■ December 2000

31 SUN
去年はこのように書きましたが、結局いつもと同じ日常を送ることに。が、そのことで逆に非日常性を味わってしまい、やっぱまったり生きることはできないのね、と落ち込む。

30 SAT
ケーブルテレビをザッピングしてたら、期間限定でBSデジタルが見られることに気づいた。で、『エヴァンゲリオン シト新生』をやってたのでありがたく見た。新聞のテレビ欄を確認。そして絶望。てゆーか、『シト新生』だけやって『Air』やらないってのは視聴者ほっぽりすぎだろ、BS日テレ!

28 WED
ユウ・ザ・ロックはずっと、俺にとって「誰かに似てるんだけど、それが誰なんだかわかんない人」だったんだけど、今日もまたそう思いながらテレビに映るユウ・ザ・ロックを眺めてたら、横にいた母親が一発で見抜いた。

「この人、トニー谷に似てるわね」

それだ! ビンゴだぜマイマム! トニー谷といえば、日本におけるライミングの元祖。これはぜったい意識してやってるね、知らないけど。おそらくあの眼鏡や口髭もトニー谷へのリスペクトの象徴なのに違いない。

24日の記述を復活。

26 TUE
健康診断書を作成してもらう。体重を量ったら増えてたので、「増えてますね」と言ったら「胸の厚みは減ってるわよ」とツッコミが。さらに、レントゲン結果にも「脂肪が増えてるから少しぼんやりしてるね」とのコメント。ぎゃー。

oasis "Wonderwall" "Go Let It Out" とblur "Coffee+TV" とキャスターで、なんとか動いてます。あと、ちょっとThe Beatles "Hey Jude"。でもちょっと煙吹いてるけど。がぎがぎががが(摩擦音)。

25 MON
安野モヨコ『花とみつばち』<1><2>読了。作者の人間に対する視線が圧倒的に冷たくて、そこが気持ちいい。でもきっと人間は基本的に好きで、そこが深いところなんだろう。だから面白い。そう考えると、エステのねーちゃん二人が作者の視線にいちばん近いのかもしれない。

羽生生純『恋の門』<2>(エンターブレイン)読了。やっぱ絶望的におもしろいんですけど。こっちも人間を突き放しまくりつつ、作者はそのどうしようもない人間のくだらなさがたまらなく好きなんだと思う。あ、最後のほうで門くんが成長してますね。社会と接点みつけようとしちゃったりして。先が気になりすぎ。

そんでまた、狙って買ったわけじゃなかったんだけど、この2作品を同時に読んだのが良かった。同じ恋愛ものなんだけど、絵柄も空気もまったく対極的に違う。でも、じっくり味わってみると似てるような。

なんで『ラブマスターX』売ってないの?

手塚治虫『ぼくのマンガ人生』(岩波新書)木田元『現象学』(同)を買う。ていうかもう買わなくていいって>俺。

24 SUN
音楽業界をはじめとして「ユニット」って言葉がインフレ起こしてるけど、これって実は現在のすべてを表してるような気がした。俺もユニットで構成されているし、社会もユニットで構成されている。
 俺はいろんな情報をサンプリングして適当に構成し直し、それを再び誰かに伝達することでコミュニケーションしている。そこでは同時に相手からもユニットを受け取っている。それを俺はまた構成しなおして、それをまた伝達する。俺に伝達されたユニットは、俺を経過することでユニット配列が再構成される際のコード(基準)に影響を与えていて、それはすなわち俺自身の構成も変化することを意味する。俺はユニットを収集しさらにそれを再伝達しようとする性質を持つが、その収集と再伝達はコードに規定されると同時に、コードはユニットに影響されている。コードは収集と伝達の動機となるが、その結果集まったものからコードは影響を受けることになる。そのような「俺」の連鎖が延々と続いて、世界中がネットワーク化している。
 「社会は島宇宙化している」(宮台真司)が、島宇宙のひとつひとつは「俺」的ユニット(=個人?)で構成されている。ユニットによって構成されるメタユニットが個人であり、個人のメタユニットが島宇宙である。島宇宙というよりはもしかすると、偏りのある流動体のような、天気図のようなものかもしれない。とにかく、ある種の同じ傾向を持ったユニットの集合体が集まったものがひとつの島宇宙である。「ある種の同じ傾向」とは、個人レベルで言えばコードに当たる。島宇宙と島宇宙の間はある種、連続とも断絶とも言えるような状態である。「プロトコルはあれど、それしかない」(東浩紀)。言葉は(一見)通じるが、共通の基盤はない。しかし、その間にもコミュニケーションがある。そこではユニットの集合体(個人)だの、集合体を構成する一部のユニットだの、それにも満たない程度の情報だのが行き来している。それはお互いの島宇宙構造に影響を与えていて、そこには「贈与の循環」(モース)がある。しかし、構造を純粋に通過するのではなく、構造に取り込まれ、構造の一部となり、それはコピーされる。「贈与」といっても移動するのではなく、複製を贈与する、あるいは複製が手元に残る。が、純粋に複製されるのではなく、構造を規定するコードの影響によって「再」構成され、また外部へと出ていく。構造を通過したユニットは通過する前のユニットと同じものではない。
 個人も社会も、無限の参照によって構成されている。その「参照」するリストこそが「個人」であり「社会」であるのかもしれない。リストの項目は常に書き換えられ、時に消えていく。そこにある差異とは、参照リストの項目の違いであり、ユニットを収集・伝達する際のコードの違いである。そして、それだけでしかない。創造とはもはや、膨大な参照の結果でしかない。俺も、俺につながる社会も、ユニットが乱反射する巨大なミラーハウスのような様相を呈していて、そこにはいつ果てるとも知れない万華鏡が輝いている。

23 SAT
fra-foa『澄み渡る空、その向こうに僕が見たもの。』(TOY'S FACTORYについて。
 自分にはなにかが欠けてるから人を無意識に傷つけてしまう、ってあたりをつきつめて生きることに絶望してしまった状態から、自分のアイデンティティとして「うた」をうたえる「声」と、「僕を求めてくれ」る人を発見して(「声」を「神様がくれた」ってのはこの際不問にしとこう)、それを拠り所にしてちょっと生きてみようかな、いや生きよう、世界って美しい、「生きている」ってすばらしいとうたっていこう、と悟るまでの過程の曲。
 で、「誰かがこのちっぽけな僕を求めてくれたら……」という部分や、求められることによって「生きてることが許される」と感じてる、というのは聴く側とのコミュニケーションが図られている気もするので、こっちもちょっと「救われる」かな? とも思うのだが、しかしこれって実は三上ちさ子自身が救済されるだけで、確かに「『生きている』ことはすばらしい」かもしれないけど「歌う声もなければみんなに求められもしない」ひとはどーしたらいいの? ってな疑問がムクムクとわいてくる。確かにそうでもして本人だけでも救われなければいけない状況というのはあるにしても、三上ちさ子はすごいと思うからこそ、こんなことで自分だけ救済されずに、もうちょっと先まで行ってほしいと願ってやまない今日この頃。
 いや、とてもとても気に入ってる曲なんだよね、助かったし。でも一瞬助かったからこそ、ちょっと落とされた感が。ん〜、こんなこと言いたくないような、ん、いや、でも、ああ。……アルバムを待とう。

……と、書いた直後に公式Webを見てたら、ここで本人が「考えてみれば『澄み渡る空〜』も、自分を救うためだけにつくった曲だったよ。」と書いてたのを発見(11月29日(水)04時08分の書き込み)。いや、わかってる上で先に進もうとしてるのなら何も言うべきことはないんです。すいませんでした。と同時にかなり安心したり救われたり、シンクロしてみたり。

2ちゃんねる」の「フリクリ」スレッドで、誰かが「ミュージシャンはガイナックスにPVを作らせたほうがいい」みたいなことを言ってたので、the pillows の公式ページ『Ride on shooting star』のPVをちらっと見てみたら、やっぱし『フリクリ』のエンディングのほうがいいカモ。これだけじゃわからんか。

22 FRI
洗車。

レンタルしてた『フリクリ』を返したんだけど、その後も観たくてたまんねえ。つーか「中毒にしちゃうアニメ」ってスゲー。音楽とかテンポって大事よね。でも俺的には、ハル子の声を担当する新谷真弓の声が中毒性高い気がする。『カレカノ』では芝姫ね(みてないんだけど)。「ナイロン100℃」ってとこのひとなんですな。うう、ちょっと公演行きたいカモ。

このまえO船で『バーチャNBA』を何気なくプレーしてたら、対戦台でもないのに小学生〜中学生の男の子から乱入された。二人で横並びになって対戦、会話ナシ。こっちは『バーチャNBA』やるのなんてほとんど初めてなんで、当然ながら負けるんだが、すると彼は「してやったり」といった満足げな表情を浮かべていた。
 『スト2』の頃は日常だったけど、ゲーセンで知らない人と横並びになって対戦するのなんて何年ぶりなんだろう。『バーチャNBA』はこの前まで対戦台があったんだけど、一人用台へ「降格」になってて、それは彼にとって悲しい出来事だったはずで、いまもなお対戦相手を求めてるわけだ。でも俺は彼の気持ちに答えることができないんだけど。俺が去った後、彼が一人でプレーする後ろ姿を見て、愛しささえこみあげてきた俺なのでした。「横並び対戦」という文化がまだ残ってたのを知ってちょっと癒される。言葉じゃないコミュニケーションがなんとなくいいんだよね。

21 THU
フリクリ<5> ブラブレ』(ガイナックスを観る。ナオ太くんの男っぷりが上がりすぎじゃない? 上げといて落とすんだろうか。どうなのか。あとタランティーノとかジョン・ウーとかウォシャウスキー兄弟とかがメインなのか。

『好き? 好き? 大好き?』が非常にイイカンジ。原書のサブタイトル "An Entertainment in Conversation and Verse" がとても内容をよく伝えてる。笑えます。

