寺田克也『ラクガキング』(アスペクト)を買った。
ん〜非常に楽しい。他人の落書きを見るっていうのもなかなかあることではないし、それが寺田克也のものだっていうんだから、ものすごい楽しい。金払ってもOK。涙で描いた落書きの鼠が動ちゃったのは誰だっけ……雪舟でした
(調べた)。さすがに動きはしないものの、やっぱり落書きとしてはかなりハイレボーなところに位置していると言えよう。
寺田克也は35年間一度もラクガキをしなかったと言っても言いすぎではないらしいけど、やっぱそのくらい描けば上手くなるのだろうか、いやそれだけ描けるからこそ上手いのか、と考えてるとタマゴとニワトリの話になっちゃうけど、いずれにしても分量がまず恐ろしい。これで部分だっていうし。
しかしただ手を動かすだけではだめなんだろうなぁ、実際。この前テレビ番組で見たけど、結局のところ画家の優れているところは見る力なんだってなことを日比野克彦で実験しながら説明していた。やっぱりまずは見ることからだよねー。
ん〜、そういや「モノを見るとワイヤーフレームに見える」っていう
3D屋の意見も、モデリングの能力が「見る」ことに依存しているということの表れであるのだろう。2Dを作ってる人と3Dの人で、どう視覚をコントロールしているのか比較できたら面白いかもしれない。
学期中に休講になった授業の補講があるっつーんで学校に行ったんだけど、始まるはずの時間になっても先生が来ない、30分経ってもまだ来ない。アシスタントの学生が先生に電話しても、出ない。研究室の電灯は点いているので学校には来ているらしいが、教室には現れない。
結局、先生は来ないまま、補講まで休講になってしまった。アシスタント平謝り。
その後、友人とばったり合ったのでまったり語ってたら、5時間くらい経っていた。自由主義とか民主主義とか支配体制とかフランスとかドイツとかとかとか。わからないので質問ばっかしていた。彼はたいへん優秀な学生なのである。
ん〜、最近、本当に日記を書くような生活をしてないなぁと思う。休みに入ったら変わるかもしれないけど。
1月2日の日記において、『OLヴィジュアル系』の原作者が安野モヨコであるなどと誤ったことを書いてしまいましたが、正しくは
かなつ久美だとの指摘をうけました。当該の日記を修正するとともに、ここでも報告いたします。
今回に限らず、間違うたびにきちんとツッコミが来るあたり、俺はナイスな読者を持っていると思いますよ。
謝りついでにもう一つ、誤りがありました。こっちは自分で気がつきました。
1月6日の日記において、落語家の階級を「前座→二枚目→真打ち」と書きましたが、これは誤りで、正しくは「前座→
二ツ目→真打」です。二枚目は歌舞伎ですね。
最近、調査不足のケアレスミスが増えてることにちょっと危機感を感じてみたり。
ここんとこ外国語、特にドイツ語で書かれた学術論文の翻訳ばっかり読んでいるわけだが、文体に独特のクセがあるので、ある程度頭をそれに合わせていかないと、ただ読むことすら難しい。
んで、長時間にわたって脳みそを学術論文の翻訳に最適化した状態にしておくと、日本語の文章能力にかなり悪い影響があると思う。というのは、主語とか述語がやたらと長くなったり、漢字の熟語をつなげて物事を説明しようとしたりしてしまうのだ。まさに、読んでる本のクセがそのまま文章に出てしまうのである。
もしかしたらそもそも原典を書いたやつが悪いのかもしれないし、外国語と日本語の構造的な違いが関係しているのも間違いないんだろうけど、とりあえず翻訳してる人に言いたいのは、「原典の語順に忠実に」みたいなことは意識しなくてもいいんじゃないかってことで。
