■ October 2001
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31 WED
学校の生協で、なぜかPalmIIIcが9,800円で売られていたので、さっそくさきちんに「買いですか?」とお伺いを立てると、「買いでしょ」とのお答えがあったので、そのままダッシュ&衝動買い。
 しかし、はたしてPalmいじってていいのか?>俺(Palmをいじりながら)

むー、満月であるな。何かが起こるというが、なんとなくツイてるよーなツイてないよーな。どっちやねん。ていうか明日はどっちやねん。

29 MON
昨日の雨で六大学野球の早慶戦が今日に延期され、講義はすべて休講になっていたということを知らず、登校してしまう。
 が、「やんなきゃいけないことがなくなった」という解放感は悪くなく、天気も良かったので、気分まで良くなった。これで課題さえなきゃなぁ。切ろうかなぁ。
 む、なぜこんなにまったりしているのか。

28 SUN
友人の新居にお邪魔した。なかなか会わないメンツが勢揃いして、久々にまったりムードに浸る。
 いろいろごちそうさま。

27 SAT
買い物のためにO船へ。鎌倉女子大が駅前に移転するのを当て込んでか、オサレげな飲食店や美容室などがぼちぼちと立ちはじめてはいるものの、全体のトーンは今までと変わっていない。相変わらず街は薄暗く煩雑で、人はイケておらず、空気はユルくヌルいのであって、とても良いカンジであった。
 ただ、パチンコ屋のネオンの「パ」だけが点灯してないという事態については、あまりにもベタすぎて狙ってるとしか思えず、ここに書くべきかどうかすら迷った。

亜血亜家から持ち帰ったテレビを部屋に搬入、セッティング。ちょっとうれしい。

嘘動物占い」をやってみたら、やけに当てられた気がしたので、いろいろな意味で驚いた。「渦を巻きて白き虚空に消えるモノ」だって。

26 FRI
授業は無かったのだが、糸井重里が来るというのでいそいそと学校へ。
 4人のパネラー(生徒)が質問をして、糸井氏が答えるという形式。パネラーの一人が「ヒット作はどうやって作るんですか」みたいな質問を繰り返すが、糸井氏はわりと冷静に「そんな方法論があったらみんなヒットしてる」といさめつつ、「みんなが欲しがる商品を作ろうという気持ちを持続する」と、作ることに対する姿勢を語っておられた。
 他にもインパクの話とか、なかなか面白かった。

糸井氏の講演が終わってさあ帰ろう、と思ったら、入れ替わりでやたら人がたくさん入ってくるので何事かとリサーチしてみると、どうやら飯島愛が来て中森明夫としゃべるらしい。ので、そのままUターンして再び席につく。
 主な話題は『プラトニック・セックス』の本と映画に関することだった。飯島さんは非常に頭もよろしく、覚悟も座っていて、かなり好印象であった。ここまでのし上がるってことは、やっぱりそれなりのものがあるんである。
 しかし講演中で俺的に最も盛り上がったのは、質疑応答のコーナー。ひとりの女生徒がいきなり「親の教育が厳しく、それが影響していまいち恋愛に踏み出すことができないが、愛さんのきっかけはどのようなものだったのか」という質問を繰り出す。かなりリアルなカンジであって、ドキドキした。
 飯島さんの回答は、「たとえば、北野武さんとか松本人志さんの本を読んで、彼らみたいになろうとしてそのまま真似したって、あたしが同じようになれるわけじゃない。だから、あたしがここで何かを言ったって仕方ないことだと思う。自分なりにやってみるべきじゃない?」みたいな回答であった。
 この回答は、俺が以前主張した「夢は必ず叶います。がんばってください!」(さわやかな笑顔つき)[2001.2.13]とほぼ同じ主張であって、うなずくばかり。

