしまうのは、まずいと思います。というだけでは曖昧なので補足しておくと、何かやりたいことを訴えるためには、現実を見なければいけないと。
ある理想があったとしても、実現できる手段がないままではどうしようもありません。自分で技術を学ぶとか、技術を持っている人に助けてもらうとか、金がなかったら稼ぐとか、そういった方向への努力が必要になります。ここから考えてゆくと、何かを実現するプロセスには、いくつかのパターンがあると思います。
昨今「やりたいこと」の重要性がしきりに叫ばれますが、しかしそれはあくまで手段による修正を受けなければなりません。ですが、手段の獲得に終始したのでもまた、あまり意味がありません。ただ、日本は技術偏重の傾向が強かったために、このような主張が多いこともうなずけます。また、手段を文字通り「手がかり」として、そこから理想が見えてくるという場合もあるでしょう。ですが、やはり手段がただ手段のままであっては埒が開きません。
問題はここにあります。手段なき理想に意味はないが、理想なき手段にもまた意味はない。でも、そのバランスがうまくいかないから困ってしまう。
……ひとまず問題に気づいたところで、またいずれ(ジャンプ的「第一部・完」の可能性も)。
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また、何もしないでただ考えてるだけの時間が増えています。今までの人生の中で、そうした時間は睡眠に次ぐ比率を占めているはずで、ストレスの溜まる時期でもあるのですが、実は最も安心できる瞬間であったりもします。
ですが、ただ安心してもいられないわけです。最近そうしている自分を考えると、「餓死」という言葉がそこそこリアリティを持って迫ってきます。
今までにそういう時間を多く持つことができたのは、運がよかったからに他なりません。なにもしなくても暮らせるだけの環境が整っていたわけです(安心感があるのも、ただそうした理由からかもしれません)。だから、「怠惰が染みついている」と表現しても間違いないでしょう。
一方で、なぜだかわからないけど、そうしてこなければならなかったという面も、たしかにあるわけです。もしかしたらそうした時間を持つことなくやってこられた可能性もたしかにありますが、事実そうではなかったのです。
怠惰なことに一番困ってるのは、怠惰なやつ自身だったりします。
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一昨日は、怠惰な自分になってしまった原因を環境のせいとしてみたわけだが、それはそれで間違っていないと思う。で、最終的な責任が環境ではなく自分にあることも、もちろんわかっている。
果たしてそれがマズイのかどうかが問題で、必要もないのにわざわざ自分を怠惰でない方向にもっていくのも、なんとなく違うような気がする。そうするのは、そうしなきゃいけない状況になってからでも、べつにかまわないんじゃないのかと。いかなる状況においても、ある程度は先を読んで準備をしなきゃいけないのは当然のこと。でも、その度が過ぎると準備が準備を雪だるまにして一歩も動けなくなってしまう。
だから、いいのだ。ぼちぼちやりつつ気がついたら動く、という基本姿勢はそんなに悪くないはず……と開き直ってみたりする、ひとまず。進めないし。
あとは、それでダメだったときの覚悟か。実は、そんなのできやしないんだろうけど。
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あまりにも陽気が良すぎてやる気が起きず、授業を2つぶち抜いて友人とまったり。
幼少期にブラジルに住んでいた彼は、その空気の良さから彼の地を思い出したのか、「ボサノバ聴きてー」といいはじめたので、ノートのヘボいスピーカーからボサノバを流しつつ、芝生に寝転がって2時間くらいグッタリする。とても力が抜けて、よかった。
あとになって、ぶち抜いた授業のうちの片方が休講だったことを知る。
Gorillaz "19-2000" のPVがよく回っています。これも力が抜けます。脱力ブーム? Please repeat the message, it's the music that we choose♪
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今日は授業がひとつ休講なので、いつもよりゆっくり寝て、ちょうど1コマぶん遅い時間に出発。そうしたら、同じ授業をとってる友人から突然のメール。
課題があったらしい。え、ちょっと待って。まず今日は休講じゃなかったの? いまはちょうど授業の時間、てことは授業やってるわけ? そんでもって課題の〆切も今日なの? なにそれ、ダブルパンチ? ワンツー? この10文字でそれだけのダメージを受けていいわけ?
友人は授業中にレポートを必至で仕上げていたので、俺もちょっとだけがんばってみたが、課題の内容はそれまでの授業の要約なのに配られた資料も手元にない状態で、かつ残り30分では手の打ちようがない。結局あきらめてみたりする。
エレファントカシマシ『ライフ』と宇多田ヒカル『DEEP RIVER』がほしぇー。後者は6/19発売だけど。
そのボトル形状で自社製品の差異化を試みるというのはよくあることだが、斬新な形状のものほどいつのまにかコンビニから消えているもんだ。前にもどっかのスポーツドリンクが、歯で噛んでキャップを引っぱると中身を飲むことができるボトルに入ってたけど。
というわけで、エビアンの「mover bottle」を買ってみたが、飲みづらくてしょうがない。もしかすると、販売会社も最初から一時的な話題としての売れ行きしか期待してないのかもしれない。つまり、いきなり買っちゃった俺なんかは思惑通りというわけで。
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マス 『2000年から毎年出しているエビアンの限定ボトルはもっと飲みにくいです。2000年の時に友人に飲ませていただきました。 』
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