でさ、あのさ、少なくとも「文系」を名乗るんだったら、漫画とか音楽とか映画とか小説とかに接するのは「好き/嫌い」とかそういう問題じゃなくてもう基本事項でしょ? アニメとか現代芸術とか評論とか思想ってのはオプションだとしてもさ。まず「映画好き?」「好き好きー」ってとこから入るってのはもうすごいスタート地点から4万kmくらい後ろじゃない? 「映画だと何が好き?」ってあたりから入ってやっとスタートでしょ? どーなのそのへんって? やっぱゼネラルスタンダードを望むのは間違ってるんだろうか。確かに無いけど。どーせ俺だってスタンダードじゃなかろーしさ。誰か「エンターテインメントの教科書」を作ってくれー! ってか作っても誰も読まないのがまず問題なんだが。
 では「読ませる」方法を考えてみよう。まず「ブーム」にすることができればみんな読むだろう。これは広告とかメディアをうまく使えればできそうだ。でもブームはブームでしかなくて、消費されることは目に見えてる。この先に行くにはどうすればいいんだろう。ってのは運も絡むんだろうけど、それでも山下達郎が復活して流れまくったりと、何らかの普遍性を持つ記号が生まれる可能性ってのは今でも完全になくなったわけじゃないはずなんだ。そのために「わかりやすさ」は外せないだろう(この際それを嫌うやつにはこぼれてもらう)。でも「だんご3兄弟」は消え去った。すると、「継続性のある需要」に対してアピールする必要があるのかな。でも「ゼネラルスタンダード」はクリスマスじゃないし、継続性は期待できないしな。あ、でも「恋に役立つ」とかいう風にするのはいいかもしんない。実際「ゼネラルスタンダード」があれば「恋に役立つ」はずだし。
 ああ、構造主義からインターネットの登場に至って、世界は平板化して人々は徐々に均質になっているように見せかけて実はバラバラになってる、ってのがなぜなのかわからない。でも島宇宙(©宮台真司)のひとつひとつは均質で、島宇宙単位で比較したときはその格差が大きくなっているのか。国境とは別の境界を持ったムラ社会化なのか。って、このモデルも完璧じゃないだろうけど。
 だから俺が言ってるのはその島宇宙を渡る橋なんだって! ていうかおまえらみんな飽きることに飽きろいいかげん!>オレモナー

20 WED
虚無がやってくる時期みたい。どうせ今年もファルコンは迎えに来てくれないのだろう。

SIGHT VOL.6』(ロッキング・オンを買う。ロッキング・オンの雑誌、いつのまにか『SIGHT』だけしか買わなくなってるなぁ。『JAPAN』にはじまって『CUT』と、たまに『H』までも買っていて金がなくなっただけで結局積み上げるばかりだったりした頃がなつかしい。最新の『JAPAN』の表紙でイエモンが活動休止するのを知ったり。

それとなくメディアを眺めてるだけでも、「20世紀の終わり」ばかり強調され、逆に「21世紀の始まり」という空気は圧倒的に無い。これはおそらく、「始まります!」とやりたくてもそれに相応しいネタがないんだろう。そして、「始まり〜」って空気なんか俺自身の中を探したって無いし、たぶんみんなだって同じでしょ。年が明けたときのテレビ番組がどんなことやるのか想像できなくて不安になるくらい無い。振り返ることはいくらでもできるし、こっちはなかなか楽しいんだけど。
 この後ろ向きに前進してる「ムーンウォーク」的な感覚って、考えてみると90年代を通してずっとあった。いや、もしかしたらマイケル・ジャクソンが "BAD" でムーンウォークをはじめた1987年の時点で、すでにムーンウォークは始まってたのかもしれない。ていうかMJがムーンウォークしたからこそ時代もムーンウォークしはじめたのだ、とさえ言えよう。 "King of POP" 恐るべし。
 いや、ほんとに無いのよ、前進するような材料って。でもでも、考えてみたら、もとからずっと前進なんかしたくなかったんだった。競争社会なんて疲れるし、この先借金まみれなんでしょ? やみくもに未来に突っ走ってるよりは止まってるほうがいい。先に進んではいるけど、俺が後ろに進んでるように見えるならそのほうがいい。つーか、かなりイイかんじ。まったりまったり。

オルトアール経由で通りすがった永江さんのページ2000/3/27の日記が興味深かったのでメモしておく。預言者と研究者と芸術家と霊感と商売について。

19 TUE
SFCにおける呪いの言葉のひとつに「グループワーク」っつーのがあって、簡単に言うと、ある授業の参加者をグループに分けてひとつの課題をやらせること。通称「グルワ」。「グルワ」がある授業ってのは必然的に授業外でも作業量が多くなって、そんな授業は「エグい」と言われ、学生から忌み嫌われる。必修の授業で「グルワ」があったりすると、人数が多くなるため学生のモチベーションの温度差も大きくなり、したがって作業の進行は遅くなる。

センター試験まであと1ヶ月になって、必修の授業のグルワがはじまった。プレゼンテーション&レポート作成。うおおお、ぜったい俺一人でやったほうが素早くいいものができる! 放置すんのもストレスたまる! 「共同作業のつらさを味わうことがグルワの意義です」なんてキレーゴト言ってんじゃねえ! この斎藤信男! 逝ってよし! ポストが赤いのもおまえが悪い! がががががががががががががが(故障中)。

18 MON
読みたい/読まなきゃいけない本がたまってると、さらに本を買いたくなるという厄介な衝動が大炸裂。図書館で15冊借りてるのに。1/16までに返さないといけないのに。2日で1冊がノルマなのに。ムリなのに。かくして、本の渓谷はまたも深みを増すのだった。橋爪大三郎『はじめての構造主義』(講談社現代新書)R・D・レイン著、村上光彦訳『好き? 好き? 大好き?』(みすず書房)筒井康隆『文学部唯野教授』(岩波書店)エドワード・デボノ著、白井實訳『水平思考の世界 電算機時代の創造的思考法』(講談社)の4冊。最後の2冊は100円ワゴンから救出大作戦。『水平思考の世界』と、横井軍平の座右の銘である「枯れた技術の水平思考」との間にはどんな関係があるのかを調べねばなるまい。

「モーニング新マグナム増刊 No.18」を買う。佐藤マコト『サトラレ』さいこー。2月に単行本、3月には映画で、盛り上がりますな(勝手に)。

blur "Coffee+TV" いまだに流れっぱなし。♪Sociability/It's hard enough for me/Take me away from this big bad world♪<ダメソング?

17 SUN
「倫理」のお勉強。テーマは「防衛機制」。イヤなことを意識の奥に押し込めるのは「抑圧」、満たされない欲求を社会的価値のある目標に向けるのが「昇華」、欠点などの劣等感に対して、別の長所を伸ばしてがんばるのが「代謝/補償」。
 SFCが人界から隔離され、欲求の充足から比較的離されている理由には、その矛先を学業に向かわせ(=昇華)ようという思惑が働いているという一面がある。だが、俺の周りの死屍累々たるウッツーやヒッキーたちは、その犠牲として大きすぎない? これも同じ防衛機制である「抑圧」その他もろもろの結果なんだよね。う〜ん、やっぱダメだ。つーかそもそも防衛機制なんて、いい結果につながりうるのは「昇華」か「代償」くらいのもんで、大概は悪い結果になるんだから、それを避けようとするほうが本筋なのにねぇ。ただでさえ避けられないのに。死骸の山から火の鳥が舞い上がるのを待ってるってか。
 まあ、社会的承認をうまいこと得られないタイプの人間を受け入れる装置として機能するならいいんだけどねぇ。って俺か?
 と、ひとりごちてみるこの日記も、ささやかな代謝行為だと思いねぇ。

16 SAT
ここ数週間で気になった、漫画についてのこと。

山田芳裕『度胸星』(週刊ヤングサンデー/小学館)が突如打ち切られ、あの例のいつもの「旅立ち打ち切り」をまた目にさせられたわけだが、俺としては「テセラック」の正体が明らかになりはじめるあたりなんか特に盛り上がってたのに、と思いつつヤンサンの読者層にはやはりつらかったのも同時によくわかるにしてもしかし、山田芳裕の「濃さ」「湿気」と宇宙の醸し出す「静かさ」「乾き」との衝突という試みはうまく響けばすごい音を出しそうだったし、今後それは十分に期待できたはずで、それは打ち切りの時点までを考えれば確かにイマイチだったかもしれないとは思ったりもするものの、やはり残念でならない。

冨樫義博『HUNTER×HUNTER』(週刊少年ジャンプ/集英社)の「流星街」のネタが気になってるというか、あの話を単に「幻影旅団」の背景を深めるためのひとつのエピソードとして位置づけつつ、今後はそれほど深くストーリーに絡めないというのならいいんだろうけど、作画の気合の入り方からして「冨樫ならやりかねん」という不安がふと頭をよぎるので、ジャンプからあの漫画が永遠に消えないといいなあ、と切に願うのであった。

15 FRI
監督:黒澤明『生きる』を観る。が、そんなにどうということもなく。その直前にちらりと蓮實重彦の文なんか読んじゃったせいで、プチ蓮實アイで観てたからかもしんない。にしてもまあ、普通のカタルシスもので。ちゃんと面白いんだけどね。前半の、主人公のキャラを見せていく過程なんか特にいい。

車に乗ってさあ帰ろう、としたら、イイ顔の親父に窓を叩かれ、イイ感じの訛りで「用賀ってどう行くんですか」と聞いてくるので「わかんない」と言うと、そこから親父の一人語り開始。手で輪っかをつくり口に持っていくゼスチュアをしながら「コレ行きたいんだけど、ワカル?」と来るので、もう恋に落ちる。どうも、これから本厚木の馴染みの風俗に行きたいんだそうで、「もうたまっちゃって」といいつつ横向きになってみてくれたりとサービス精神旺盛。もうほんとに行きたそうなの。
 そんな親父と路上で二人っきり、というのもあったし、実際急いでたので、すぐにこっちから窓しめて出ちゃったんだけど。ていうか「馴染みの店」行くのに迷ってたりするし、俺に「何年生?」と聞いてきてしっかり今どこにいるかわかってるし、実際ただならぬ違和感を感じたのも事実で、俺が女だったらどうだったのかしらん、と思ったり(アッパー系というよりはむしろダウナー系親父だったのだが)。でも後になってから「もうちょっとエロ話聞いてみればよかった」と後悔する。
 これが天下のSFCのすぐ裏で起こった話。やっぱり21世紀なんて永遠に来ねえよなぁ、ってなことを実感するとともに再確認する。

14 THU
昨日から、blur "Coffee+TV" が再びヘビーローテーション。たくさんものを見過ぎて目が見えなくなりそうで、そんでもってもう脳死みたいなもんだからコーヒーとテレビをよこせ。よこせったら。

佐藤雅彦の講義で、俺様の小レポートが「優秀」的なポジションで発表される。マジでうれしい。

黒田硫黄『大日本天狗党絵詞』(月刊アフタヌーン/講談社)を読み返す。

天狗とは 怪異な現象の原因を 人界と断絶したものになすりつけ名をつける説明の技術であった……ある者にとっては 自分が何者か自分にとって人間たちは何か 天狗が天狗であるためには説明は破綻してはならない さもなくば自分と世界が壊れる 生きることが内蔵する不信と恐れが顔を出す 天狗という観念に憑かれ天狗でありつづけるためには空も飛ばねば術も見せねば……信じる事は真実に 真実とはまた信じるところにしかし それはなまなかではない
(3巻220-221頁)
知識と観念が天狗であることを支えている 天狗とは天狗に関わる知識を共有する者の間にのみ存在する排他的な自意識の産物であるから天狗にとり最も脅威なのは外にある存在やそこからの視線である。それらにより天狗であることを支えている唯一の依処たる自意識が崩壊の危機にさらされるであろう
(4巻80頁、有吾堂の「覚書」より)
 天狗である「師匠」は、「教授」の「外部からの視線」にさらされ、徐々に力を失っていく。そしてついには、人でも鳥でもなく、知能も低く空も飛ばぬ生物である「テング」を見て一言「ばかにするな そんな動物が いるわけないだろ」と言い放つのだ。
 そんでもって、俺の大学でのあだ名も「ししょう」だったりしたりするわけなのである(漫画とは関係ないけど)。俺だって好きで「天狗」やってるわけじゃないんですよまったくもー。

