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2003-11-19

_木更津キャッツアイ 日本シリーズ

出身地がわからない状態で人に会って、「あ、この人は自分と似ている」と感じると、その人は首都圏郊外と呼ばれる千葉・埼玉・神奈川あたりの人であることが多い。言葉づかいや見た目が違っても、価値観とか人生観とかそういった姿勢について、どことなく近しいものを感じる。他の出身の人と比べて特によく気が合うということもないけど、似ているとは思う。

目の前のものにそれほど期待はしていないけど、そう不満を持つわけでもなく、いつも退屈はしてるけど、積極的にそれを打ち破ろうとしているわけでもない。そこそこ流されてみるのも嫌いではない。「デカいことしたい」とも別に思わない。楽しくないわけじゃない。でも、どことなく疲れてはいる。東京から半径50kmの円内に入る範囲で、かつ東京23区内ではない地域に住んでいる人々は、どことなく共有するものがあると思う。

そうした首都圏郊外をさらに細分化することもできる。木更津のさびれ感は、川崎・府中・川口・松戸などよりもさらに遠く、藤沢・八王子・所沢などの距離感に近い。住民が少ないわけではないはずなのに、人の姿が少なくなる。電車に乗ってる人の雰囲気も違ってくる。本屋にはかなり売れてる本しかない。体表面のユニクロ面積比率が上がる。空気が、なんか土っぽい。

「東京」にはその気になればすぐ行かれるけど、それなりに金も時間もかかるので日常的に行く所ではない。便利ではあるけど、それほど夢に満ちた場所じゃないことは知っている。ちょっと楽しそうだけど、別に行かなくてもいい。普通の用事なら地元でも十分に事足りてしまう。東京に引っ越しても「上京」とは呼ばれない。友達が遠く離れていくことも少ない。スカイラークはガストになり、古い酒屋はコンビニになり、ライトオンが潰れてツタヤになる。目の前の変化は常にたくさんあって、それを少しずつ楽しんでいるのもいい。小さな波は絶え間なく寄せてきて、大きな波を予感させそうでもある。でも、決してやってこない。

ぶっさんは死にそうだけど、死なない。

今回の映画版も含めて、『木更津キャッツアイ』シリーズを観たあとは、だいたいこんなことを考えていると思う。ストーリーとか構成そのものの面白さはもちろんあるけど、作品を好きになった人が特に思い入れを持ってしまうのは、うしろに漂っているムードが一役買っている気がする。

東京から50km前後の範囲で特によくDVDが売れてる、とかいう事実はないかなぁ。