有名っぽいのが多いです。
うーん、はてなダイアリーのようなイカす Wiki がほしい。もっと詳しく言うと、BracketName として日本語はもちろん半角スペースやHTMLエンティティが含まれていてもページを作りまくってしまえるようなやつがほしい。さらに、本文中にキーワード化された文字列を発見したら [[ ]] がついてなかろうと半角が混じっていようとなんでも強制的にリンクしてしまうようなやつがいい。はてなではノイズ的なリンクが問題化してるけど、もっと狭い範囲で使うなら問題ないだろう。
うーんほしいほしいほしいと念じていても作ってもらえるアテはないので、自分で作ることを考えよう。 YukiWiki や WalWiki を改造して半角スペース入りページを可能にしたり多言語化したりしてる例はあるけど、機能の点から言って PukiWiki を使いたいなぁとか思うわけだけど、PHP だとイチから勉強しないといけないし、各機能とのバッティングが心配されるから他のほうがいいかなぁ……とりあえず1年くらいで完成させることをメドに。長い。
PHP で書かれた高機能 Wiki クローン PukiWiki の最新版がリリースされました。
昨日 BracketName に半角スペースを使える Wiki がほしいと書いたばっかですが、今日リリースされた PukiWiki 1.4 ではまさにこの機能が実現されました。またページ名を記述するだけでリンクされる AutoLink 機能も追加されています。他にも細かい点が改良され、安定度も増しているようです。
タイミング良すぎ! すごい! 愛してる!
いつのまに。みんな、モジモジしてないでトラックバックしちゃえよ! と言いつつ自分はしないのは基本。いきなり荒れたみたいですね。
なんか着実に普及してるなーと感じてしまった。MIYADAI.com は独自スクリプト組んでるようだったので、入れないのかもしれないと思ってたけど、やっぱりラクだしなぁ。しかし、なんだかんだ言って導入が面倒な Weblog ツールや CMS 、より一般的にはWebページを静的/動的に自動生成してくれるプログラム等を使うのが「当然」という風潮になってくると、逆に Web 製作への敷居が高くなって新規参入しづらくなるんじゃないかと少し心配にもなる。
と考えてるうちに、自分が最近HTMLベタ打ちのサイトをあまり見ようとしてないからそう思うだけなんじゃないかと気づいたりして。やっぱりどこかでおもしろいサイトが生まれてるのかな。
このサイトでも新機軸を打ち出して、MTを使いつつあえてベタ打ち的なページをビルドし続けるサイトにしてみるのはどうだろう。バラさない限り誰にもわからないの。あ、 MIYADAI.com の話をしてない……。
主催者さんからコメント告知が。なかなかがんばってる様子。egroups でML作ったようですが、メンバー数は 3 ……。
ヲチャー youji さんを認識。残るはコアなヲチャーのみなのか。巷(ていうか2ch)ではレボリューションズ公開を受けてマトリックス系が加熱してるようです。
なんでこのページのランクが 5 もあるんでしょう。内側にリンクを閉じておくと上がるというのは知ってましたが、それにしても 5 って……駄文による更新頻度が高いとはいえ、前出の MIYADAI.com とか W.T.B.W. と同じでいいのかと。
ニッチな検索キーワードでこまめに上位に来るのが要因か? あ、「バター+犬」で 40,600 ヒットをおさえて1位になるからか……アンテナも 4 だけど、やっぱそれか……SEOの奥義発見*1。
お前らは騙されすぎなわけだが。
*1 ランクが高いから上がるとも考えられるので依然謎は残るけど、検索される頻度の高いキーワードでヒットするとポイントが高いような気はする。
落ち着かない日々が続いてる中、少し谷間ができたので『マトリックス・レボリューションズ』と『キルビル』を見に行くことにした。その前に友人宅で、まだ見ていない『リローデッド』と『リベリオン』を見せてもらう予約。