13 WED
癒され合う。それは決して傷ではないが、しかしそのような何かをなめ合うという行為で。

12 TUE
まだまだウィルス。前回のPE_FUNLOVE.4099に加えて、今回はTROJ_QAZ.Aというのもついてきた。こいつはトロイでバックドアを仕掛けるタイプ。くっ……ウィルスは再インストールしてもバックアップからまた再発するかもしんないから厄介でuzai。でもやっぱりサイバー感に酔ってみたり。

Napsterで、あるユーザをホットリストに入れてみて、ミョ〜に趣味が合ってたりするとちょっとうれしいよね。

Jackson5のリミックスアルバムがほしい。

11 MON
だいぶ復活。あと、ちょっとだけブレイクスルー。

10 SUN
鬱絶好調。去年、「小論文」の授業で自分が書いた文章とか、自分が過去に書いたメールとか、「寅さん」とかに助けられてみたり。

7 THU
不覚にも、「2ちゃんねる」で泣きそうになる。どのスレかは秘密だ。

6 WED
前に受けた模試結果を受け取る。

5 THU
鬱という静寂と狂気の狭間で、とどめを刺されて空を仰ぐ。同じ青なのに手が届かない。

と、ボニーピンクが唄ったのは96年のことだ。彼女は少しはタフになったみたいだ。さて、俺はどうなんだ。

ウィルス再発。けっこう根が深そう。

監督:三池崇史『極道黒社会 レイニー・ドッグ』を観る。哀川翔最高。田口トモロヲ最高。

4 MON
監督:黒沢清『ニンゲン合格』を観る。あー痛い痛い痛い。これは痛い。この場合の「痛い」は、「見ていて居たたまれなくなるほどつまんない」じゃなくて、グサグサきてズキズキくるということだ。14歳で交通事故に遭った少年が、10年間の昏睡状態を経て24歳で目を覚ますところからはじまる物語。このへんがまず痛いのだが。
 この作品では、通常の「ストーリーもの」フィクションに見られがちな、いかにも「後付けです」と言わんばかりに登場人物たちが(しばしば「偶然にも」)複雑に絡みあう、ということがまったくない。この作品における人々の関係は、血のつながった家族であるにもかかわらず、それぞれが全くかみ合わない、交わらない生活を送っている。人のつながりなんてものは、そもそもそんなに密になるわけはなく、何となくゆる〜く絡み合っているだけで、時には交わって、すぐに離れて、また交わって……を繰り返すものだ、ゆる〜く山が来て、ゆる〜く谷が来て、の繰り返しで、決してオチやスタッフロールなどありはしない(もちろん『ニンゲン合格』にはあるんだけど)。そんなことを、ゆる〜く感じさせてくれる作品。俺にとっては、じわじわ悲しく痛かったり痛くなかったり。

3 SUN
模試。

2 SAT
ここんとこ、な〜んかCF-B5の挙動がおかしいな〜と思ってたら、案の定ウィルスだった。PE_FUNLOVE.4099というもので、実行ファイルに感染し増殖するワーム型。破壊活動はしないようでよかった……ウィルス初感染でちょっとサイバーなかんじ〜(気のせい)。ぜったい学校経由なんだよなこれ……困ったもんだ。んで、ヒイコラいいながら駆除。でも挙動はおかしいまんまで、再インストール必要かも、と思う。んでも学校で使うしな〜。

監督:黒沢清『CURE/キュア』を観る。癒せ癒せどんどん癒せ。

1 FRI
石黒賢と水野真紀の茶番劇を見ても、なんと、鳥肌が立たなかった。これは自分としてもけっこう驚きで、こういう寒さにやっと体が慣れたのか、それともあまりに演技がアレだからなのか、脚本が寒いを通り越してなんか違う領域に入り込んでいるからなのか。まあ、そんなこと、どうでもいいんですけどね〜(古い)。

■ November 2000

26 SUN
ROBODEX2000へ。8時に待ち合わせの予定が、宇宙人にインプラントされたり、異次元空間に引きずり込まれたり、といったアクシデントに見舞われて9時ごろ桜木町に着。そのままパシフィコ前まで行くと、えれえ行列が。
 11時頃入場して、もうとにかくT-5とかAIBOとかSDR-3XとかP3とかASIMOとかぜんぶ見たヨ! 見まくった! とくにP3登場の場面はマジで感動して泣きそうになったり。生きててよかったので、将来的には孫とか曾孫に自慢していきたい。
 なんでASIMOでもSDR-3XでもなくP3で泣きそうになったのかというと、ASIMOもSDR-3Xも、とにかくシャキシャキ軽快に動いちゃって、「な〜んか簡単に動いてんなあ」と見えちゃう一方、P3はちょっとプルプル震えてたり、歩くのにもすごく一所懸命やってるかんじに見えて、とてもほほえましいのである。あとはやっぱザ・ハイロウズ『日曜日よりの使者』の効果だろうなあ。

25 SAT
1976年生まれスレッドを読んでなごんでみたりする。「バブルでも、ヤンキーでも、ギャルでもない狭間で過ごした」ってのはなんか納得できるなあ。それだけに元気のない世代という気もするけど。んで、76年生まれスレが年代板で一番盛り上がってるというのも皮肉な話だ。ちなみにひろゆき(「2ちゃんねる」創設者)も76年生まれ。
 つーか語ってるやつらがオヤジくさく見えるのは現状のせいか。ということは俺もそう見られてる可能性大なわけで。うっ。

オカルト大明神がとうとうブームに乗ろうと動いたらしい。

24 FRI
慶応の三田祭へ。どっかのよりはかなりマシかもしれないけど、いずれにしても学園祭の空気ってまざれない。んで結局、またも宮台なわけだったり。今度はメディア・コミュニケーション研究所主催「少年犯罪と報道」という講演に。人のこと言えないんだけど、このイベントは宮台信者のミサといった印象が。反面教師にしてみよう。

23 THU
早稲田の「ゲンゲイサイ」へ。早稲田では大学側が非開催を決め込んでるらしく、学園祭じゃなくて「各サークルが偶然同じ日に催しをした」ということらしい。早稲田ではまだ「体制⇔反体制」の図式があるのね。
 ていうか目的は「官権の終焉 民権の時代へ」という講演で、筑紫哲也とか川田龍平とか宮台真司がいろいろしゃべるというもの。主催は及川健二で、実は友達の友達だということが判明したり。あと日の丸・君が代の淡路智典(もと所沢高校)もいた。

22 WED
ウチの学校には英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語、朝鮮語、マレー・インドネシア語の各語学カリキュラムがあって、1年の後期になるときにどの語学を選択するか決める。で、各語学コースを口にするとき、それぞれのコースは「ドイ語」「フラ語」「スペ語」「チャイ語」「マイ語」のように「〈2音節〉+語」という略され方になるんだけど、ことに朝鮮語に関してだけは、きちんと「朝鮮語」と発音される。これはもちろん差別意識と無関係じゃなくて、どうも自然とはばかられているわけで。教育の流れにちゃんと乗ってきた人々が構成する社会だってことを感じさせるエピソード。

miyadai.com」がリヌーアル。なんかすごいんですけど。

21 TUE
友人の二十歳のお誕生日会に参加し、普通に大学生してみたり。

その後O船をブラついてたら、ひさびさにS田さんに遭遇。「O船ってのはなんでオタクをはじめとするダメ人間どもが次々と排出されるのかねえ、よくわかんないけどなんかイイよねえ」みたいな話をする。あと演劇とか映画とか日本社会とか。

20 MON
おいおい、SDR-3Xも出ちゃったよ。すごいなあなんか。よくわかんないけど、レイバーみたいなバランス制御なのかね、これは。つーかROBODEXはとんでもない人出になるんじゃないの?

19 SUN
T堂のツタヤで、今日は黒沢清監督『ニンゲン合格』を発見。よしよし。

野党側が内閣不信任案提出、加藤派・山崎派が同調するのか〜? と思わせといて欠席、と思ったら加藤と山崎は来るの? どーなの? というあたりで大盛り上がり。一方、傍観者が集まる「2ちゃんねる」では、「石原が自衛隊を率いて決起する」だの、「猿ぐつわをかまされてた加藤氏が自民党若手議員に救出され、いざ国会へ出陣」だの、「一時は欠席を決めた反対派が続々と議会に集結し……」だの、漫画チックなイメージがやたらに出てる。これじゃ弘兼憲史も売れるわけだなぁ、とか思ったり。

それはそうと、やっぱし「ASIMO」であろう。「より一層人間に近づいたホンダのロボット『ASIMO』登場で未来はすぐそこ!」(PC WATCH)、「ついにここまでやってきた! ホンダの新型ロボット登場」(ZDNet JAPAN)、「ホンダ、120cm/43kgの新人間型ロボット『ASIMO』を発表」(ASCII24)、「ホンダの新型ロボット"ASIMO(アシモ)"登場!」(ファミ通.com)とか。43kgってなあ〜。家にあっても問題ないじゃん。ASIMOっていう、モロにソニーなネーミングはどうかと思うけど、今後はこの調子でATOMOとかTETSUJINOまでいってほしいと思った。

18 SAT
学園祭へ。なんとか映画研究会の催しだけは耐えたものの、そこであえなくK.O.される(シャレてるネ!)。帰る途中、遠くなる校舎から野良犬の喧嘩みたいな音がするので、よく聴いてみたらターンテーブルでスクラッチしてる音だった。ああ、やっぱ犬小屋だったんだ、と妙に納得。豚小屋発、犬小屋行き。

17 FRI
feel H"の「アンナがフィ〜ル」ってダメだよな〜ってな話を学校でしてみたところ、それに対して「大物使ってるってカンジがした」だの「アンナちゃんカワイ→じゃん」だのといった反論を受け、マジでカルチャーショックを受ける。なに、いまの18歳とかの間だと、アンナは「大物」で「カワイ→」わけですか? マジで? サイボーグじゃなくて? 七光でもなくて? アレレレレ〜?

