ここ数年来、大晦日というと、「日常」とすら言えないほど何もない状態であることが多く、その例に漏れず今年もやっぱり何もなさそうな気配。何もないことに感謝しようとも思わないしとりたてて悲しもうとも思わないけど、そういう普通さを意識してしまうのは年末だからこそなのかもしれない。僕が年末感を味わうことができるとすればそういう意味でしかないけれども、それは今までもそうだったしきっとこれからもそうだろう。それほど珍しいことでもないのかもしれない。それを確認することも難しいわけだけど、それほど確認したいわけでもない。
連続に切れ目を作ることがそれほど重要なのだろうかと考えはじめてもそれは僕個人の問題であって、誰かのものであったとしてもその人の問題である。だから要は、つながりでしかないんだからそういうことなんだろうきっと、と思っておきます、疲れるから。
それではまた、7分後の切れ目の向こうで。