ところが前日からの寝不足をひきずったため(例によって)大遅刻をかましてしまい、どちらもダイジェストで観賞せざるを得なくなる。結果、アクションシーンのデキの良さのために「リローデッド」よりも「ガン=カタ」(銃型)が頭に刷り込まれてしまう。
その後ワーナー系シネコンに移動。『レボリューションズ』は公開後はじめての週末だったので席が取れるかどうか心配だったけど、問題なく良い位置を確保。一方の『キルビル』は最終回だったこともあってか小規模なホールでしかも自由席。
「リローデッド」を見た直後だったので、「レボ」のものだと思っていたシーンが実は「リロ」だったりと記憶が混乱した。最もまずかったのは、あまりにも『キルビル』を意識していたために頭が元ネタ探索モードに入りっぱなしで、最終的には何の映画を見てるんだかわからないような状態になってた。
個人的には、あの兄弟が『グラップラー刃牙』まで読んでいるということがわかったので、ますます親近感を覚える結果に。最後のほうはずっとマンガの記憶が喚起されまくっていたので、あまりにもハリウッド超大作なストーリーも気にならなかった。ドラゴンボール→アキラ→バキ→エヴァ→ナウシカ。
隣で見ていた友人はCGの製作過程を想像してしまい、眩暈を起こしていたらしい。スタッフロールがとにかく長大。
ぎりもなさけも〜なみだも〜ゆめも〜
きのうもあしたも〜えんのない〜ことばぁ〜♪
うらみのかわにぃ〜みをゆぅ〜だねぇ〜
おんなは〜とぉにぃ〜すてえまぁ〜しぃいたぁ〜♪
友人とチャットでキルビル談義。彼はキルビルを「今年最高の傑作」とまで形容している。んで、キルビルの引き合いに出されたのが、予告編で見た『ラスト・サムライ』。彼はキルビルは許せてもラスト・サムライは許せないんだって。そのへんに関する会話から。
「キルビルのニッポン感が気にならないというのは、まぁ「あえて」感のせいもあるんだろうけど、それこそ梶芽衣子の修羅雪姫とかみたいな、どうしようもなく救われない暗さみたいなものを、かなりがんばって再現しようとしてるからかも」
「タラちゃんのは「映画的記憶」の中の日本なのかな……と俺は思ったよ」
「トムのは、やっぱ芯のところが西洋映画みたいで」
「日本の引用元が、映画の外にあるのね。それが受け付けない。ハリウッド映画+(脳内)知識じゃ、ただのハリウッド・オリエンタリズムかなと」
「ハリウッド・オリエンタリズムってしっくりくるね」
「タラちゃんは、ハリウッドの外の映画的知識(記憶)で撮ろうとするからね。映画の中の日本の記憶ってとこで、共有できるのかなと」
「ラスト・サムライには、とりあえず現代の日本人の中にない記憶を捏造されそうな悪寒はあるね」
(このあと延々とトムの「脳内ニッポン」「脳内サムライ」「脳内ハラキリ」「脳内マゲ」などについての妄想が続く)
梶芽衣子的な「美人」あるいはそうした運命美の系譜は、表立たないところでかもしれないけど連綿と続いていて、日本を代表する価値観であるかどうかは別としても、少なくともアメリカにいながらにして理解することはとても難しいものであるにもかかわらず、彼はわかってるわけですよ。日本人の研究員が翻訳しようとしても無理なものを*1。
キルビルを見てると、竹易てあし(aka.沙村広明)「涙のランチョン日記」(『おひっこし』所収)にとてもよく重なる*2。で、その沙村広明は今や、屈指の時代劇を描ける日本でも数少ない才能なわけで。
近所には梶芽衣子の『修羅雪姫』は置いてないので、釈由美子版でも探してみようかなぁと思ったり思わなかったり。
*1 『レザボア・ドッグズ』のオレンジがホワイトに密偵であることをバラして「仁義を通す」シーンも、アメリカではよく理解されなかったらしいし。
*2 調べてみたら、「女囚さそり」の2作目(第41雑居房?)がお気に入りだという情報を発見。
風呂に入ってたら、ふとグループ魂『竹内力』を思い出したので口ずさんでいた。さらにふと「竹内力」を「國村隼」にしてみたらピッタリだった。そのまま「ルーシー・リュー」、「ユマ・サーマン」、「ゴードン・リュー」などが次々とハマっていき、頭から離れなくなってしまった。