15 WED
feel H"のCMだけど、アンナで「フィ〜ル」じゃねえだろ、とか思う。DDIポケットってイメージ戦略へたすぎ。H"のときも「ハイブリッド携帯システムってナニよ?」とか思ったが。

どうも最近ノートが固まるんでHDをクラスタスキャンしてみたら、不良クラスタが30カ所くらい見つかった。ぎゃふん。

12 SUN
T堂のツタヤに1本も無いと思われていた黒沢清作品だけど、『カリスマ』を発見したので、『フリクリ <4>』と一緒に行きがけに借りつつ学校で見てそのまま返すつもりで当日レンタルしたら、学校の施設が休みでやんの。全くツイてねえ。

で、学校には中学だか高校だかの文化祭を見に来たガキ&大人すなわち親子連れがぞろぞろ歩いている。つまり、こいつらに大学生のやんちゃな実体を見せたくないから学校休みなの? と邪推してみたりする。

その後、学校近辺の友人宅でデッキを借り、ビデオ代は無駄にならず。『カリスマ』は、「人生はやっぱりムリヤリ生きるもの」というカンジで、個人の事情がグチャグチャになってる俺好みな内容でサイコーでした。こんどは哀川翔主演作も見てやる、と心に誓う。『フリキリ』のほうは、なんか急展開で盛り上がってますね。今後「バット」がどういう位置づけになるのか、とても気になるヒキ。
 デッキを提供してくれた友人も、どっちもとても気に入ったらしく、いきなり<4>だけ見せられた『フリクリ』に至っては、ビデオ屋に<1>を借りにいく始末。よしよし。

そういや、このまえ『フリクリ』の<2>を見てないと書いたら、亜血亜から「ウチで見ただろオマエ」とツッコミが入ったので、そういえば見たような気がすることを思い出す。と書いてたら、自分で見たって書いてたのも発見しちゃう。なんかダメコンボ。

11 SAT
「アフタヌーンシーズン増刊Autumn」を買う。期待の沙村弘明『おひっこし』は、なんか後半がグダグダ。どうした?

10 FRI
またまたSFCについてまったりトーク。

その後、偶然地元の人間と会ったので、18歳と24歳の文化的格差について朝までトーク。

09 THU
柄谷行人『倫理21』(平凡社)読了。

母校へ行ったついでに、夜の黄金町〜伊勢佐木町を歩いてきた。古本屋にいたら、突如店員のおばちゃんが「え〜と、『おねえさんといっしょ』が○○円、『メチャ濡れルージュ』は○○円、『ハメ撮りアミーゴ』○○円……」とエロ本の買い取り価格を電話連絡し始め、爆笑しそうになったけどがまんしたよ。インターアジア&とてもイケてない空気を久しぶりに味わって、とても癒された。クリスマス用のイルミネーションがぼちぼち。

08 WED
横浜Fマリノスの川口能活が、脳天ハゲで微笑んでいる夢を見た。たぶん、アジアカップのときのオールバックが記憶に焼き付いてるから。

三田で黒沢清監督の講演を聴く。

SFCの人々に俺が与えられる知識とか情報とか技術ってのはけっこうあるんだけど、得られるものがあんまりないので、そのへんで俺はつまらないと思っていたり焦っていたりするのかもしれないと思った。うーん、種をまく時期だと考えればいいんだろうか。それとも探しが甘いのか、単なる思い上がりなのか。

06 MON
目覚ましテレビを見ていたら、プリンセス・テンコーこと2代目引田天功と某ハリウッド・スター(誰かは言ってなかった)との熱愛を報道していたので、嫉妬に狂った某正日がアメリカに向けてミサイルを撃ったらうまいこと届いちゃって、任期満了間近のクリントンも「最後の一花」の思いで気軽に応戦、それを見たインドとパキスタンがドサクサで互いを攻撃、ロシアと中国も「せっかくだし」てなかんじで、ミサイルが発射されまくるんじゃないかと気が気でない一日に。テンコー恐るべし。

T堂のツタヤに、青山真治『HELPLESS』だけは入ってるのを確認。でもこれは浅野忠信のおかげ。

冨樫義博『HUNTER×HUNTER <10>』(集英社)鳥山明『SAND LAND』(同)を買う。

04 THU
宮台真司、速水由紀子『サイファ覚醒せよ! 世界の新解説バイブル』(筑摩書房)読了。「2ちゃんねる」では「速水があぶない」みたいな書かれ方をしてるけど、あながちウソじゃないかも。ていうか、この人の使う語彙がどことなく神秘主義とかオカルトっぽいんで、胡散臭く聞こえちゃうんじゃないかと思った。桜井亜美名義の小説もやっぱそんな臭いがするし。一方、宮台の「論理を使って論理化しまくったあとに残る、論理化できないものを知れ」みたいな主張(大ざっぱすぎか)はわかるような気がした。でも、えらい難しい内容なんでちゃんと読めてないような気も。あと、タイトルがまず胡散臭すぎるだろ、と思った。

02 THU
T堂のツタヤがオープンしたので、様子見に。やっと映像メディアの流通が届いた、というカンジがするが、紙メディアはほっぽりっぱなしでいいのか?! という愚痴は置いといて。そもそも、カテゴリーが「ジャンル」しかない、つまり監督などでは探せないってのがもうアレで。ヴィンセント・ギャロ『バッファロー66』がやたら入っているうえ、すべて貸出中。『トレイン・スポッティング』とかもずいぶん借りられてる。やまびこが行って返ってくると辻Dに届くのかもしれない。その一方で、三池崇史・哀川翔・竹内力ラインも入荷してるものの、ぜんぜん手が着いてないし、黒沢清や青山真治作品に至っては一本もナシってどーゆうことよ、といったカンジ。まあ客層からしてそんなもんか……ダメ。なんて言えるほど映画見てないので、オッケーとしておく。と思ってたら『フリクリ』も<3>と<4>しかない。<2>見てないのに。やっぱダメか。

01 WED
fra-foa『澄み渡る空、その向こうに僕が見たもの。』(TOY'S FACTORYを買う。

■ October 2000

30 MON
メールの書き出しに「ウッス」という挨拶を入れようとしたら、ATOKが「鬱す」と変換してくれた。これは「鬱する」という動詞の連体形かなんかで、「気が鬱する=晴れない」というように使うらしい。まさに今の俺に最適な表現といえよう。使用者の気分をも読みとりはじめたウチのATOKは、最強に強まってきている。

昨日、23歳と書いてしまったが、俺は24歳だってことを思い出す。

29 SUN
模試。地歴と公民を両方受けようと思って、3時間しか寝ないで朝早くから出張ったら、申込みのときに誤って申告していたため公民を受けられず、1時間を朝マックで過ごすハメに。
 出勤前のパチンカー、ALL明けのギャル、がんばった朝帰りカップル、仕事帰りのオミーズ、イイ顔のオヤジ、疲れた顔をした妙に普通の人等々の吐き出す煙を見ながらまったりしてると、ここんとこいろいろうまくいかないことなども思い出され、ズンズンとダークになってきたので、椎名林檎『幸福論』の歌詞を暗唱することでそれに耐えようとするも、思わず「《かじかむ指の求めるものが見慣れたその手》であるのならば《君がそこに生きてるという真実だけで幸福》ってわけでもないんじゃないの? 《愛されたいと考え》てるんでしょ? 林檎チャン、まだ甘いんじゃないの?」とか下らないツッコミを入れてしまい、余計ダメに。
 一応フォローしておくと、「愛する人が生きてるだけで幸福よ」と言いながらも、なんだかんだ言ってギブだけじゃなくテイクを求めてしまうっていうのは、すごく人間らしい姿勢だと思います。深い。

鬱にまかせて、柄谷行人『倫理21』(平凡社)宮台真司、速水由紀子『サイファ覚醒せよ! 世界の新解説バイブル』(筑摩書房)を買ってしまう。

鬱についてですが、俺が鬱だと思っているものは実のところ、追い込みの時期にさしかかって、ここ3年の間に染みついた「受験モード」が発動してるだけなのかも、とか思ったり。妙に頭は回るんだよねえ、無駄に。なんかヤなクセ。
 他にも「単なる寝不足説」などが提唱されています。

夜、突然小学校の同級生から電話。地方に赴任するっていうハナシは聞いてたんだけど、俺のほうにも受話器が回ってきた。で、ひとしきり話をしたんだけど、すごく普通の23歳だったので妙に驚く。ていうか23歳って若いっすね、思ったより。まあその同級生の個性だっつう意見は正しいかもだけど、俺の知ってる他の23歳はずいぶんとアレなのだなあと思った(俺含む)。

28 SAT
大川興業興業に行きたまる。

26 THU
なんか最近、妙にインテリぶってる自分に気づく回数が増えた。まあそれも必要な時期があるだろう、ということにしておく。

23 MON
佐藤マコト『サトラレ』(モーニング新マグナム増刊/講談社)が映画化されるってのは以前書いたけど、これ本広克行が監督するんだね。驚いた。目の付け所がシャープすぎ。いまの日本では指折りのエンターテインメント派だし、原作もまったくのエンターテインメントなので、期待していい、と思う。

現在、本広監督のページでは撮影日記が公開中。撮影まっただ中みたい。

つーかワークリスト見てたら、この人もフジテレビ深夜黄金期(1992〜93くらい。俺がそう呼んでるだけ)出身のひとなんだな。あの頃を彩った演出家は、岩井俊二飯田譲治本広克行といった、今では軒並みビッグネームになってる人たち。ついでに配島邦明ウェブリングってのも発見。そういえば片岡K(井出薫と結婚し、引退へと導いた憎むべき男)はどうしてるのかなぁと思ったら元気みたいですね、俺が見てないだけで。当時の俺のお気に入りは岩井・片岡でしたね、って聞いてねえよ。

フジ深夜な人は、知らないだけでまだまだ面白い人がいるんでしょう。まだバブルの最中で、テレビでもずいぶん実験が許されてたんだなぁ、と今にして思うとともに、わが青春の日々(パッシヴやさぐれ系)を思い起こす。

む、ひさびさにWebで盛り上がった(一人で)。

22 SUN
パシフィコ横浜で行われる「ユニークスクールフォーラム」にも行ってみたかったが、模試を受ける。

21 SAT
ただ普通に大船を歩いてたら、同じように向こうから普通に歩いてくる人とすれ違った瞬間、
「あ、それがザビ家なんだ。じゃあなんでシャアは……」
と話してるのが聞こえた。「ああ、これが大船という街だ」と思った。

友人から借りた、くるり『青い空』がたいへんよろしくていまさらながらヘビーローテーション中。こんなことは言いたくないのさ。

20 FRI
『慎吾ママのおはロック』にインスパイアされた遊び。会話中、人の名前を言うときに必ず「〜ママ」をつけて話す。会話中、なるべく人称代名詞(あいつ・おまえ・彼・彼女など)や肩書きを使わず、固有の名(姓名の名ね)だけを使うとよい。最初に笑った人が負け。参加者にある程度男がいないとダメかも。