25 THU
相変わらずマンガなどもコンスタントに読んでます。安達哲『さくらの唄』(講談社)とか、安野モヨコ『花とみつばち』<4>(同)とか、成田美名子『CIPHER』(白泉社)を5巻までとか、板垣恵介『グラップラー刃牙』<28><29>(秋田書店)(マッハ突き、侠立ち、柴千春、ガーレンの美尻)とかを読みましたよ。でも、あまり冒険してませんね。
 あと「Dの嘘」の虚偽速報とか、「ポエ山(仮)」のゴノレゴとかを普通に。

近ごろ周囲の同級生に、二十歳になったなったと騒ぎやがる奴が多いのでムカついています。そういう奴には「俺は二十歳の誕生日を雀荘で迎えたヨ!」と事実を告げていますよ。ていうかウチの学校にもそんなやつは確実に存在しているはずなんですが、なぜかあまり知らない。

24 WED
アラン・ケイ御大がいらっしゃいました。ちょっとすごい。講演の演題は "The Computer Revolution Hasn't Happenned Yet!" というもの。
 まず抽象的な話(ここはよくわかんなかった)から、印刷技術と本の発展の歴史をコンピュータの歴史と関連させて、「本が本当に革命を起こしたのは、コストも下がって一般へと普及し、ペーパーバックなどが登場した後のことだ。コンピュータもそれと同じであり、本当の革命はこれから先に起こすのだ」みたいなことをおっしゃる(暗に、自分がきっかけになると言ってたのかも?)
 その後、Xerox PARCにいるときの話などをしたり、WinのやったことはPARCでずっと前にやってたことなんだ(つまり、やっと一般に広まったのだ)と。
 そして、ここからはアラン節というべきか、「あなたが見ているものは、世界そのものとは違うんだ」とか「実際のメカニズムがどのようになっているか知らなくても、季節が巡ることは誰でも知っている」とか、彼らしい主張をしつつ、Squeakの紹介に移ってました。Squeakはすごくおもしろそう(なんだけど、俺のマシンではまともに走らなそう)
 英語を聴くための耳と脳が発達しておらず、イマイチわからない部分が多くて歯がゆかったです。特に抽象的な話はムリ。

23 TUE
S.フロイト『モーセと一神教』(日本エディタースクール出版)は非常に電波がかっており、俺好みの本であった。

邪神占いによれば、俺は「たとえ虫の姿になったとしても生きる」んだそうで、これは自己紹介系の話になったときのネタとして使われてるのだが、この別パターンとして「たとえTシャツの中であっても生きる」というのを思いつく。オタク用。

研究会にてワインが振る舞われた。素晴らしい研究会だと思った。我が研究会には二十歳以上しか在籍していないのです。唯一の二年生である俺はこんなんだし。

19 FRI
ここんとこのDAFT PUNKの一連のPVが松本零士テイストだということには気づいてたんだけど、それはどこぞのアーティストが松本零士をパクってにインスパイアされて作ったのかと思っていた。
 でも、それにしては日本のアニメテイストも松本零士テイストもよく出すぎてるなぁ他人が作ったにしては松本っぽすぎるよまったくどういう才能してんだコイツはとも思っていた。
 だが、仮に松本零士が作ってるんだとしたらPVとしてよく出来すぎてるよテンポもよくてカッコ良すぎるよ動きもストーリーも音楽と同期とれすぎてるよ『男おいどん』描いてた人とは思えねぇよとも思っていた。
 ってなかんじで、「微妙なPVだなー」と思ってたんだけど、実はこれ、ちゃんと松本零士本人が監督してたんだそうで。DAFT PUNKは5歳のときにフランスで松本アニメを見ていて、それが今回のオファーにつながったらしい。ってなことを、「虎ノ門」で知った。松本零士本人まで出ていた。
 『男おいどん』テイストが排されていてすごくテンポも良いという不可解な点は、「ネットを使ってDAFT PUNKと相談しながら作った」という話を聞いて納得した。

18 THU
昨日の補足を少々。
 「高度」と「閉鎖性」は紙一重だが、決して誤解してはならない。高度なものはしばしば難解だが、難解なものがすべて高度なのではない。そして目指されるべきは、高度かつ平易なものである。
 あと、人間には、わからない物事に対して「わかんない」と言う勇気が必要であると思う、特に「日本人」には(俺含む)……いや、それが「勇気」と言えるかどうかすら疑わしいくらい、基本的に必要なことだと思う。聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥。

