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2003-04-06

_ サダムが街頭に現れた(ArabNews)

ってさ。ビデオ映像だそうですよ。

影武者だか本物だか偽造だか知りませんが、いまにも10コインブロックを叩きそうなポーズを決めてます。配管工になればいいのに。

_ さてさて、しばしネットに飽きているうちにウェブログなんつーものが出てきていたのねーとジジイな感慨にひたりつついろいろ見たりマネたりしてる昨今ですが、いま思うところをメモメモ。つーか splash! のdemiさんの連載を読んで思ったことなんですけどね。いまは良いかたちで解消しつつあるという「weblog vs 日記」抗争みたいのがあったわけですよ、んでこの論争の核にありそうなものを深い検証もなくとりあえず勘だけで言ってみようというわけです。

草創期の weblog はニュースとか話題をフィルタリングする役割が中心であったと。んで、そういう人たちがコミュニティを作っていたと。一方で Blogger が登場し weblog 開設が一気に手軽になったおかげで、個人の日記が増えちゃって、単なる日常の垂れ流しではないことをひとつの指標としていた weblog な人々は違和感を覚えて……という流れがありました。

で、日本にも日記サイトにまつわる論争はいろいろあったわけで、「日常垂れ流しで他人の役に立たない」という部分が批判されることはおそらく未だに根強くあって、アメリカでも日本でも議論が起こるのはこの点なんだなぁと思わされたわけです。日本の場合は「weblog vs 日記」とまで役割がはっきり分かれて先鋭化したわけではなく、「テキスト/日記サイトはいかにあるべきか」みたいな話だったと思うんですが。

で、ですよ。ここまでにいくつか出てきたの「コミュニティ」が、あらゆる議論のきっかけになってますよね。初期 weblog の人々は、 Bogger の登場以前から潜在的に「日記とは違う」という点を意識していたんだと思います。同時に、「日記」側からの反発もあったんでしょう、きっと。

コミュニティのしがらみから解放されることがインターネットの魅力のひとつだと考えている僕としては、敵を想定するほど強固なコミュニティをわざわざ形成しようとする気持ちがいまひとつわからない……という点に、「日記」と「weblog」という区分けが成立してしまったひとつの要因があるんだと、思ったわけです。

ここには2方向のベクトルがあります。積極的にコミュニティを作ってゆきたいと考える人々と、ただ自分の生活を淡々と記すだけでそれなりにオッケーになってしまう人々がいるというわけです。「とにかく他人の役に立って人気者になりたい」タイプと、「見てもらいたくないわけじゃないけど、そんなに人のことばかり考えててもねェ」と思うタイプが、ネット上にもいると。この対立も永遠ですね。これを「weblog型」と「日記型」と言ってしまいます*1

んーとええと、ここから先が分岐しすぎて収拾つかなくなったのでいったん終了。ああ、ひどいな。

*1 問題あるのはわかりつつ。