19 THU
見逃さないように、と言ってるそばからいきなり「トップランナー」(NHK)町田康編を見逃す。つーかビデオ予約しといたんだけど、日付設定が1日ズレてた。うう、やり慣れないことするもんじゃないなあ。まあ読んだことないからいいや。

17 TUE
友人が妙に興奮しながら
「高校にスウェーデンの交換留学生が居てんけどな、もうアレは妖精としか言いようがないで。こう、何というか、やせてるけど決してガリガリじゃないねん。混んでるバスで密着状態やってんけど、犯罪やでアレは。彼女の周りにいる男は皆犯罪者やで」
と、よくわからない表現で熱弁するので、バルスコワ萌えの俺としてもとても密着したくなる。

いままでは考えないようにしてたんだけど、いざ「仮面舞踏会」だと意識してみると、今すぐにも舞台から逃げちゃいたい衝動に駆られる。いかんいかん。やっぱPMSかな。

16 MON
SFCについて「仮面舞踏会」「永遠に続く学園祭」といったテーマでまったりトーク。

15 SUN
今週と来週、「トップランナー」(NHK)見るのを忘れないように>俺。

13 FRI
予定してたことが予定通りうまくいかない、という経験(多くは自業自得)が何度か重なって、モチベーションが下がってきた瞬間に、ちょうど季節の変わり目で昼夜の温度差が激しかったりすると、一瞬で風邪をひく。というお約束のパターンに今回もはまる。前から言ってた「鬱の下り坂」とも関係してるはずなんだけど、体がムリヤリ休もうとしやがる。んでも、やることはいっぱいあるんだよなあ。

『佐藤雅彦全仕事』(マドラ出版)を買う。これ、初回限定版はたしかビデオついてたんだよなあ。ちょうど金無くて買わなかったんだけど。いまさら買わねばならぬならいっそあのときに、くくくくく。と悔やまれる。『kino』(マドラ出版)はさらに高くてもっと買いたくないんですけど。これもビデオだし。

12 THU
夕方、バス停からT堂駅へ歩いていくと、駅までの立体アプローチ上に20人くらいの行列ができてて、その先ではパイプ机(?)が4脚ほど設置され、なにやら受付をしているらしい。8口設置してもまだ行列ができるってなんだそりゃ? と思いつつよく見てみたら、「TSUTAYA」ののぼりが。どうも建設中の駅ビルのテナントに入るツタヤが、ビル建設中にも関わらず事前に会員申し込みを受け付けてるんだよね。おいおい、ツタヤひとつにこの騒ぎか辻D住民! たしかに駅前に本屋も服屋も、どころかファーストフードすら見たことない、唯一セガ直営ゲーセンだけあるけど至ってお粗末、という惨状を毎日目にしてるだけに俺もその気持ちわからなくはないんだけど、しかしこの行列、今日にはじまったわけじゃなく、以前も見たような気がする。「殺到ですか?」「殺到でーす!!」うう、恐るべしT堂……。

福島聡『DAY DREAM BLIEVER』(週間モーニング/講談社)が打ち切り(だよなコレは?)。むむむむむ、キャラの設定はスバラシイっていうか「やられた!」って感があったんだけど、残念だなあ。なんでこうなっちゃったんだろう。作者がキャラを扱いきれなかったのかねえ。

9 MON
鬱が静かに進行中。

8 SUN
7月にセガがソフト研究開発部門を分散しこういうことになって以来、良い意味でも悪い意味でもセガ色の薄れたゲームを量産してますが、今日初めて見たCRACKIN' DJ』(Hitmakerもやっぱりそんなゲーム。筐体を遠目に見て「韓国か台湾からの輸入ゲーか?」と思ったらセガって書いてあった。一緒にいた友人は「セガっぽい」と思ってたらしいんだけど。
 プレーしてる姿がDJに見えるかどうか? という基準で今までの「DJゲー」を整列したら間違いなくトップに立つであろうゲームなんだけど、複雑すぎやしないでしょうかちょっと。ちゃんとターンテーブルは2台使うんだけど、特にミキサーの要素が付いたのがポイントで、キューイング(頭出し)してカットインとか、一回スクラッチしたらフェーダーを反対に(ミュート)してターンテーブルを戻したらフェーダーを戻しつつまたスクラッチ(この間0.3秒)とか、凝りすぎ! といった印象。インストラクション見てもさっぱりわかんない。
 ゲームでは、頭出しの場所を指定されたり適切な回転速度を要求されたりまではしないんだけど、本職なひとはそれまでやってるわけで、DJの恐ろしさを味わえるといえば味わえる一作。ビートマニアもマニア対象にしぼられた今、ちょっとやってもいいかなと思う。

7 SAT
ユーゴは革命ですか。いいよなぁ革命。まともな頭で「革命!」なんて言えた世代とかうらやましいもんなあ。本気で革命なんて言うと日本じゃもうキチガイ扱いでしょ。というと「IT革命」を連呼するアノ人コノ人もそういうことになっちゃうかもだが、それもあんまり間違ってないような気がしたのでこのままいこう。

5 THU
昨日のライダー願望を抑圧したたれ目の仕掛け人、調べました。ツインスター支配人の宮地さんという方でした。宮地……社長?

そういえば、安達亨「ユーロボーイズはパラパラビデオにインスパイアされたって言ってたのを思い出した。やっぱ変身ヒーローに見えるよなあ。

深夜、漠然とした先行き不安感によるキツい鬱の予感が。秋だから?

4 WED
パラパラパラダイス』(コナミで、キメキメの兄ちゃんが踊っているのをギャラリー。笑いをこらえてニヤつきながらしばらく見てたんだけど、気がついたら人が集まってきて、筐体を中心とした半円が描かれるようになっていた。中心でパラパラを踊るキメキメ男と、取り囲む環。その瞬間、ゲーセン内に異様な祝祭儀礼のような空間ができてて、かなりクラッとくる。いいかも。
 でも、ほかのギャラリーもみんなちょっと半笑いなの、やっぱり。

んで、パラパラはどう考えても東映とかの変身ヒーローシリーズに影響されてると思った。テレビでよく見る、仕掛け人であり日々新作のパラパラを編み出すナントカさん(たれ目)の家には、ぜったいライダー1号からクウガまで揃ってるはずだ。それどころかコレクションは他のシリーズにも及んでるはずだ。そんで、子供のころはライダーごっこが大好きだったんだけど、背の低さのせいでショッカーしかやらせてもらえず、そこで抑圧された変身ポーズへの憧れがパラパラへの衝動につながっているにちがいない。

1 SUN
女子新体操。ユリア・バルスコワ萌え〜。カバエワがフープでしくじったのは、世界中のバルスコワ萌え男の怨念である。たぶん。

■ September 2000

28 THU
やっと佐藤雅彦に会う。トレードマークのダークグレーのスーツで、髪は肩までのセミロング。うう、清潔な東大君ってかんじだ。
 んで、雅彦が "abduction" という学問的手法(要するに多数の共通事例から抽象した推論。けど、帰納(induction)とはちょっと違う。なお、宇宙人に誘拐されてインプラントされたりキャトルミューティレーションされたりはしない)をちゃんと実践して導き出した手法をひとしきり講義。濁音がいかにすばらしいかとか、音楽に映像をシンクロさせることで生まれる効果など、佐藤雅彦作品にちりばめられたポイントを列挙していく。
 それらはあくまで "abduction" という手法の有効性を伝えるために例として出されているわけだけど、生徒のほうはそこに気づいてたかどうかいささか疑問。笑うのに忙しそうだったし。

25 MON
新宿シアタートップスで行われた、大人計画『ウーマンリブVol.5 グレープフルーツちょうだい』を観劇。アルコール中毒患者を軟禁して、酒を飲んだら殴って「治療」する施設のドタバタコメディ(この表現は永遠だよなあ)。シーンひとつひとつはむちゃくちゃ笑ったんだけど、ボランティアで来た天然系(例:釈由美子、異性にモテて同姓に嫌われるタイプ)の美少女(平岩紙)をジューサーにかけちゃった、っていうオチの唐突さはちょっとアレかなあ、と思った。「なんか落とさなくちゃ」っていう義務感というか、「驚かせたい」みたいな気持ちもわかるんだけど、いまいちハマッてなかった。会場内でもあんまり評判良くなかったみたい。
 知らないで行ったんだけど、これを書いてる宮藤官九郎って『笑う犬の冒険』の脚本にも参加してるらしい。たまに『笑う犬の冒険』を見ると、やっぱりそれぞれのコントでは笑ったりもするんだけど、全体的には好きな番組ってわけでもない、っていうあたりが妙に共通したんだよね。何がまずいのかはまだわかんないんだけど。単に俺が年喰っただけ、とかかもしれない。
 宮藤官九郎は「天然系」の女がキライなのかも、とか、テレビの仕事でストレスたまって「テレビじゃ殺せないから殺しとくか」みたいな気持ちになったのかも、というあたりで落ち着く。

ううう、松尾スズキ作品が見たい見たい見たい。

22 FRI
某氏のコーディネートで、「東京ゲームショウ2000秋」のビジネスデーにチン入。
 まず異彩を放っていたのは、韓国政府がバックについてるらしい「ゲームインフィニティ」という財団法人のブース。DDRそっくりの『BDD』(BestSoft)という筐体は、全身を動かしながら格闘ゲームまでプレーできちゃったりする。パンフによると「三次元ーチャルラアリティー方式でセサーが人の動きを自動的に検知し、それを本にえる仕組みを採用しています」とのことでよくわかりません。BDDのカロリー消費量は水泳やDDRよりも多い600キロカロリーで、ダイエットにも最適だということはわかった。そういえば実際にプレーしてなかったことに気づいて、いまさら大後悔。
 次に、家庭用ゲーム機(っていうかほぼPS系なんだけど)の中から。「すごいゲーム」はもうすごくないので、『激写ボーイ2(仮)』(アイレムソフトウェアエンジニアリングとか、ノベルティグッズのトレーニング機器も◎の『グラップラー刃牙 バキ最強伝説』(トミーとか、気合いの入りまくった仮面ライダーV3』(バンダイと、対照的にヘボヘボの『北斗の拳 世紀末救世主伝説』(同)とか、どうしても「現金出して新品買う気にはならないんだけど」ってソフトばかり気になる。
 あとは、面白いと評判だったエキサイトスタジアム』(エポック社の続編であるエキサイトピンポン』(同)とか。コースの打ち分けとかもしっかりできるので、ちゃんと卓球の雰囲気は出てる。プラットフォームのハードもいらないし、これだけ買えば二人で遊べてPSソフト1本ぶんの5,980円なら買うでしょ(レンタル卓球場が近くになければ)。
 PS2のラインナップを見ると、ハード性能の向上とパラレルな開発工数の増加によって、「ゲームとはオリジナリティを発揮する場である」という命題はさらに完膚無きまで叩きのめされて、PS1で実現されていた「自由なプラットフォーム」というイメージからは遠のいたかんじ。そういう場で生まれる多様性がない限り先細りすると思うんだけどね、N64みたいに。さて、ずいぶんとゲームが発表されていたiモードはそういうプラットフォームになるでしょうか。いまのところそんな気配はないみたい……ってそもそも狙ってねえか。

