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2003-10-23

_ [FlashMob] GFM #1 詳細ポスト

なんだかポストが錯綜してて把握しきれてないんですが、とりあえずシナリオらしきポストが流れてきました。

で、Greet The World と Jump For Joy という企画が用意されてます。自分たちよりも前のタイムゾーン、方角でいうと東にいる人たちにグリーティング・メールを送るというものと、とにかくシナリオにジャンプを入れるという2つのアイデアで、その他の部分はそれぞれのグループで作ってくれということみたいです。

その後の段落でプランAとかBとかCとか言ってますが、何のことかよくわからない……ていうか全体によくわからない……。

_短歌ヴァーサス No.002』(風媒社)

特集1「穂村弘〈短歌〉の劇場」が目玉で、もちろん表紙も穂村弘の『短歌ヴァーサス』第2号がアマゾンから届きました。黒田硫黄の穂村マンガ*1の直後にあった、長嶋有の穂村弘評「一人勝ちの予感——表現の砂漠で」がいかにもWeb日記で扱ってくださいというような内容だったので、釣られてみることにします。長嶋有は芥川賞を受賞する以前からブルボン小林というハンドルでネット上にコラムを書いていて、同時に俳人・長嶋肩甲としても活動していたりする……という説明を一応挟んで。

長嶋は、最近の短歌界が活況だと感じている。長嶋が参加した短歌会で出会った人たちは、センスが良くて、才気があって、みんな凛として前向きだったそうだ。で、そうなってるのはネットのおかげなんじゃないかと推測する。ネット上だけのコミュニケーションは現実の同人と比べれば馴れ合いになりづらく、激しい議論も現実まで引きずらなくていい。しかも反響を得ることは同人よりも簡単で、掲示板では相互批評も気軽にできる。さらに、歌会や朗読会の情報も手に入れやすいのでモチベーションも下がりにくい、と。

ネットの中では、反響を得て、なれ合いにならず、やる気が保てる、そうして全員が凛とした前向きなまなざしのまま、しかしその船は沈没船なんじゃないか。

そして長嶋は、そういう状況を選ばず独りで考え続けた穂村弘に「一人勝ちの予感」を感じる……と、簡単にはこういうことなのですが。長嶋有が語るとなかなか説得力があって、おもしろい評論でした。

僕は長嶋有や肩甲についても、ブルボン小林としての長嶋有についてもそれほど詳しく知っているわけではないんですが、とにかくその「ネット観」が表れているのを面白く読みました。僕にとってネットはまさに「反響なんてなくて当たり前、なれ合いになりがち、やる気が保てない」という、この評で言われてる「同人」そのものみたいな場所で、使い方によっては(あるいはそんな自由もなく強制的に)まったく地味な場所にいつづけられるものでもあると思います*2

ただ、ネットが

 誰かがみてくれるかもしれない(ような甘い)場所ではなく、(比喩ではなく、本当に)誰にもみられないかもしれない地味な場所(……)

なのかと考えると、そこまでではないのかもしれないと思ったりはしますが……まぁ仮に「地味な場所」でもありうるとすれば、ネットでも厳しさは変わらない。でもそれに耐えたってほとんどの人はその場に留まり続けるだけなんだし、それよりは……ってことで馴れ合ったり反響を得ようとする選択肢は常に用意されてしまうよなぁと思うわけですが、むしろ穂村弘はそういうものを得ようとしてみてもどこからか相反する力が働いてしまい、結局のところ半ば受動的に逆方向へ落ち込んでいく側面も大きいのではないかと思います。僕が穂村弘を好きなのは、たぶんそういうところです——というか、そうあってほしいという願望に(少なくとも作品では)応えているところが穂村弘なんじゃないかと。

*1 『ラインマーカーズ』評で、「本の窓」2003年7月号からの再掲。

*2 このあたりを考えるにあたっては、滝本竜彦の例を見てみるのも面白いかもしれません。参考リンク「滝本竜彦氏はテキストサイト文化から生まれた作家」(ARTIFACT)。いつか読まねばならぬと思っていつつ未読です、滝本竜彦。