ミラーができては次々と閉鎖されてゆく*1、大阪府河内長野市の大学生が家族を殺傷した事件の容疑者と付き合っていた女子高生のサイトですね。最近ネット事情に対しても反射がにぶってますが、Beltorchicca 経由で zeroplus に跳んで、アーカイブされた日記を読みました。
異常扱いされるのはマスコミ上くらいのもので、少なくともWeb日記読みだったら「イタっ」と思うのが関の山ですよね。成績優秀だったらしいのに日記は "DYARY" だし*2、殺人予備の根拠となった包丁も「穴あき包丁」だし。千切りにでもしたかったのかと。くっつくのがイヤだったのかと。もう、全体的に薄くてヌルい。
重要なのは、事件を起こすような特異性がこの日記には何も表れていないことでしょう。事後的にであれば彼女のサイトに他と異なる点を見出すこともできるかもしれませんが、事件が起こる前だったらおそらく何もわからない(実際、誰にもわからなかった)。「往ってきます/捜さないで下さい/その方が幸せだから」という台詞も「プチ家出かよ」と思う程度です。
自傷したいとか誰かと心中したいなんて願望は自分にまったく無いものですが、最重要なことをほのめかすことはしても核心には触れたくないという点(と、サンジ好きである点)には共感できてしまいます。
そういうことを書けず、暗示もされなかった(もしくは読者に伝わらなかった)のだとすれば、日記を書くことに意味なんてあるのか? と思ってしまいました。彼女が他の同じようなことを書いている女子高生(や未成年やすべての人)と同じ危険性をはらんでいるとはどうしても思えません。とはいえまったく危険性がないわけではなく、少数はいるのだと思います。でもその違いは、文の上に現れてこない*3。
もちろん、読む人に対して大きな影響をもたらすものを書くことが難しいのはわかります。でも、何か見えていてほしかった。僕の目が鋭くないだけのことかもしれませんが、それにしても、これじゃあまりにも普通すぎる。
壁の向こう側を何も見せられないというのなら、それは無言のままでいることと何も変わらない。だとすれば、そもそも見えていなかったものは、何を言っても(おそらく、たとえ「核心」の部分を書いたとしても)結局見せられないということになる。その上、自分にとっての慰めにすらなり得なかったのだとすれば、彼女が書くことは、彼女の周囲の人(読者を含む)にとっても彼女自身にとっても、本当に何の意味もないことだった。内面を書くことは、単なる時間の浪費にすぎない。
なんか、読んでてガックリきました——まぁ自傷写真とかを見てると、自己満足と自己顕示に疑いも何もなかったんだろうなぁとも思うんですが……ひとまずゴスロリやおい少女のたわ言としてやりすごす方向で。被害者の冥福と回復を祈りつつ。