16 FRI
とても検索したいキーワードが思い浮かんだのでYahoo!のブックマークを押したんだけど、表示されるまでの短い時間に他のウィンドウの別なページを読んでいたら、何を検索しようとしてたのか忘れてしまった。そのキーワードを思いついたとき、その先にはなんかちょっとだけ世界が拡大するようないい気分がして、俺にとってはよそ見をした別のページよりもそのキーワードのほうが明らかに重要だったので、思い出せないのはすごく悔しかった。

こんなのよくあることなんだけど、考えてたらこの問題は重要なメタファーになっているような気がしてきた。すなわち、重要な未来が見えたとき、目先の問題に囚われていると、その未来は薄れていく。薄れたときに「まあそれでもいいか」と思えるかどうかは、その「重要な未来」の重要さ加減と「目先の問題」の重みとの勝負になるわけだけど、薄れちゃったあとで悔しいと思うこともありますよ、ということだ。

む、なんかあたりまえの結論だけど、その、教訓としてね。

田村亮子が金メダル。表彰台では、両脇の銀・銅の選手がわりとかわいいのでいつもより(以下略)。

13 WED
近所のスリーエフにMusic Deliが設置されたのでさっそく使ってみた。まずコンビニ店内で試聴できるってのがわりと新しいカンジではあるんだけど、広くはないコンビニだっつうのになぜかヘッドホンだけでなく外部スピーカーからも音が出るよう設定されてて、ちょっと一人ではハズカシイが、こっちは三人だったので視聴しまくり。今のところ決してコンテンツが充実しているとはいえないけど、『魔界村』や『戦場の狼』の音源集を発見し、視聴して癒されてみたり。結局、ダウンロードしたのは鳥肌実のネタでした。200円也。

12 TUE
亜血亜家でCG合宿。といいつつ『フリクリ<1>〜<3>』(ガイナックスを見たり、尾田栄一郎『ワンピース』(集英社)をアーロン編が終わるまで一気読みしてみたり。俺のほうの結果としてはこれ(スケルタルアクション+トゥーンレンダリング)とこれ(ラインレンダリング+モーションブラー)。しかし、動かすのはスゲエ労力がいる。翌朝、死にそうな表情のまま帰る。

10 SUN
叶姉妹のことを「人工的」と言ったデヴィ夫人にオマエモナー。

8 FRI
藤野千夜『夏の約束』(講談社)読了。この人はとにかく「ドラマのないドラマ」をリアルに書くのが上手で、少しはドラマチックな事件も起きるんだけど、それすらも日常にまったりと飲み込まれて逆に平板な日常ばかりが強く印象に残る。すべてが可能性の範疇で、すべてが知ってることばかりで、すべてが他人事で、すべてに「ふぅん」と言っておけばとりあえず先に進めてしまうんである。そうした中で人と人との距離をなんとか測って、なんとか自分を位置づけていく、という試行錯誤がまったりと繰り返される。で、そのために大仰なドラマを持ってこないところが藤野千夜のミソだと思う。あまりにそのまま終わるんで、最初びっくりしたし。

すべてが可能性の範疇にある、意外なことが存在しない、すべてがメディアの向こうの他人事(または作り事)のコピーとして存在する世界を悲しむことは得策じゃなくて、悲しんじゃう奴は単なる弱者でしかないんだよね。でも、耐えられないなら悲しんで耐えるしかないという気もする。微妙。このへんはいずれ長文を書くかも。

7 THU
天王洲アイルにあるアートスフィアで行われた、大駱駝艦天賦典式『完全なる人々』を見てきた。ほぼ裸体に白塗りの男女がヒクヒク踊る姿なんてなかなか見られないので、貴重な経験をした(といっても「暗黒舞踏」は2度目なんだけど)。内容については、「麿赤兒って見た目とかやってることのアヴァンギャルドさのわりにはけっこう保守的なひとなのかも?」と思ったりもした。

公演終了後、ロビーで出演者とその知り合いな人々が談笑してたりしたんだけど、こういう奇しい非日常チックなことをする人にそういうことして欲しくなかった。あの、着ぐるみ脱いでるとこを見ちゃった子供の気持ちっていうか。でも麿赤兒だけはやはりちょっとオーラ(アウラ?)が。談笑してた相手がアラーキーってのもまたなんとも言えず良かった。

4 MON
『ゼルダの伝説 時のオカリナ』でバス(?)釣ってたら朝の4時。「そろそろやめよっかな〜」と思って釣堀のオヤジに話しかけたら、「ちょっと 兄さん、なんか/大事な用事が あるんちゃうの?/え?/ここで 遊んでる方が 楽しいやて?/そーやって だめになっていった人/よーけ おるんやで、ホンマに。/ま、いいけどね。」と俺自身が一刀両断され、ヘコむ。

この『ゼルダの伝説 時のオカリナ』では、ミニゲームとかのお店で「遊んでく?」と聞かれたとき、「いいえ」を選択すると「いいよ、やんなくても」と、遊んでいかない奴に対して開き直ったそっけない対応をする。でも、実のところこれはそっけない態度なんかじゃなくて、「そうそう、ほんとはやんなくてもいいんだよ、あなたには他にもいろいろあるでしょうから」という任天堂の、ひいては宮本茂氏の良心が表れている部分なのではないだろうか。

3 SUN
『マトリックス』について。カンフーはやっぱヘボイ、と思うのはジャッキー映画の見すぎでしょうか。それがまたマヌケ感というか、良く言えば非現実感を出すのに貢献しているので結果オーライといえよう。
 コンピュータが世界を支配し、人間をエネルギーとして利用しはじめる「現実」がある一方で、極限まで再現されたバーチャルリアリティの世界が運営されている、という世界観の上で、そのバーチャルリアリティはどうも良くないし、人間はつらくてもちゃんと現実を生きなきゃダメだ(=逃げちゃダメだ)! というメッセージが盛り込まれている。今現在の俺の生活についてそう言われるとすればちょっと痛い部分もあるわけだけど、たとえば現実に「極限のバーチャルリアリティ」が構築されたとして、それを否定することははたしてできるか? というと、俺は「バーチャルでもいいんじゃないの?」と思うような気もする。
 俺が生きている間には無理かもしれないけど、そう遠からず実現されそうな気がしないでもない、バーチャルを越えたバーチャルな現実、つまり地球と社会のクローン。現実のコピーは単なる同義反復で、それを実現することに意味があるのかどうかは別にしても、その場合は「バーチャルと現実のどっちが偉い?」という議論にはっきりと答えを出すことはまだできないよね。というか、実際に作られるバーチャルな世界は、現実のコピーを乗り越えて、すべての人々が悟りを開いたネオのように存在できるものだといいなあと思う。
 実際に3Dグラフィックでネット空間を表現しようとする研究ははじまりつつある、と以前聞いた。

1 FRI
必要なのはポータブルCD-ROMだったんだけど、帰ってきたらなぜかDVD-ROMになっていた。ついでに『マトリックス』も入っていた。どうもおかしい。

■ August 2000

31 THU
ばあちゃんの享年は97ではなく95歳でした。後の自分のために訂正。というわけで、葬式に参列というか催す側に回ったわけですが、自分が日本的共同体の一員だということを嫌が応にも認識させられた数日でした。わりかし無縁なほうだと思ってたんだけど、逃げられないものね。

野田秀樹『向こう岸に行った人々』を、書泉ブックタワーでやっと発見。

チビノリダーがCMに出てるねえ。

28 TUE
インターネット・ラゲチカ」が経営難により今月いっぱいで終了するそうで、記念にリンクしておく。残念ナリ。

27 SUN
ばあちゃんが逝去。97歳の大往生でした。日露戦争の勝利とともに生まれ震災と大戦を生き残った強者が、20世紀とともに幕を引くなんて粋じゃないですか。ちょっと忙しくなりそう。

26 SAT
これこれとでカートに行こうと出発したはいいものの、「暑い+道混んでる→タルい」のコンボネーションが炸裂し、急遽「男だらけの観光大会@江ノ島」を開催することに。いままで江ノ島の参道を登ったことなかったんだけど、家から車で20分ほどのところにあれだけコアな「観光地」が残っていたことに驚く。だってお土産にキーホルダーと木刀が売られてて、スマートボールと射的が生き残ってるんだぜ。ジュースが130円なんだぜ。
 結局、山を越えて谷を越えて海際まで歩き、夕陽を拝んでたら満ちてきた潮に威嚇されてビビって帰る。

やっとNINTENDO64が返ってきたので、ゼルダとウェーブレースとF-ZERO Xをやる。つーかむしろやりまくる。

23 WED
朝の4時くらいにfra-foa『青白い月』(TOY'S FACTORYのPVを視聴し、ひさびさにヤラれる。「もう女性ボーカルってのもネェ?」感も漂う今日この頃だし、「184と書いてイヤシ?」みたいなのももはやイタいし、歌詞などもおそらくアレでアレでアレなのだが、それでもやっぱ弱いもんは弱いのである。過去にも車のラジオでボニーピンク『Do you crash?』を聞き、その足で買いに走ったりした経験などなどを踏まえた結果、俺は「オルタナティブな曲にのせて悲しく切なく叫ぶ女子」に弱いことが大発覚。
 と思ったら、『青白い月』のシングルが今日発売じゃないですか。なんてシンクロ率でしょう、って今日発売だから流れてんだよな。寝て起きたら買いに行くことにしよう。

ほぼ日刊イトイ新聞」内、「樹の上の秘密基地」に掲載されている座談会によれば、『MOTHER 3』の開発が中止になった模様。出席者本人たちも可能性を指摘しているけど、皮肉なことにこの座談会はむちゃくちゃ面白くて、『MOTHER』シリーズにはまったく思い入れがない(っていうかプレーしたことがない)俺が『MOTHER』シリーズに触れてみたくなってしまった。座談会は必読。