ひさびさにまったりと語る。4時間くらい喋ってたけど、話題がフーコーとかコーゾーシュギとかテロ事件についてだったというのがポイントだ。インテリっぽいべ(うさんくさい)。
 それはともかく、4時間喋ってたことのほうが気になった。考えてみたらこんなの久しぶりかも。もちろんプー時代のことを考えれば、最高記録ではぜんぜんないけど。
 そういや最近、ゆっくり語ることが少ないなぁ。良くない傾向であるとは思うが、やっぱ周囲との言語的な隔たりが大きいということなのだろうか。で、17日の日記的な思想を遵守するとすれば、それは歩み寄りが足りないということになるのだろうが、しかしそこはそれ、歩み寄るばっかりでもねぇ、みたいな話も今日の話題のひとつだった。
 あと、「宮台真司はもっと大学生に読まれててもいいのにねぇ」とか。

17 WED
ある授業でストレスがたまったので、亜血亜思想俺ミックスをぶっておこう。使うかもしれない理論武装はメンテナンスが欠かせません。
 世間の人々は、わかりづらいものごとを目にしたときに、その含意をくみ取ろうとしてくれるお人好しばかりではないし、またそれができるだけの能力を備えた人も、世間では少数派である。
 もちろん、わかりづらい表現を解釈する作業そのものは楽しいし、そういう表現が存在すべきでないなどと言うつもりもない。それが存在する自由については認めよう。
 だが、それが受け入れられないのは全くもって本人の責任であり、解釈しようとしない人や、したくてもできない人が悪いのではない。それを他人のせいだと文句を言うのもまあいいが、そこに留まるのが賢明であるとは思わない。
 まれに、本来は「わかりづらい」はずの表現を行い続けることのできる人が存在するが、彼はただ、運良くそういう人々に恵まれているだけでしかない。
 いくら頭が良かろうと、自分の考えを他人に理解させることができない場合は「バカ」である。
 繰り返すが、人はそれほど恵まれていない。あなたに耳を傾けようとする人が、傾けようとしない人よりも圧倒的に少ないということは、街角に立って歌でも唱ってみればすぐに気がつけるはずである――女は値段を聞かれるだけまだいいが、男は救いようがない。

さて、このゆえに、あらゆる場面で最も重要なのは「つかみ」である――という話はまたいずれ。

16 TUE
「30代が見えてきた」ってなことを書いたら、こんなおたよりを頂きましたよ。
message = いやー、30代はいいよ。
はやく30になりたまえ。
guest = さきちん
 あーさきちん、最近はalt-ctrl-delのほうがおろそかになってましてすいません。決して無視しているわけではないんですのよ。
 それはそれとして30代問題ですが、当方はまだ20代であるため、その「いい」とおっしゃる根拠が見えてきませんよ。まぁ、それほど悪くもないということなんでしょうかね。
 といっても、俺はそれほど歳をとるのがイヤというわけではなかったりします。女性が抱きがちな脅迫的なまでの拒否感とかももちろんなく、べつにどーでもいーやというスタンスに近いかもしれない。
 ただ、加齢はどーでもいいというスタンスであるがゆえに、30代の良さというのもイマイチわかんない部分があったりもするので、こんどじっくり聞かせてください。

ていうか「おめでとう」みたいなメールが一通もこないのはどういうわけじゃゴルァ!! ……って、そりゃ自分で「めでたくないしどーでもいい」とか言ってるから来ないんですね。
 ハッ! そうか! 自分で祝えば周囲も祝う、すなわちミームの伝達みたいなみたいな。これかッ!
 わーいわーい25さいだーわーい(無表情で)。