竹内力だけでなく、哀川翔や大杉蓮などの部分もお好みに会わせて差し換えながら楽しんでください。國村隼はオリジナルに入っていても違和感ないと思います。
ミラーができては次々と閉鎖されてゆく*1、大阪府河内長野市の大学生が家族を殺傷した事件の容疑者と付き合っていた女子高生のサイトですね。最近ネット事情に対しても反射がにぶってますが、Beltorchicca 経由で zeroplus に跳んで、アーカイブされた日記を読みました。
異常扱いされるのはマスコミ上くらいのもので、少なくともWeb日記読みだったら「イタっ」と思うのが関の山ですよね。成績優秀だったらしいのに日記は "DYARY" だし*2、殺人予備の根拠となった包丁も「穴あき包丁」だし。千切りにでもしたかったのかと。くっつくのがイヤだったのかと。もう、全体的に薄くてヌルい。
重要なのは、事件を起こすような特異性がこの日記には何も表れていないことでしょう。事後的にであれば彼女のサイトに他と異なる点を見出すこともできるかもしれませんが、事件が起こる前だったらおそらく何もわからない(実際、誰にもわからなかった)。「往ってきます/捜さないで下さい/その方が幸せだから」という台詞も「プチ家出かよ」と思う程度です。
自傷したいとか誰かと心中したいなんて願望は自分にまったく無いものですが、最重要なことをほのめかすことはしても核心には触れたくないという点(と、サンジ好きである点)には共感できてしまいます。
そういうことを書けず、暗示もされなかった(もしくは読者に伝わらなかった)のだとすれば、日記を書くことに意味なんてあるのか? と思ってしまいました。彼女が他の同じようなことを書いている女子高生(や未成年やすべての人)と同じ危険性をはらんでいるとはどうしても思えません。とはいえまったく危険性がないわけではなく、少数はいるのだと思います。でもその違いは、文の上に現れてこない*3。
もちろん、読む人に対して大きな影響をもたらすものを書くことが難しいのはわかります。でも、何か見えていてほしかった。僕の目が鋭くないだけのことかもしれませんが、それにしても、これじゃあまりにも普通すぎる。
壁の向こう側を何も見せられないというのなら、それは無言のままでいることと何も変わらない。だとすれば、そもそも見えていなかったものは、何を言っても(おそらく、たとえ「核心」の部分を書いたとしても)結局見せられないということになる。その上、自分にとっての慰めにすらなり得なかったのだとすれば、彼女が書くことは、彼女の周囲の人(読者を含む)にとっても彼女自身にとっても、本当に何の意味もないことだった。内面を書くことは、単なる時間の浪費にすぎない。
なんか、読んでてガックリきました——まぁ自傷写真とかを見てると、自己満足と自己顕示に疑いも何もなかったんだろうなぁとも思うんですが……ひとまずゴスロリやおい少女のたわ言としてやりすごす方向で。被害者の冥福と回復を祈りつつ。
新潟の遠い親戚に会いに行った母親が、越乃寒梅(白ラベル)と久保田碧寿を持って帰ってきた。久保田は正月用にストックし、とりあえず越乃寒梅を開栓、うめー。すげーうめー。同蔵元では一番下のランクらしいけど、うめー。酒好きじゃないけどこれなら飲みたい。
というわけで、しばらく飲んだくれ(一杯で)。
10月23日にリリースされた MSN Messenger 6.1 に新しく組み込まれたゲーム Hexic に、11月アタマくらいからハマってました。実はメッセンジャーを使わなくてもプレーできます、ただしメッセージが英語。
毎日少しずつ、2週間くらいかかってやっと初クリア。スコアは 371,320 でした。途中で一度スターフラワーのクラスタを作ってしまったので、最高速でクリアするよりは少し高いスコアのはずです。40万はいけそうな気配(レベル7で粘れれば青天井だけど)。