ほぼ日」と「2ちゃんねる」は似ている。「あげ」方式なとこが。超有名だけど、まったく無関係な2サイトに意外な共通点が……ってこれ、有名な時系列整理法(aka.『超整理法』!)なのか。なんだ、そうかそうか。

17 THU
佐藤マコト『サトラレ』が映画化するんだって。「もしかして、俺の考えてることはみんなにバレてるんじゃないの?!」という、誰もが一度くらい思ったことがありそうな疑問を真剣にシミュレートした漫画なんだけど、かなり面白い。映画ではきっと第1回を使うんだろうなあ。今までに数回『モーニング オープン増刊』に掲載されたんだけど、どれも面白いので早く単行本が出てほしいところだ。

12 SAT
負けがほぼ決まった母校を応援しながら涙ぐむ美人マネージャー。目の前で好きな男が戦っているのかもしれない。それを写すカメラ。美しい光景に見えないこともない、しかしカメラは美人にしか向けられることはない。そして、それを見て笑う俺。

ロバート・ホワイティング『東京アンダーワールド』(角川書店)読了。金とヤクザと政治家とマイノリティ。見えないところは見えてるところよりやっぱり大きくて、やっぱりそこに真実があるような気がする。ということを再確認する。

村上龍『テニスボーイの憂鬱(上)(下)』(集英社文庫)読了。「人間」として抱えている矛盾と「動物」として抱えている矛盾と、「人間」と「動物」が同居しているという矛盾。逃げようとしても残る憂鬱。そして、喜んでようと悲しんでようと、常にすぐ隣にある滑稽さ。人間はやっぱりムリヤリ生きていくものなんだろうか。福田和也のベタ褒めぶりもうなずける。友人の顔が頭をよぎる。

10 THU
家の半径500m以内で収穫があった。ジャッキー・チェン×クリス・タッカー『ラッシュアワー』主演:ジャッキー・チェン/サモハン・キンポー、監督:サモハン・キンポー、武術指導:ユン・ピョウ『ファースト・ミッション』監督:コーエン兄弟『ファーゴ』監督・脚本:マーティン・スコセッシ『エイジ・オブ・イノセンス』、すべて1000円でゲッツ。あと、浅田彰『逃走論』(筑摩書房)宮台真司『これが答えだ!』(飛鳥新社)を図書館で借りる。

アフタヌーンシーズン増刊Summerを買う。竹易てあしaka.沙村広明は天才。かなり天才。これだけ確信犯的に盲点を突けるってのは。

9 WED
ちょっと遅すぎるんだけど、今日になってマッスル北村が亡くなっていたことを知った(詳しくはこちら)。8月3日のことだそうだ。最近では『ちっこいよ』での、限りなく屈託のない、しかしそれが逆にさびしげに見える笑顔と、冷静なキレっぷりが印象に残ってる。『TVタックル』での丸川珠代といい、東大なひとってのは冷静にキレるのが得意なんだろうか。それはともかく、なぜかかなりショック。合掌。

ちっこいよ掲示板」にも惜しむ声があがっている。

特にマッスルが亡くなったから、というわけでもないんだけど、無性に『放浪カモメはどこまでも』が聞きたくなったので、スピッツ『ハヤブサ』(POLYDOR)を買う。

19のボーカルの動きはあやしいなあ、とずっと思ってたけど、「もしかしてあれはヒップホップなんじゃないのか?」と突如ひらめいたので、ためしにCMにあわせて「チェゲラッチョウ、チェゲチェゲラッチョウ」と歌ってみたら、やっぱしぴったりだった。本人は意識してんのかどうか知らないけど。

8 TUE
代官山へバイトの話を聞きに行く。

その後、見たい見たいと思っていた監督・脚本:ペドロ・アルモドバル『オール・アバウト・マイ・マザーを鑑賞。共感できる/できないとかそういう次元を超えたところで人生も感情もグダグダに絡み合うんだけど、そのグダグダを「どっこいしょ」と持ち上げてしまうのが女なんだよ、という映画。劇中、女も不幸なんだけど、それにもまして男が救いようもなく悲しい役としてしか登場しないのが暗示的です。一方、女たちは救いようがある、というかタフである。このへん重要なテーマだよなあ。これ、見ておかないのはもったいないですよ。マジで。

6 SUN
突如として舞台・演劇ブームが俺を襲う。ファミリーマートローソンに行って大駱駝艦『完全なる人人』大人計画『グレープフルーツちょうだい』のチケットを取る。金なくなる。

3 THU
亜血亜と2人で徹夜でネットミーチングしてたら、なぜか秋葉原新宿ツアーに行くことに決まる。俺の目的は、アキバで安めにノートPCをゲッツすることと、新宿マルイワンで行われているミスタードリラー2のプロモーションイベントでススムくんTシャツをゲッツすること。
 アキバでさんざん歩いても目的のブツは在庫なし。結局、新宿ヨドバシカメラで「ポイント考えたら同じようなもん」と妥協せざるを得ず。
 その後、マルイワンに行くものの、ドリラーTシャツはどこぞのオタどもに荒らされたあとで、めぼしい在庫が根こそぎなくなっていた。結局買わず。うう、なんか今日一日ダメなかんじ。これもネットミーティングで悪口を叩きまくった某CGアーチストの「呪い」にちがいない、と2人で納得する。

1 TUE
毎月1日は映画の日@神奈川県、というわけで先日某氏と企画した「1日で映画を3本見てみましょうツアー」を敢行。

1本目は『カードキャプターさくら』。萌え萌えパワー全開の赤面大会でした。5点(100点満点)

2本目はジュブナイル。偉大な先達がずっと考えてきた「子供向け」というテーマに対する数々の答えを素直に継承し、その上に立ってしっかりと作られてます。残念ながら、垢にまみれた俺とかにはちょっとインパクツが弱かったりするわけなんだけど、こういうものをきちんと今後の子供に提示してくってことは重要かも。その意味では良作であります。「未来」がとてもパーソナルなものとして描かれているのは、とても鋭くて新しいポイント。挿入歌に山下達郎『アトムの子』が使われてたり、エンドロールにさりげなく「for Fujiko F. Fujio」と入れられているのがニヤリ。

3本目はパーフェクト・ストーム。こいつが今回の最大のダークホース、そして問題作でした。そもそも、何の予備情報も持たずに「典型的なハリウッド作品であろう」という先入観を持って事に臨んでしまったのがマチガイのはじまりで、結果としては見終わったあと「ぐおおああああぁぁ」と二人で呻いちゃうような作品でした。映像や構成は典型的なハリウッドものと言っていいんだけど、つまりはオチがハリウッドじゃなかったわけですよ、そのストーリー展開をめぐって某氏と論争になるほどに。が、その後で「史実を元にした」という情報を得たら、一気に「なーんだ」感が押し寄せてきました。結局こっちの勘違いというか勇み足だったんでした。

■ July 2000

30 SUN
Webをつくるという課題のハナシをするとき、「日記書こうとしても、書くことなくてつづかねーよ」という声を聞くんだけど、ひと月に20日以上も日記が書けてしまう生活、または人間というのはオカシーんでしょうかね、やっぱ。うすうす勘づいてはいたものの。って、おまえらモノローグの多い世代なんじゃなかったのか?

ミスタードリラー2』(ナムコをプレー、2000mモードを3プレー目でクリアしとく。対戦おもしろい。

友人がことごとくNINTENDO64を売却していた事実を知り、ショックを受ける。

大学に入ることで得ようとしていた(そして未だに得られていない)類の重要な示唆を、ぜんぜん関係ないと思ってたところから不意に受けてしまったりすると、大学に入ったのって何だったのかなあなんて思っちゃったりする。悩み深まる。

うわ、「mr-driller.com」ってスゲエな。これで非公式だってのは笑うしかない。作ってるのは「ススムくん」だそうです。

29 SAT
昨日から今日にかけて、某氏とまったりネットミる。

無為な一日。緊張のあとの解放はひとを微妙にさせる。

だいぶ「ねラー」化が進行している俺。今日もなにげなく2ちゃんねるを読んでたら、小林弘人、宮崎哲弥、山形浩生による『インターネット対談へのリンクがあったので、思わず読む。つーか1996年の時点でこんなハナシしてるってのでビビった。さすがである(俺がヘボイだけ?)。《情報リッチ/プアというのもたぶん、ほんの過渡的な現象にすぎない》《全体に単純労働化するような形での平準化というのが、これから起こる》マックが提供したのは《非創造的な安易さ》だ、などなど、ビシビシと鋭すぎる指摘が入る入る(最後のは特に個人的にも痛いよなー。マックユーザではないけど)。読んどくべき。っていうか俺が遅すぎ。心に刻んでまいります。ちなみに、宮崎・山形両氏による新教養主義対談も面白かった。「日本人の教養は単なる趣味なんだよ!」と、俺の方向を肯定してもらって安心したり。

「そういや『新教養主義宣言』買ってから読んでねーよ」と思いながら、ついついロバート・ホワイティング『東京アンダーワールド』(角川書店)を買ってしまう俺。

28 FRI
3000円も出して医者の診断書を用意したにもかかわらず、締切り時間を間違えたため、風邪で欠席したテストの追試が受けられないことに。ガックシ。つーか診断書だけで3000円て絶対ボッてるだろ。

『Dance Maniax』を「家でパラパラ練習してるギャルの哀愁シミュレータ」と命名。勝手に。

27 THU
テスト終了=夏休み突入!

今日のドリラー:921,705点(ノーミス・6:30くらい)

26 WED
近所にある「肉の岩崎」のコロッケはむちゃくちゃ美味しい。とにかく、なんとも言えないふっくら感、絶妙なジャガイモの練り具合など、岩崎さんちのおじいちゃんの熟練の手さばきと経験によって生み出される、極上の味なんである。が、その味が変わってしまった。おじいちゃんは引退されているらしい。その熟練の味が失われることが惜しいだけでなく、俺の食生活にとって欠かせないものだっただけに、本気で残念だ。だれかあの味を受け継ぐひとはいないんだろうか……。

22 SAT
書くべきことがあったんだけど、忘れた。

『Dance Maniax』は『DDR』ほどインパクトがない、はっきり言って。あの着想はきっと「パラパラが楽しい」というとこから来てるんだろうけど、パラパラが楽しいのは、みんなで一緒に振りを覚えて多人数で一斉に同じ動きをするっていう「同調」の部分だと思うんだよね(やったことねえけどな)。それが無いとなると、とたんに寂しくなるんだろう。『Dance Maniax』は、実際かなり寂しい。『DDR』はひとりでやっても楽しくて、それはやっぱ踏むからなんだよ。