わけあって『モーセと一神教』という本を、遅くとも今週中にはゲットしないといけないのだが、横浜市立図書館蔵書検索を実行してみたら、横浜市立の図書館には一冊も蔵書がないという衝撃の結果を目の当たりにした。
 この結果に釈然としない俺だったので、さらに代案の作成を脳議会に提出したところ、「これってもしかして『モーセ』が『モーゼ』になって登録されちゃったりしちゃったりして〜」と脳議会の議長が広川太一朗モードで代案を提出してきやがったので、さっそく検索にかける。
 そうしたら、一件ヒット! やったぜ父ちゃん、明日はホームランだ! チェックチェック。

No 区分 書名(タイトル) 著者 出版社 出版年
1 図書 モーゼと呼ばれた男マイク・正岡 マイク・正岡,ビル・細川/〔著〕 TBSブリタニカ 1988.10
 ……俺もモーゼと呼ばれてみたい。

15 MON
誕生日でした。25歳です。四捨五入で三十路です。ネタにします。しますとも。
 メール(←グリーティングではない)してきた友人に、今日が誕生日であることをアピールすると、
おめでとう。そして可哀想に(憐憫の眼差しで)……
というリプライがありましたよ。

今日やっていたことといえば、引き続きフロイトの『エロス論集』を読んで要約を書いていたくらいです。言い換えれば、25歳の誕生日についての思い出は「エロスについて考えていた」ということになります。略して「エロ誕」ですよ。エロ誕でした。
 最近では誕生日にもすっかり感慨がわきませんが、別の意味で記憶に残る一日にはなりそう。

14 SUN
著:ジークムント・フロイト、編訳:中山元『エロス論集』(ちくま学芸文庫)を読み中。
 この本の最後には、編集と翻訳を担当した中山元がフロイトの理論について論じた「エロスの一般理論の試み」が収録されている。その文の最後にある一節から引用。
 [……]人間が他者と出会うまでには、まだ多くの障害と迂回路が待ち構えているだろう。精神分析は、障害に直面した患者が社会に復帰できるように手助けするだけである。
 フロイトが示した超自我の概念は、道徳性のための一つの前提条件を考察するものにすぎず、精神分析は道徳性そのものを問題としない。人間が他者との関係において〈主体〉として形成された後に、他者との間でどのような関係を築いていくかについては、精神分析はもはや口を閉ざすのである。
(442頁)
 他者を愛することが人間の本質であるが、それが適わないときに人間は精神病になるという。だが、社会を受け入れて他者に直面するというためには、自己への愛や全能感、あるいは母的なものへの愛の断絶が必要とされる。人間は最初「楽園」に産み落とされるが、社会的な存在となるためにはそこから追放されなければならない。それは悲しいプロセスである。
 他者と関係を築くことに障害が発生し、本来は他者へと向かう欲動であるリビドーがうまく処理されずに自己へと戻ってきてしまうと、精神病となる。(←ものすごく大ざっぱです)
 精神分析は、他者との間に起こった障害をなんとか解決し、他者と関係を築くために必要な前提を築く手助けをするものなのだという。そして、それ以降のことに口出しはできない。それはまた別の問題だし、人それぞれなのである。
 とかなんとか。

だとすれば、確かに「精神分析」なる胡散臭いものが「俺向き」であるのは間違いないが、かといって、現在の俺に最優先で必要なものではないのかもしれないなぁ、などと思う。必要なくもないんだけど、ひとまず最優先ではないような。
 その「前提」のほかにも、必要なものは山ほどあるはずで。

まー要するにアレだ、「世の中、エロエロ言ってばかりもいられない」と。(←そういうことじゃない)