みんなあんまりやってないんでしょうか。攻略コンテンツでもやろうかと、一応キャプチャ取りながらプレーしたんですが……。
もう「階層化」とか言うのも面倒になってきた。なにこれ。就職率低下だけならいいけどさ。他の要因があるのかもしれないけどさ。
普段「俺が社会を動かしてる!」とか言いたがる人ほど、こういうときに限って「個人の力ではどうにもなきない」なんて選挙に行かない人みたいなこと言いそうで、早くも気持ち悪くなりそうです。そりゃー俺に回ってこないわけだね。
モラトリアムを批判する輩の勢いを削げそうなことを、唯一の救いと考えておこう……ハァ*1。
*1 高度経済成長を経験した後の低成長/成熟化社会においては、ある程度少ない人員で経済を回したほうが効率が良く、ほぼ必然的に階層化を招いてしまい、それ以外に成長を続けられるようなシステムはいまのところ誰も見出せていない、という程度には理解しているつもり。
出身地がわからない状態で人に会って、「あ、この人は自分と似ている」と感じると、その人は首都圏郊外と呼ばれる千葉・埼玉・神奈川あたりの人であることが多い。言葉づかいや見た目が違っても、価値観とか人生観とかそういった姿勢について、どことなく近しいものを感じる。他の出身の人と比べて特によく気が合うということもないけど、似ているとは思う。
目の前のものにそれほど期待はしていないけど、そう不満を持つわけでもなく、いつも退屈はしてるけど、積極的にそれを打ち破ろうとしているわけでもない。そこそこ流されてみるのも嫌いではない。「デカいことしたい」とも別に思わない。楽しくないわけじゃない。でも、どことなく疲れてはいる。東京から半径50kmの円内に入る範囲で、かつ東京23区内ではない地域に住んでいる人々は、どことなく共有するものがあると思う。
そうした首都圏郊外をさらに細分化することもできる。木更津のさびれ感は、川崎・府中・川口・松戸などよりもさらに遠く、藤沢・八王子・所沢などの距離感に近い。住民が少ないわけではないはずなのに、人の姿が少なくなる。電車に乗ってる人の雰囲気も違ってくる。本屋にはかなり売れてる本しかない。体表面のユニクロ面積比率が上がる。空気が、なんか土っぽい。
「東京」にはその気になればすぐ行かれるけど、それなりに金も時間もかかるので日常的に行く所ではない。便利ではあるけど、それほど夢に満ちた場所じゃないことは知っている。ちょっと楽しそうだけど、別に行かなくてもいい。普通の用事なら地元でも十分に事足りてしまう。東京に引っ越しても「上京」とは呼ばれない。友達が遠く離れていくことも少ない。スカイラークはガストになり、古い酒屋はコンビニになり、ライトオンが潰れてツタヤになる。目の前の変化は常にたくさんあって、それを少しずつ楽しんでいるのもいい。小さな波は絶え間なく寄せてきて、大きな波を予感させそうでもある。でも、決してやってこない。
ぶっさんは死にそうだけど、死なない。
今回の映画版も含めて、『木更津キャッツアイ』シリーズを観たあとは、だいたいこんなことを考えていると思う。ストーリーとか構成そのものの面白さはもちろんあるけど、作品を好きになった人が特に思い入れを持ってしまうのは、うしろに漂っているムードが一役買っている気がする。
東京から50km前後の範囲で特によくDVDが売れてる、とかいう事実はないかなぁ。
- 週刊わたしのおにいちゃん 第1号(彩色済フィギュア+オールカラー32Pブックレット)
- 週刊わたしのおにいちゃん 第2号(彩色済フィギュア+オールカラー32Pブックレット)
- 週刊わたしのおにいちゃん 第3号(彩色済フィギュア+オールカラー32Pブックレット)
- 週刊わたしのおにいちゃん 第4号(彩色済フィギュア+オールカラー32Pブックレット)
- 週刊わたしのおにいちゃん 第5号(彩色済フィギュア+オールカラー32Pブックレット)
- 萌える英単語もえたん
長谷川泰子が小林秀雄の元に走った晩、中原中也はゲーテ『ファウスト』を読んでいた。
