うははは、人権を侵害しながら*1人権擁護の話をしてる公民教師。「教育のためにはときに逸脱も必要」とか言いそうですね。おもしろい。
ニュース速報@2chとかも見てましたが、97年の神戸事件と比べて変化したのは警察が容疑者のイニシャルを出さなかったことくらいで、あとは舞台上も観衆もそれほど変わらない印象。イニシャルを出さなかったことも同じクラスの別人への誤爆につながったりして、結果的に良かったのか悪かったのか。
*1 本当は、限定された範囲で個人の肖像を回覧しただけで人権侵害なのかどうかは一拍おいて考えたほうがいい。でもタイミングから考えて、この件の「画像」は補導少年「とされる」人とは別人「とされた」画像ですよね、たぶん。
「屋根裏」より。
2003/07/13 マイナスイオンサイト
■いつまでも根本先生でいう「生きる」やってられないよな。そろそろ「生きる」やめないと、このままだと永遠と同じこと繰り返してして、また失敗してしまいそうだ。次のステップにいかないと。ずーっとまずしいわーるどやってるのもだめだ。もう終わっているんだ。どうみても。それを、むざむざ引きずっていても仕方ない。まずしいわーるどは俺にとってすごい大切なものだが、ずーっとしがみついてもだめだ。時期がきたら、切り替えないと。俺が真面目にぶちぎれるのなんて珍しいし。まずしいわーるどは、ほっといてもほかの人が継いでくれる。とにかくそろそろ少しづつ構築しないと。
いつまでも根本先生でいう「生きる」やってられないよなぁ、ほんとに。
そこから「でもやるんだよ!」と叫んでしまうのもアリなのだろうが、しかしその叫びは根本敬が観察する対象のものなのであり、根本敬は限りない憧れを抱きつつも、あくまでその境界線を越えることはない……意図して越えられるようなものでもないし。
でも、気づいたら越えてたりして。