13 SAT
一日に30分のアニメを2本見てタバコを20本吸って日記を書いて、精神分析の本を週に1冊読んでレポートを書いて、さらに5日も学校に通って授業に出ていると、それ以外には何もできないような気がしてくる。
 ここで「時間がない」なんていう愚痴をこぼすと「時間は作るものだ」という反論をされがちだけど、「時間を作る」ということは、ひとつひとつの活動の質を落とすことにもなりかねない。
 「ひとつひとつの質を落とさずにそれぞれをこなすことも不可能ではない」という反論もできるだろうけど、質を落とさずにスピードを上げるためにはその活動に習熟していることが不可欠なわけで、やんなきゃいけないことはそんなに習熟してることばかりじゃなく、むしろ習熟してないことのほうが多いんだから、これから習熟するしかないんだが、そこで必要なものといえば、やはり時間をおいて他にない。
 個々のスピードを上げるのが難しいとなれば、こんどはどれを切り捨てようかと考える。でも、とりたてて捨てるべきものもなく、どんぐりの背比べである。ん〜、それでも捨てるものを考えなければならないか。あ、逆に考えれば、差がないってことはとりたてて残すべきものもないということで、すべて捨ててみるというのも選択肢ではあるな。
 でも、全部捨てたらまた別のものを探さなくちゃならないわけである。その作業がとてつもなく面倒くさいということはわかっている。そんなことをする気力は、いまのところないわけで。
 ふむ、では現状維持が妥当なところなんだろうか。そしてどれかが振り落ちるのを待つと。で、現状維持に必要なのは、愚痴をこぼすことなんだな。ああヒマがない時間がない。

つーか、ぶっちゃけ、ヒマはあると思います、ありますよ私にはええ。平均的に見たらアリアリでしょう。
 なんだけど、思うに、人間にはそれぞれ「必要ヒマ時間」とでもいうべきものが決まっているんだ、きっと。俺の場合はそいつが平均よりもかなり多いというわけなのではないかと問うね、自分に。ああ問うさ、問うてやるとも。だからヒマがあるのに「ない」とか言っているというわけさ。
 さらに思うに、俺の「必要ヒマ時間」がそんなにも長くなってしまったのは、今までの生活がそうさせるわけであって、だいたいはそれまでの経験が各個人の「必要ヒマ時間」を規定しているんじゃないかと思うね。ああ思うさ、思ってやるとも。
 だから、俺が今すべきことっていうのは、その「必要ヒマ時間」を減らすことだね。でさ、今までさんざんヒマな生活をしてきたから「必要ヒマ時間」が長くなってるとすれば、ヒマのない生活をしてたら、「必要ヒマ時間」も短くなってくんじゃいかという説を提唱するね。ああするさ。提唱してやるとも。
 でも、急に忙しくすると疲れるのでほどほどにしていきたい。

12 FRI
昨日から鼻水がものすごい量であり、その後熱っぽくなってかなり調子が悪くなってきたので学校をサボる。

テレビ通販で「スモークカット」という商品を紹介していた。健康食品なんですが、なんでも体内のニコチンを体外に排出する作用があるんだそうで、「体内のニコチンがなくなれば、喫煙願望がなくなります!」という謳い文句。
 でも、ニコチン中毒者の体内からニコチンがなくなるってことは、禁断症状がひどくなって喫煙願望が倍増するだけじゃないのか? どーなのそこんとこ。

「スモークカット」ってGoogleにぶちこんでみたら、出ました。通販で買えるんですね。うーむ、「ニコレット」とどっちがいいんだろうか。

09 TUE
英国に滞在経験のある人から、しばらく話をしたのち「おまえはイギリス人に似ている」と言われた。彼女とは初対面であったが、今までそんなふうに言われたことはなかったので、驚かされた。そのときのやりとりは、だいたいこんなかんじであった。
「おまえはどことなくイギリス人っぽい」
「そんなことを言われたのは初めてだ」
「うむ、よくわからないが『トレイン・スポッティング』のような」
「それは俺がユアン・マクレガーに似ているということか」
「いや、絶対にそのようなことはない。外見的なことを言いたいのではない」
 とまぁ、俺はユアン・マクレガーとはタイプの違う色男だ(?)ということが明らかになったわけだが、ひとまず「イギリス人に似ている」という部分が気になったため、後日、その点を別の友人に確認してみることにした。彼とはもう一年半のつき合いになるが、こちらも長く英国に滞在した経験がある。
「先日、俺はイギリス人に似ていると言われた。おまえの視点からそのようなことを感じるか。ていうか俺はユアン・マクレガーに似ているか」
「(しばし考えて)えーとだな、おまえの思考形態はそうかもしれない。物事を見るときの方向が、斜めからだったり後ろからだったり、ヒネているようだな」
「なるほど。たしかに、一回転してからものを見ようとすらしている部分はあるな。ところでユアン・マクレ」
「そういうことだな」
「いや、ユア」
「じゃあな」
 ということであった。

