落ち着かない日々が続いてる中、少し谷間ができたので『マトリックス・レボリューションズ』と『キルビル』を見に行くことにした。その前に友人宅で、まだ見ていない『リローデッド』と『リベリオン』を見せてもらう予約。
ところが前日からの寝不足をひきずったため(例によって)大遅刻をかましてしまい、どちらもダイジェストで観賞せざるを得なくなる。結果、アクションシーンのデキの良さのために「リローデッド」よりも「ガン=カタ」(銃型)が頭に刷り込まれてしまう。
その後ワーナー系シネコンに移動。『レボリューションズ』は公開後はじめての週末だったので席が取れるかどうか心配だったけど、問題なく良い位置を確保。一方の『キルビル』は最終回だったこともあってか小規模なホールでしかも自由席。
「リローデッド」を見た直後だったので、「レボ」のものだと思っていたシーンが実は「リロ」だったりと記憶が混乱した。最もまずかったのは、あまりにも『キルビル』を意識していたために頭が元ネタ探索モードに入りっぱなしで、最終的には何の映画を見てるんだかわからないような状態になってた。
個人的には、あの兄弟が『グラップラー刃牙』まで読んでいるということがわかったので、ますます親近感を覚える結果に。最後のほうはずっとマンガの記憶が喚起されまくっていたので、あまりにもハリウッド超大作なストーリーも気にならなかった。ドラゴンボール→アキラ→バキ→エヴァ→ナウシカ。
隣で見ていた友人はCGの製作過程を想像してしまい、眩暈を起こしていたらしい。スタッフロールがとにかく長大。
ぎりもなさけも〜なみだも〜ゆめも〜
きのうもあしたも〜えんのない〜ことばぁ〜♪
うらみのかわにぃ〜みをゆぅ〜だねぇ〜
おんなは〜とぉにぃ〜すてえまぁ〜しぃいたぁ〜♪
友人とチャットでキルビル談義。彼はキルビルを「今年最高の傑作」とまで形容している。んで、キルビルの引き合いに出されたのが、予告編で見た『ラスト・サムライ』。彼はキルビルは許せてもラスト・サムライは許せないんだって。そのへんに関する会話から。
「キルビルのニッポン感が気にならないというのは、まぁ「あえて」感のせいもあるんだろうけど、それこそ梶芽衣子の修羅雪姫とかみたいな、どうしようもなく救われない暗さみたいなものを、かなりがんばって再現しようとしてるからかも」
「タラちゃんのは「映画的記憶」の中の日本なのかな……と俺は思ったよ」
「トムのは、やっぱ芯のところが西洋映画みたいで」
「日本の引用元が、映画の外にあるのね。それが受け付けない。ハリウッド映画+(脳内)知識じゃ、ただのハリウッド・オリエンタリズムかなと」
「ハリウッド・オリエンタリズムってしっくりくるね」
「タラちゃんは、ハリウッドの外の映画的知識(記憶)で撮ろうとするからね。映画の中の日本の記憶ってとこで、共有できるのかなと」
「ラスト・サムライには、とりあえず現代の日本人の中にない記憶を捏造されそうな悪寒はあるね」
(このあと延々とトムの「脳内ニッポン」「脳内サムライ」「脳内ハラキリ」「脳内マゲ」などについての妄想が続く)
梶芽衣子的な「美人」あるいはそうした運命美の系譜は、表立たないところでかもしれないけど連綿と続いていて、日本を代表する価値観であるかどうかは別としても、少なくともアメリカにいながらにして理解することはとても難しいものであるにもかかわらず、彼はわかってるわけですよ。日本人の研究員が翻訳しようとしても無理なものを*1。
キルビルを見てると、竹易てあし(aka.沙村広明)「涙のランチョン日記」(『おひっこし』所収)にとてもよく重なる*2。で、その沙村広明は今や、屈指の時代劇を描ける日本でも数少ない才能なわけで。
近所には梶芽衣子の『修羅雪姫』は置いてないので、釈由美子版でも探してみようかなぁと思ったり思わなかったり。
*1 『レザボア・ドッグズ』のオレンジがホワイトに密偵であることをバラして「仁義を通す」シーンも、アメリカではよく理解されなかったらしいし。
*2 調べてみたら、「女囚さそり」の2作目(第41雑居房?)がお気に入りだという情報を発見。