読みづらいのも文章能力に悪影響が出るのも、翻訳された日本語がなんかヘンだというのが原因である。これは翻訳する人の日本語能力に問題がある、ってとこに集約されるのかもしれないとも思う。でもその一方、言語学を専門とし、独語論文を数多く翻訳なさっているわが校の名誉教授は、「翻訳とは異文化を異文化のまま意識するためのものであって、それを日本文化のほうへ引き寄せすぎるのはいかがなものか」みたいな主張をなさっておられるんだよなぁ。つまり、たとえ自然な日本語に翻訳できる能力や日本人/文化にとって判りやすい表現に変換する能力があろうとも、翻訳するにあたってはその能力を行使しすぎてはいけない、と。これは論文だけでなく文学などに関してもそうだという。んで、彼が最も良いとするのは逐語訳(受験で求められる日本語訳みたいなもの)なんだそうだ。
逐語訳は、たしかに押さえるべき基本だと思う。でも、翻訳しようって時点で外国語の文が日本化してしまうのはすでに避けられないんだから、少しは読みやすくしてもいいと思うんだけどねぇ……。
名誉教授殿のおっしゃることと、いま俺が読んでる本の読みづらさとは、レベルの違う議論なんだろうか……よくわからなくなってきた。
というストレスがたまってるので、最近はますますコンピュータ方面に手を出したくなりたまっている俺であった。でもそっちにシフトしたらしたで、また「理系文」との戦いが待ってるんだろうなぁ。
で、「理系文」と戦ってるうちに嫌気がさしてきて、今度は哲学/思想でも情報でもなく、文学とかがやりたくなって、でもそこはそこでやっぱりわけのわからない言葉が飛び交っていたりして……。
んで、また反動が来るとなると……残ってるのは数字か。数学は美しいんだよね、最終的なところはね。数学ってのはいいかもしれない。大学終わる頃には数字と数学記号しか信頼できない人になっているっていうのも、それはそれでいいかも。
BGMを、 O(+> っていうか Prince "Endorphinmachine" ("Gold Experience" 所収)と
Rage Against The Machine "Guerrilla Radio" ("The Battle Of Los Angels" 所収)にしてみた。
K-1と
PRIDE.のオープニングテーマ。効きます。「タイアップ曲なんて安易ね」なんて批判はクソ。うんこ。
でも INOKI BON-BA-YE 2001 の結果はまったく知らない。
と思ったら、
わかった。7試合中4試合引き分けだって。うわ〜。
やっぱし濃いもの同士をただ合わせただけじゃおいしくならない、ということで。『ファミコンジャンプ』みたいな。
一般的には、テレビドラマになった『ハッピーマニア』の原作者として有名な安野モヨコに、『ラブ・マスターX』という作品がある。このマンガは宝島社の「CUTiE comic」で連載されたのち、「ワンダーランドコミックス」というかたちで、全3巻として出版された。
俺はそのうちの1巻と2巻を買い、3巻目も買おう買おうと思ながらも買わなかったのだが、すると、なんとワンダーランドコミックス版は3冊とも事実上の絶版になってしまった。
その後、『ラブ・マスターX』は宝島社文庫COMICSから全2巻に圧縮されて再版された。このマンガは全3巻での発行を狙って構成されていて、各巻の「引き」が絶妙なため、全2巻に圧縮されるのはどうかとも思っていたし、加えて、すでにWC版で1〜2巻を所有していたこともあり、文庫版の2巻を買うことを控え、古本屋でWC版の3巻を探していた。物語の展開はものすごく気になっていたのだが、しかし今まで、あえて文庫には手を出さなかった。
だが今日、なんとなく行ってみた本屋で耐えきれなくなり、とうとう
安野モヨコ『ラブ・マスターX』<2>(宝島社文庫COMICS)を買ってしまった。
(作者にとっては印税が入るので、本来はこうすべき)
そしたら、もちろん予想通りなのだが、大ハマリ。むちゃくちゃおもしろいでやんの。ギャヒー、おもしろーい。天才。うひー。