08 MON
以前、「女までが女顔を好む傾向が気にくわん」みたいなことを言いましたが、そのへんを学校の女性に問うてみたところ、次のような解答が。
 「思春期の少女は、男性に対して不潔感や不快感などを感じることがある。そういう傾向が女顔の男を好む原因だと思う。テレビ見たりしてキャーキャーいうのって、だいたい中高生とかでしょ」とのこと。
 ちょっと説得されました。

亜血亜家に行く。
 玄関に入ると、いきなり「チョコエッグ」や「チョコラザウルス」のフィギュアが10コくらい飾ってあり、笑う。
 その後、『スカイガンナー』をヘボヘボなスコアでクリアしたり、『恋の門』の魅力を力説したりする。『恋の門』の構造は「こみっくぱーてぃ」と酷似しているということを確認したり。
 あと、豪華なD4のテレビを買いやがったので古いテレビを譲り受ける。これでやっと俺の部屋のテレビがステレオになる。
 あと、メシもおごって頂いた。そういえば雨が降っていた。

07 SUN
スガシカオ「Sugar Less」を聴く。せ、せつねー。
 曲も声もいいんだけど、その点についてはあまり語るための言葉を知らないので、略。
 んでもって、詞もまたいいんですよ。「タメ息は少しだけ 白く残ってすぐ消えた」とか、美しすぎる。口に出してもすごく気持ちよかったりして、中原中也の気持ちよさに近いかもしれない。
 間違いなくヘビーローテーション確定です。

『情熱大陸』(TBS)がスガシカオの密着ドキュメントだったので、視る。
 曲を書くときのスタンスについて、

「男同士が飲み屋でするようなぶっちゃけトークのレベルで曲を作りたい」
というコメントが印象に残る。
 ってか、28歳までリーマンだったんだね、この人。その後リーマンを辞めて習志野に引きこもり、その後デビューしたんだって。やっぱヒッキーの過程って重要よね。
「やりたいことがないって相談受けたら、「悶々として悩んでるときは金を貯めろ」って言うんですよ……イザとなったらその金をバーッと使って飛ぶんですよ……飛べればの話ですけどね」
ってのも印象的。姿勢としては大変に正しいと思い、心に刻む。
 でも、飛ぶことができたって、たどり着いた先が果たして正解なのかという問いは常についてまわるはずだ、きっと。……まぁ飛べないよりはいいんだろうか。
 あと、まったく頷くしかないコメントの数々をメモしておく。
「希望100%の曲は書けないですよ。そんな生活じゃないからね」
「でも、希望がないわけでもない。もし希望がなかったら何もしないだろうし、曲なんかつくらないでしょう」
「本当に悲しんでる人を目の前にして、『明日があるからがんばろうよ』なんて声はかけられない」

06 SAT
サーチエンジンからこのページに飛んでくる人はそんなに多くありませんが、少ない中でも、キーワード「千野志麻」で飛んでくるひとが多いっすね。このページにまで人が来るって相当なものだと思うけど、そんな人気あんのか。それとも、あの聖書の一節といっしょにしたのが良かったのか?
 でも、俺は気象予報士の真壁さんのほうがいいと思います。って関係ないけど。