21 FRI
咳がちょっと残っている。つーか気管支病み上がりなのにタバコの禁断症状に耐えられてない自分を呪ってみたりみなかったり。医者にも「喘息の気のあるひとは絶対タバコ吸っちゃダメ!」と、(ほんとにこの調子で)言われるし。
 明日のテスト勉強はもうあきらめムードで。「熱あったしぃ〜」とかいうセルフエクスキューズに助けられながらね。それもある程度事実だけど、あまりにも事前準備不足だろ>俺。まあいいや。こんなもんでしょ。

20 THU
かなり復活。

三谷幸喜脚本のテレビドラマ合い言葉は勇気を見た。「弁護士を演じる役者」の話なんだけど、これって『12人の優しい日本人』でも使ってたよねえ。でも、今回違うのは「正義の」弁護士だというところ。「もうウソの上でしか『正義』なんて言えないんだけど、でも(だからこそ)ちょっと『正義』とか言ってみたいんだ!」っていうのはなんとなくわかる気がする。

19 WED
喉に痛み→咳→発熱のコンボネーションが炸裂。最高38.6度、ひさしぶりに目眩のする発熱。

17 MON
古本屋の場所を聞くために友人に電話したら、「ひとりでDance Maniax』(コナミをプレーし、その最高に強まった恥ずかしさを日記に書け」と宿題を出されたのでプレーした。DDR時代のクセで思わず「How To Play」を飛ばしてしまったため、まず根本的に遮りかたがわかんなくって即閉じ。「コナミはアフォーダンスがわかってねえな」と知ったかぶりつつ、この時点で恥ずかしさ最高、やる気最低。で、ギャラリーもいなくって大したさらし者にもならず、日記的にも最低。つーか、俺としては『サンバdeアミーゴ』のほうが恥ずかしさレベル高いかも。

『QuickJapan』Vol.31(太田出版)藤野千夜『少年と少女のポルカ』(講談社文庫)田中克彦『ことばと国家』(岩波新書)を買う。最後のは課題図書。にしても、まだ買うかこいつは。

んで、『少年と少女のポルカ』読了。あーうー、この何とも言えない喉越しはなんだろね。性同一性障害とか神経症ってのはひとつのインパクツ発生装置でしかなくて、結局のところ「距離感」がミソなんだろうと思えたりするのは、きっと俺の個人的な状況が影響してるんだろう。つい最近まで予備校にいた俺としては、登場人物にいささか教養がありすぎるような気もするけど、それは細かいことね。

16 SUN
やっぱ家でやってもおもれーよススムくんは! 単位落としたらススムのせいだということで。んで、ホリつながりの『スーパーターボ』は最高連射速度が20発/sec.なので、ちょっと物足りない。やっぱシンクロじゃなきゃダメか?

田宮俊作『田宮模型の仕事』(文春文庫)読了。ビルとか大前の本を読んで「デカいことするぜ!」って妄想ふくらませてるヒマがあったらこっちを読んどけ、という内容。「ベンチャー」なんて、言葉が新しいだけだってことがよくわかる。ここにあるのは、ソニー・ホンダ・横井に通底する「愛」とか「魂」でしょう。ホコリかぶってるミニ四駆たちとFOXに切なくなってみたり、申し訳なく思ってみたり。

聞いたとこだと、『某9』はやっぱり「○ボタンを押すゲーム」らしいですね。奇数の作品はシステム重視じゃなかったのか? まあやってないんでなんとも言えないんですけど。でも「○ボタンを押すゲーム」って、もしかして『グルーヴ地獄V』の「ボールペン工場」以下なのでは?(ちなみに「ボールペン工場」は面白いです)

15 SAT
横浜までおさんぽ。ひさしぶりに「中華一バンバン」のチャーハンを食べてシアワセになりつつ、PS版『ミスタードリラー』(ナムコ)PS専用連射アダプター『スーパーターボ』(ホリ電機『大航海』2000年8月号(新書館)田宮俊作『田宮模型の仕事』(文春文庫)などを買いあさる。んで、こんだけ買っちゃったけど、試験勉強はいつやるんだろうか。

14 FRI
レポート地獄をなんとか乗り切る。これでひと山越えたけど、まだ試験が待っている。

13 THU
統計の入門編みたいな講義のレポートをやんなきゃいけないんだけど、俺ってつくづく数字に関するセンスに恵まれてねえと実感する。コンピュータ歴も足かけ15年になるけど、プログラミングにしてもBASICと "Hello World!" より先には行かなかったしなあ。

ここしばらく家の外でも内でもコンピュータから逃げられない生活を送ってたら、体が受けつけなくなってきやがった。やはりここは距離を置くべきかと考えはじめる。ここ最近、何人かのひとから「これからはいかにネットワークに取り込まれないかを考えないといけない」という論を聞いたけど、それはほんとに重要な問題だと思う。一時的になら可能だろうけど、完全に「ネットワーク」から逃げ切る方法をいますぐ思いつくことができないってのは……「ネットワーク」の定義にもよりけりだけど。

デザイン系の科目が芸術系でないわりには充実していることになっている学校に入ってから、学内でつくられたいくつかのストーリーもの映像作品を見たんだけど、どれもこれもモノローグがすげえ多くてうるさい。庵野秀明が使うモノローグは「こういう時代なのかなあ」と思わせるくらい上手いけど、「強引なストーリー展開のための手法」を抜け出すのはなかなか難しいよなあ。

12 WED
朝方にアブラゼミの声が……イヤな季節がやってくる。

11 TUE
HotWired Japanで連載されてる『分類王石黒健吾のチャート式 試験に出ないニッポンの社会生活』を何気なくチェックしてみたら、今回の3ページめ移動手段の比較にヤラれた。なぜか。

7 FRI
台風3号が大接近する中、七夕祭という、学芸会ノリが最高まで極まっちゃったようなイベントに参加。「祭り」なら「祭り」らしく空間的・時間的強弱または濃淡を演出してるならともかく、風雨のおかげで盆踊りも花火も中止され、やっぱり「まったり」してて「スーパー・フラット」だった(う〜ん、なんて便利な言葉なんだろう。誤用ともいえるでしょうが)。「それでも、みんな参加してるんだから私も参加しないと」というサイレント・マジョリティの強迫観念の恐ろしさを味わい、怖かったので抜ける。あ、それともあんなので「強弱/濃淡」を味わえちゃってるのか?! それはそれでうらやましい。

「やりたいことが何もない」とか「生きてることに意味を感じない」といった問題が取り沙汰されるけど、幸いにも俺はそれと縁がない。やりたいことはいくらでもあるし、生きてることに意味なんて元から無いということで落ち着いている。しかし、欠落していることがマジョリティである中にいると、その欠落のない状態そのものが「欠落」と意識されることがある。いままで欠落を否定してきた結果として「欠落」に至るわけだけど、むこうがうらやましく思えることがある。このパラドクスはタチが悪くて、「欠落」のおかげで、欠落していない状態そのものが劣等感になってみたりすることがある。でもこの議論は、欠落から「欠落」へと向かい、そこから再び欠落へ向かい……という堂々巡りを避けることができない。欠落か「欠落」か、どちらかを選ばないといけない。ここで俺はやっぱり「欠落」に止まる。だって、それしかできないから。そして、この選択はなんとなく、絶対に正しい。
 「俺がすべてにおいて満たされてる」なんて言いたいんじゃないですよ、念のため。

4 TUE
いつものように村井氏の講義を聞きに行ったら、よくわからないけど大前研一@ドットコム・ショッカーの公演になっていた。「ベンチャー起業家が公演したらこういうことを言っておくと場が納まるだろうなあ」という公演をそのままやった内容。純に続いて再びビル・Gなニオイを嗅ぐ。というかビル・Gなニオイというよりも、何らかのそういったニオイがビル・Gにも村井純にも大前研一にも共通して漂っている、としたほうが正しいのかもしれない。そして、そのニオイを身にまとうことができれば金持ちになれるのが今の世の中なんである。でも「ニオイだけで(一瞬)金持ちにはなれるけど、中身の良し悪しは別の問題」みたいなことは、表現の差はありつつ、大前氏も言及していた(光通信とかをひきあいに)。

その後、授業を横目に鹿野淳@ロッキンオン・ジャパン編集長の公演を聞く。今日は公演の日になってしまった。司会側の質問があんまし練られてなくて、「今までの半生は?」とか「その中でどんな音楽を?」といった話題ばっか振っていたので、『鹿野淳半生記』みたいな内容が中心だった。が、それもそれなりにとても面白かったのでなかなかスゲエと思った。そして「今後は『ロッキンオン・ジャパン』をどうされて行きたいですか?」という質問に対して、「邦楽ロックシーンは、(一部の例外を除けば)レコード会社・アーティスト共に厳しい状況にあって、今までのレコード重視ではなく、ライブ重視になってきている。そのことが作品の緊張感を維持しているし、それに従って『FUJI ROCK』のようなイベントそのものが大きな意味を持ち始めている。従って音楽雑誌も、今までのようにある特定のアーティストについて個別に掘り下げているだけでは希薄になってしまうから、ライブに参加することで得た身体的・精神的体験を掘り下げてゆくべきだと思う」という、テクノ好きの彼らしい回答をされていたので、「個別の経験を書くということは、当然そのプロセスで失われる部分があるはずだけど、そのへんの葛藤についてはどうですか?」というような質問をしてみたら、「その苦労はもちろんあるけど、それをやることで、個別のアーティストを掘り下げただけでは(10のうち)2になってしまうものが5とかそれ以上になるならば、やらなくちゃいけない」という回答を頂く。音楽ライター魂をかいま見た気がして、とてもよかった。

2 SUN
今の俺のWindows95環境は、Windowsでしかも95ってのがまずアレなのだが、それとしては過去に類を見ないほど強まっており良い意味で煮詰まっていてしかも安定していると思う。しかしそれだけ長いあいだ使ってるっつうわけで、残念なことにシステムを入れているパーティションの1Gという容量が窮屈になってきやがった。システム関係で5ギガくらい使えるようにしてえ! すべし! 金なし! 働けよ>拙者。

1 SAT
WindowsのTeX環境を整備。「TeX for Win32」、「dviout for Windows」、「TeX モジュールコントロール」、「b2e」を使わせていただく。フリーウェア万歳。

「ヒッキーが高校卒業!」と聞いて、不登校児が高校を卒業したというニュースかと思った俺は相当ダメだと思った。※よくわからない人は、2ちゃんねる等をよく読んでください。

プロフィールの画像を学校の友人に見せたら「え、これいくつのとき?」と言われた。……そういう問題じゃないと思うんだけど……もしかしてそういう問題なのかッ?!

iモードな人にメールするのはとても気を使う。250文字という文字数と、パケット式の課金システムという制約の中で、最小限の文字数で内容を伝えながら、もちろんギャグも忘れちゃいけない。って、俺はハガキ職人か? まあこのへんを意識してれば文書スキルは鍛えられるのカモ。