野々上慶一『中也ノオト〜私と中原中也』(かまくら春秋社)より。死に際が壮絶なせいもあって、性格や行動を紹介するときには、悲劇的な美しさ、繊細さなどがしばしば強調されますが、この本には中原の邪悪な面がたくさん書かれてます。
酒癖が悪くて毒舌で、ケンカっ早くて嫉妬深い。近くにいたら困るけど、しばらく会わずにいると懐しくなりそうなタイプ。早死にしたら愛されるけど、逆に言えばそうじゃないと愛されないキャラだったんでしょうか、やっぱり。
赤信号で停車していたら、前の車のドライバーがじっと右側を見ている。それにつられて自分も右を向いてみると、地平線のすぐ上に真っ紅な夕日がある。秋らしい雲がたくさん出ていていて、同じ色に染まっている。
信号が青になり、前の車が名残惜しそうに発車する。もう一度だけ夕日を振り返って、自分も車を進める。前との車間距離が少し長くなる。バックミラーを見ると、後ろの車ともだいぶ離れている。
う、字がかわいい。丸文字→80年代ってことなのか? どちらも『映画をめぐる冒険』所収の映画評の一部です。
何ともいえない値段。それほど大人気というわけでもないみたいです。
村上春樹といえば、「村上春樹 キリンジ」の検索結果から跳んできた人がいて知ったんですけど、キリンジについて発言してるんですね。「1960年代のソフトロックの影響を強く受けたような、なかなか楽しい音楽」(ここより)だそうで。どこに書いてあったんだろう。
イーストウッド監督『ブロンコ・ビリー』評の原稿にも「とりあえず楽しい映画である」という表現がありますね。あまりこの人のレビューを読んだことがないので、「楽しい○○」がどの程度のほめ言葉なのかわかりません。少なくとも熱烈にほめてるわけではなさそうですが。
とはいえ、長編の中によく出てくる「まともな○○」という表現はなかなか評価しているものに対して使われる気がするので、形容詞が簡潔だから評価は低いなどと考えるのは短絡かもしれません。村上春樹が「激ヤバ!」とか「超マスト」なんて言ってる姿は想像しづらいので、もしかすると「楽しい○○」も高い評価の表れだったりして。
「バターと犬とペット」は、どうということもないけれど、まともで楽しいウェブ・ログである。やれやれ。
昨日の Boing Boing でサブリナたんが紹介された直後、着ぐるみとコスプレをめぐって混乱していたんですが、それを見かねた心ある有志によって正確な定義が伝えられたようです。
日本の2種類のドレス・アップの違いはぼんやりとしてるんだけど、ある種の区別もあるんだ。コスプレはほとんどの場合マスクは着けず、色々なゲームやマンガ、アニメなどのキャラクターを元にしている。これは一般に空想的な見た目になるね。日本の大多数のコスプレイヤーはハードコア・アダルトの市場に入り込むことを好まない。でもフェティッシュな方面と関係があることを否定するわけでもないんだ。「コスプレ・ガール」っていう英語の本があって、アダルトなものもそうじゃないものも見つけられるよ。及川奈央はたくさんのアダルト・コスプレの仕事を残してるしね。
マスクを使うと、それはキグルミになる。もともとキグルミは、ディズニーランドでグーフィの格好をしてる人たちと同じものだよ。日本のアミューズメント・パークとか、街頭の製品プロモーションでもよく見かけるね。こちらも普通はマンガ・アニメ・ゲームの世界から持ってくることが多い。今、ある人たちはこれを生活のためにやってるけど、別のある人たちは趣味のためにやっているんだ。まぁ明らかに、マスクに加えて肌色のストッキングや前身タイツを着たがる人たちは一歩先に行ってるよね。また、全部じゃないけどほとんどの場合、男がやってることを怪しいと思ってるかも知れない。これは手間がかかるわりに、何とも伝えるのが難しいところだね。
(最後のほうの訳がかなり怪しい)というわけで、マスクの有無が着ぐるみとコスプレの境界を判断する大まかな目安になるというあたりは伝わったようです。正確な日本文化の姿が国際的に理解されるための重要な一歩ですよ。
でももう一つだけ、キグリミじゃないから。