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2003-04-17

_ 松井でもおれに勝てない 人生をフルスイングで棒に振るなら

今学期の時間割を決めたのだが、ひとつ授業を登録し忘れてしまった。卒業に支障が出たりはしないけど、最近、こういう物忘れが激しくて困る。

きっと就職ガイドを真に受けて「自己分析」なんてことをやってしまったのがまずかったのだろう。今のことよりも、過去の記憶のほうが鮮明になり、ぐいぐいと前に押し出されてきて、今のことをうまく考えられない。以前たくさん考えたこと、優越感とか劣等感とか思い上がりとか謙遜とか、考えないようにしてうまくいっていたこととか、そういったものに覆い被さっていたかさぶたがはがれてしまったような気がする。そこから出てくるものに振り回されているうちに、気がつくと一日が終わっている。

こうして再び、人生をフルスイングでホームランにしてしまうんだろうか。

_ 「不健康であるためには健康でなくてはならない」(村上春樹)

「文學界」2003年4月号(文藝春秋社)、村上春樹ロング・インタビュー「『海辺のカフカ』を語る」が面白かった。

 僕は専業の小説家になってから二十年くらいになりますが、ずっと一貫して、早寝早起きして、身体を鍛えて、節制して、ということを意識してやってきました。肉体労働者的になるっていうか、僕は思うんだけど、どろどろした闇の領域みたいなところに行き着くためには、フィジカルに鍛えていないとどうしようもないんですよね。あくまで僕自身の小説の世界のことを考えれば、ということだけど、不健康であるためには健康でなくてはならないという、逆説的なテーゼに行き着くわけです。こっちが弱いと、暗闇の中を歩き回るという作業に負けちゃうんです。そしてある種のとくべつな非現実的な領域には、日々のルーティンを通してしか辿り着けないんです。

煙草で抑えたりごまかしたりするのはやめて、生活リズムを整えて、適度に身体を鍛えればいいのかなぁ。

あと、いま自分が「不健康」なままでいられるのは、ただ健康なおかげで、不健康になれば「不健康」ではいられないというのもわかる。

_ 400叩き

あともう一つ、これに関係してるようなしてないような、最近気づいたこと。

以前、フランソワ・トリュフォー監督『大人は判ってくれない』(1959)を見たときに、「普通だし、なんとなくよくわからないなー」という印象ばかりが残っていて、名作だと言われる理由もわからなかった [2002.3.7]。でも最近、この映画の原題が "Les Quatre Cents Coups" だと知ったら、すっきりと腑に落ちた。あの映画、大人の存在はそれほど大きくないし、ぜんぜん『大人は判ってくれない』っていうかんじじゃなかったから。どうやら日本語のタイトルに引きずられすぎていたようだ。

"quatre cents" は「400」のこと。 "coup" というのは「打つ・殴る・叩く」という意味で、そこから物理的・精神的な意味での「衝撃・ショック」とか、さらに転じて「試み・企て・いたずら」のような意味にも使われるらしい。

直訳すると「400回叩く」なんだけど、その "coup" の意味がすべて流れこむ。だったら、すごくわかるのだ。いい映画だと思い直したし、もう一度見てみたくなった。

と思ったら、まったく同じ感想を持った人がいた。「インパクトがありすぎるだけに視座を特定してしまう、この邦題」ってのは本当にそうで、裏腹なものだ。収益とか広い目で見れば成功した邦題なんだろうけど。