「ハンター試験」の課題図書である、S.フロイト『自叙・精神分析』(みすずライブラリー)をひたすら読書。
 やっぱ読まされるってのはキツイなぁ。読むのもそんなに速いわけじゃないし、考えものだ。
 「自分でテーマを設定して読書計画を立てる」みたいな形式を現状の学生に提示しても、あまり芳しくないんだそうで、教授の側から課題図書を指定してしまったほうがいい、みたいなことを宮台真司が言っていたのを思い出す。
 と考えると、俺のように放っておいても本を読んでるような人間はこういう形式を選択しないほうがいいのかしらん、とも思う。
 が、俺が放っておかれた場合には、必ずしも(学問的に)一貫したテーマを扱うわけではなく濫読になってしまうかもしれないし、時には楽な方向にも走ってしまいがちかもしれないし、本ばっか読んでるわけでもない(←これはむしろいいことかも?)ので、迷うところではある。むー。

そもそも「一貫したテーマ」って何なんだ? という気もする。俺としては、マンガもアニメもドラマも映画も論文も小説も雑誌のコラムも、かなり一貫性を持って味わっているつもりなんだけど……まぁその「テーマ」を伝えることができるようにならない限りは「分散してる」って思われてしまうんだろう。それを伝えようとすれば、何らかの形で「私小説」を作ることは必要なのかもしれない。
 けど、その「私小説」を書くためには精神分析の知識があるとよさそうで、それをやろうとしてるのが「ハンター試験」なわけで……と循環して止まらなくなる。

05 FRI
需要を見極めるのって難しいですよね。自分についてよく思うのは、会話の中に情報を流しすぎる傾向があるということです。
 たとえば、ある本や映画などについての話になったら、もしその映画を観ていて、さらに調べたことがあったりするとひどいことになります。一般的に予想される感想、好意的な意見、否定的な意見、そして自分の主観的な感想、さらにもしネタがあれば裏話的な小ネタなど、調子に乗っているとだいたいそれくらい出してしまったりするわけです。
 でも、普通はそんなにいらない。だいたい会話に載せることができる視点は、一回に一つが丁度いいんです。中でも、相手が期待してるのは主観的な意見くらいで、それだけでおなかいっぱいになっちゃうし、なってくれるんです。だからクソオタクって言われるんです。実際言われたことないけど。

04 THU
午前中、授業をぶっちぎって少し離れた図書館までわざわざ本を借りにいった。面倒くさかった。その後、この本が学校の生協に並びはじめたという情報が入った。そんなにバカ高いという本でもないので、買ってもよかった。ついてない。

03 WED
村上春樹『1973年のピンボール』(講談社文庫)読了。
 数年前、「ザ・ファントム・オブ・ジ・オペラ」(データイースト)にはまってたり、行きつけの店から消えたゲームをプレーするために遠くまで行ったりしてたことを思い出し、かなりせつねー気分に。
 ……つーか、この人の本を読んでると、「あー、やられてるなぁ」みたいな感想を持つことが多いんだよね。すごく面白くて楽しんでる裏側で、叩きのめされる。なんか素直に感謝できないっていうか。
 といっても、これだけビッグネームの、それも21年前の作品に対して「やられた」もクソもないんだろうけど……この見透かされている感覚というのは、快感でもあるけど、同時に悔しさも感じてしまうわけであって。まぁ場合によっては何百年前とか何千年前に作られた何かにやられてしまうこともあるわけなんだけど、しかしこのくらいど真ん中にストレートを決められてしまうとねぇ……うぎゃあっ。
 こういう感覚は、文章だろうとマンガだろうと映像だろうと何だろうとありますね。だからわりといつも「うぎゃあ」となるのでけっこう大変です。いや、「勝手にしろ」とあなたが言うのはもっともだと思うんですけど。でもね。その。

02 TUE
普通の本屋ではなかなか手に入らず、しかも高価な本を、一週間以内にゲットし、かつそれを読了し、論点要約を作成して提出した上でないと授業に出ることすら許されないという、まるで「ハンター試験」のような授業を履修するべきかどうか迷いに迷う。

01 MON
ムジュラ、アンジュのお祖母さんのイベントがおわらねぇー! なんて言ってましたが、あっさり終わってしまいました。うー、こんな盲点があったとは……(思わせぶりに)。
 というわけで、もうそろそろいいかな〜という気になってきました。そろそろ勉学に励みますかね。